ブログ

ブログ・お知らせ

リンク

リンク

仁義なき・・・

東映映画「仁義なき戦い」の舞台となったのは呉市です。広島市と勘違いされる方が多いのですが、それは2作目の「広島死闘編」からです。そこから関西の組織も関係し、大きな抗争に発展していきます。

故松方弘樹さんが演じた坂井鉄也のモデルとなったやくざは仲間の衆から愛称「てっちゃん」と呼ばれ、呉の繁華街である中通り近くの川べりに事務所を構えていました。鋭い頭脳と度胸を備え、喧嘩は無敵だったそうです。37歳にて事業を複数経営し、伸び盛りの真っ最中に、写真中央、マクドナルドの少し先を右に入った狭い通りで、ビリヤード場から出たところを二人の組員に襲撃され、アーミーコルトの銃弾6発を浴びて死亡しました。昭和34年の事件ですから、私はまだ小学校に上がっていない頃です。

 

現在はれんが通りと呼ばれ、歌にもなりましたが、時代の変化には勝てず、シャッターの目立つ閑散とした商店街に。地域の皆さんが再生に尽力されているようです。昔は枝の路地に飲み屋街があり、海上自衛隊員や造船所の工員たちの遊び場所でした。私は最終学校が呉だったので、この場所は学校帰りによく立ち寄りました。当時は角刈、ダボシャツに雪駄履きの兄さんも歩いていたりして怖い印象はありましたが、街は活気があり、栄えていたように思います。正直言って、少々危ないほうが楽しかったような気もします・・・。

 

なお、広島と呉では若干方言が異なりまして、文太兄ぃや松方さんが劇中で使っていた「〇〇しちょるんか?」などの言い回しは呉地方の方言です。呉は旧海軍鎮守府がおかれていた街ですから、各地の方言が混じったのかも知れません。ちなみに、広島育ちの私は「〇〇しとるんか?」と言います。

 

今もよく、休日にここを訪れ、フライケーキを買ったり、お好み焼きを食べたりしています。ふと路地を見やると廃業したスナックの看板。ドアが突然開き、極太ストライプのスーツに身を包んだ強面の大男がエナメル靴を鳴らして出てきそうな錯覚を覚えることがあります。私が想像するその筋の人は故阿藤快さんのような感じ。超リアル、ド迫力があると思いませんか?

 

最後に映画の中の名セリフをより完全な呉方言に。

「おやじさん、云うとってあげるが、あんたは初めから、わしらが担いでる神輿(みこし)じゃないの。
組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。神輿(みこし)が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみないや、
のう!」

「おやっさん、ゆうちょったげるがぁ、あんたぁ初めからわしらが担いじょる神輿じゃあないの。組がここまでなるのに、誰が血ぃ流しちょるんや。神輿が勝手に歩けるゆうんなら歩いてみないや。のぉ!」

巻き舌で、アクセントを頭に置き、語尾を下げて発音するとパーフェクトです。

 

 

dscf8595

 

 

 

 

 

 


カメラ泥棒

修学旅行は中三の春だったように思うのですが、記憶が曖昧です。行先は南九州でした。

喫煙、喧嘩など、何かと小さな事件もありました。何人かは地面に座らされたり、教師に殴られていたのを覚えています。

同じクラスの女子生徒はカメラを盗まれました。前にもこのブログに書いたオリンパスペンEEという当時人気のあったハーフサイズのコンパクトカメラでした。 ご存知の方も多いでしょう。

 

阿蘇の草原で休憩、カメラをテーブルに置いて級友たちと談笑していたら、いつの間にか消えていたのです。その後はパニック。泣き出す女子生徒。周りの同級生たちは必死で捜索。結局行方はわからずじまい。でも、そのカメラ、なぜか近所に住む同級生K君の手に。早い話、下手人は彼でした。いわゆる出来心というやつ。「拾ったことにして返せ」と悪知恵を授け、一緒に女子生徒宅まで届けに行きました。性格のきつそうな痩せぎすの母親はひったくるようにカメラを取り上げ、「ありがと!」と一言だけ。

 

この後、件の母親にチクられ、学校で取り調べ。「拾った」で押し通しておしまい。自慢するわけではありませんが、「基本的人権の侵害である」と共犯扱いされた私が唱えたために、左翼系の社会科教師が取り調べ中止を要求したせいです。

余計なことですが、当時の教師の多くは人権という意味がよく理解できておらず、今なら考えられないような無茶苦茶なことを結構やっていました。宿題忘れただけで「いいというまで駆け足でグランド周回」とか、真夏の体育の授業中に水飲んだ生徒を並ばせてビンタとか。

 

なお、カメラ盗んだK君は地元で公認会計士事務所を開き、「先生」と呼ばれています。

 

pen-ee

 


The photographer

少年時代に憧れていた仕事は画家とか写真家。今考えると、どっちも才能はないのですが。

父と親交のあったフリーの写真家がいて、その人を訪ね、「どうしたら写真家になれるか?」を聞いたことがあります。

当時16歳、高校中退して彷徨っていた頃。

 

50歳くらいの大男で、ミッキー安川さんのような風貌、元陸軍の報道班員。少し危ない地域の小さいボロ家に独り住んでいました。「写真家になりたい? 金が欲しいならやめとけ。それでも好きで、真剣にやる気あるなら俺のところに来い。給料は払えん。手弁当だ。その代わり、写真のいろはから叩き込んだる」と、両切りのピースをくわえ、薄ら笑いを浮かべながら。

そして、きれいな中国娘の写真を見せてくれました。着衣、半裸、全裸の順です。「未成年の君には見せられん写真もある。これは大陸で撮った娼婦の写真だ。おじさんは戦後、食うに困ってこんな写真を売り歩いていた。夜の街でだ。」

 

戦後に雑誌の元モデルと結婚したのだそうですが、せっかく就職した地元の新聞社を喧嘩してすぐに退社、フリーに。しかし、その日暮しの生活に耐えられなかった奥さんは映画館経営者の二号に鞍替え。その映画館経営者をタコ殴りにして逮捕された時の身元引受人が私の父でした。

 

写真家になりたい希望はそれで雲散霧消。気ままな職人だった父と少しも変わらない人種、母を苦労させた男と同じようになりたくないと思いました。

 

写真家は数年後に他界しました。肝臓を患っていたようです。「見せられない写真」を見せて欲しかったのに・・・・。

ところが、それは父に譲渡されていたのです。父が他界した時、遺品整理にあたった堅物の兄が「猥褻図画」と決めつけ、あろうことか焼却処分。残念至極。写真を全部見た兄、「あんなもん、くだらん。」と一言でバッサリ。なんとも面白くない男であります。

dscn2661

 

 


このページのトップへ


オイルライター

皆様の中には煙草を吸わない方も多くいらっしゃるでしょう。私は喫煙者です。16歳からやってますから筋金入り。 やめる気など毛頭ありません。父も叔父も喫煙者でしたが、長寿でした。叔父は酒も大好きで、ウィスキーをストレートで毎晩飲んで90歳過ぎで肝臓がんを患い、余命宣告・・・これにはあきれました。

 

ところで、私が使っているライターは日本製のペンギン。デューク1というモデルです。耐風でもなく、片手で扱うのが難しいライターですが、機構がしっかりしているので気に入っております。以前はジッポーを使ったこともありますが、重いのと、ローラーの感触が好きになれないし、オイル充填も面倒なのでお蔵入りとなりました。 ペンギンライターは重量も適切、小ぶりで邪魔にならないので愛用しています。 尺取り虫みたいな点火機構が秀逸で、ついつい用もないのに火をつけてしまいます。

 

写真は先頃購入したG7Xで撮影。少しだけ加工しております。

 

 

img_0869

 


このページのトップへ


お尻

 

配偶者以外のお尻に不用意に触るとセクハラです。でも、許可を頂いたら問題ありません。

もう時効だから書けるのですが、以前勤務した職場の研究部門に国立大工学部卒の若い女性がおりまして、当時25歳くらいでしょうか。

教育者の家庭で育った一見地味なお嬢さんでしたが、整った顔立ちで、少しお化粧して、髪をいじれば美人の部類に十分入れるレベルでした。スレンダーで細面、礼儀正しく、優しい女性だったと記憶しております。彼女とは同じプロジェクトで協力関係にあったので、顧客の工場に同行することがたまにありました。

 

ある日、どちらも離れた場所の2社を続けて訪れることになり、やむなく1泊。当然、部屋は違います。「少し街を歩きませんか」と彼女から誘われ、散歩に出ました。いわゆる小京都と呼ばれる場所で堀川のほとりを歩きましたが、ほとんど人影がないので、急にいたずらっ気がムラムラっと起きた私。 「お尻触っていい?」と聞いてみました。すると、彼女は意外にも「いいですよ。でも、掴まないでね」と。

ゆっくりと、やさしく撫でてあげました。こんな奇跡があるでしょうか・・・。彼女曰く。男性経験はない。声をかけられないことはないんだけど、興味が湧かない。私のことは好きだけど、結婚してるので対象にならない。自分だけ愛してくれる人とSEXして、ずっと一緒に暮らしたい。 ああ、わかりました。そうゆうことですねと手を引っ込めました。でも、きゅっと持ち上がったいいお尻でした。後ろからやったら、さぞいいだろうなあと不埒な妄想がムクムクと。

 

でも、この後があります。彼女の希望。固くなったモノに触ってみたいと。ああ、それならお安い御用と、ベンチに腰掛け、ズボンの上から触らせてあげました。最初は撫でていたのですが、握り始めたので中止を宣告。 それで終わりにしました。ヤッてはいけないのです。底なし沼にはまった哀れなおじさんたちを何人も知っていますから。 付け加えますが、彼女は40代半ばに達した今も独身です。そして二度と会うことはありません。

 

 

 

 

 


このページのトップへ


君に会うまでは

腕組み歩くよ 夜の街二人・・・・後はネットで拾ってください。ブログに歌詞書いただけでも著作権法に抵触するとかで、どうもやりにくい世の中になりましたね。 それはともかく、私は浜田省吾のこの曲がいたく気に入っておりまして、何回聴いても胸にグッと来るものがあります。 私も20年ほど前までは妻と腕組んで歩くことがままあったのですが、近頃はさっぱり。腕組もうとしようもんなら、「やめようよ、その顔じゃ似合わないよ」と、あっさり拒絶。 たしかに私は品のいい顔ではありませんので、返す言葉もないわけで・・・。 これでもドイツの入管で「ドクターか?」と尋ねられたこともあるのですよ。

 

下の画像は、失敗作品をポスタライズしてみました。 酔っぱらってふざけている妻の姿です。

船内パーティーを楽しんだ後、デッキを散歩。まるで映画のようなひとときでありました。。この後、部屋に戻ると、隣室からアノ声・・・・

翌朝ドアを開けたところで出くわした隣室の女性は、なんともコケティッシュなアラフォーと思しき美形。続いて、立派な髭をたくわえた恰幅のいい50男が出てきました。いやはや、昨夜は「太い、太いわ!ああん、いい~」とかなんとか喚きながら、何度も絶叫。私はそっちに気をとられ、その夜妻とは何もありませんでした。

もっとも、船の客室は狭く、ベッドも小さいので行為には向きません。彼らはおそらく立ちバックで行っていたのでしょうね。それしか考えられません。

dsc_0172


このページのトップへ


Dancer

小学校高学年の頃、町の公民館に大阪から舞踏団がやってきて公演。いつものように入場料払わず潜り込んだ私は、スタイルのいい綺麗なおねえさんたちが網タイツ姿で踊るのを観て、めちゃくちゃ興奮したのです。

それで、悪ガキどもと企んで楽屋を覗きに行こうと、外側の職員出入り口から地下室へ侵入。ステージの直下にあった楽屋というか更衣スペースを道具棚の陰から見物しました。 楽屋ではみんなスッポンポンか近い姿。金色のドレスで踊っていた主役級のダンサーがドレスを脱ぐと下は何も着けておらず、白い裸体のまま、木製の丸椅子に腰かけ、脚を組んで瓶ジュース飲みながらタバコ吸っていました。まるで銭湯のような有様です。ただ、違ったのは、ダンサーのおねえさんたちの股間は茂みが薄い・・自分らの母親に比べて。 まあ、それはともかく、大柄なダンサーたちの裸体は迫力満点でした。 美人で定評の学校事務員K女史が次の日からショボく見えるようになったほどです。

 

その当時は何も知らなかったのですが、やってきた舞踏団はいわゆる二軍で、自分たちの給料をねん出するため、ドサ回りで稼いでいたのです。 夜は呼んでくれたスポンサー(町の有力者)の酒の相手もあって大変だと、母が言っていたのを思い出しました。 当時の世相を考えると、小規模の地方巡業は大変だったと思います。

と、いうわけで網ストを見ると、踊るおねえさんたちのたくましい姿が浮かんでまいります。

 

dsc_0070


このページのトップへ


真冬の帰り道

「真冬の帰り道」は同名の曲があり、古い方はザ・ランチャーズ、新しい方は広瀬香美さんが歌ってます。

で、私がよく知ってるのはGSの先駆け、ザ・ランチャーズ。喜多嶋舞さんのお父上、喜多嶋修氏がメンバーでした。当初は若大将のバックバンドがメインだったようです。全員お揃いの上品なIVYスタイルのスーツで演奏する姿は都会を感じさせ、田舎もんの私は「中学出たら絶対東京に行くぞ」と誓ったものです。実際に東京に出たのは成人後ですけど。

 

しかし、あれから50年経ったなど、とても信じられません。若々しく軽快な旋律は何度聴いても飽きないものがあります。

当時「キイ・ハンター」というテレビドラマがあり、ソニー千葉氏や憧れの野際陽子女史が出演しておられましたが、一度だけ、劇中でこの曲が流れたのを憶えています。 ミニスカートの野際陽子さん、とっても素敵でした。

ネットで簡単に拾うことができますので、是非曲名をヒットしてみてください。夢多かりし60年代に会いに行きませんか?

 


このページのトップへ


昨日に逢いたい

「昨日に逢いたい」 あまり有名ではないですが、たしか、67年頃のザ・ワイルドワンズの曲です。当時のオールナイトニッポンで初めて聴いたような気がします。たぶん植田芳暁さんのヴォーカルでした。 ドラム叩きながら歌う植田さんの姿に中坊だった私はたいそう憧れたもんです。 昨日に逢いたい・・・私も是非逢いたい。 妻撮りしてた頃が懐かしくなってます。

 

ところで、写真はNIKON D40Xに55-200f4.5-5.6Gというレンズで撮影しています。5月中旬の遅い午後、某所にて。 今はもっと高画素数で性能のいいカメラと明るいレンズを持っていますが、この時ほど楽しく撮れることは最早ありません。

 

昨日に逢いたい

 

作詞 万里村ゆき子

作曲 加瀬邦彦

唄: 加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ

 

いとしい人のその声を

かんじてめざめた夜明けには

忘れた歌をうたうように

忘れたふるさとよみがえる

夕陽の中で愛をたしかめ

二人でひとつの朝を迎えた

昨日に逢いたい おまえに逢いたい

 

 

 


このページのトップへ


街を撮る

街を撮ると必然的に往来する人々も写ります。 また、人々がいるから街と言えるのです。しかし、近頃は肖像権、人格権がうるさく言われるようになってまいりました。人の顔も個人情報であると主張する方もおられます。法律上はどうかというと、他人の姿を勝手に撮影しても刑事罰の対象にはなりません。盗撮行為として取り締まられているのは、女性のスカートの中やお尻ばかりを狙って撮るとんでもない人たちですが、これは立派に猥褻行為に準ずるとして、都道府県で定める迷惑防止条例違反にて軽犯罪被疑者の部類に入れられます。ニュースで取り沙汰されることが多いので、重罪のように思われるでしょうが、拘留および罰金はあっても、懲役に行くまでには至りません。ただ、会社クビになるのと、妻子が去る可能性は大ですが・・・。

 

たとえば、道往く和服姿のきれいなおねえさんを無断で堂々正面から撮影、驚いたおねえさんが警察に通報しても逮捕はされません。

やって来た警察官は、通行人同士の些細なトラブルとして仲裁に入り、「嫌がってるからデータを消してはどうか?」と勧告するのみです。

もし、他人の姿を無断で撮ってはいけないという法律ができると、公共の場での自由な撮影は非常に難しくなります。

修学旅行生が東京駅で級友と記念写真を撮ることさえも憚られることになり、報道や国民の各種文化活動にも大きな支障をきたすことになるでしょう。

 

米国では、はっきりと、肖像権よりも表現の自由が優先されることを法律に定めているそうです。 つまり、街中で撮った写真や動画に見知らぬ人が写っていても、それをネットで公開するだけなら何らの咎めも受けないということです。ただし、商業利用する場合は、無断だと民事訴訟の要因となる可能性がありますが、これは「儲けるなら分け前出せ」ということです。

日本でも、ほぼ同じと考えてよいのですが、道徳的見地から他人の姿の無断撮影をするべきでないという認識が世間に浸透する過程で、無断撮影=違法行為という誤った解釈にすり替わったのだと思います。 戦時中の敵性語使用禁止と同じく、国家の発令だと、多くの人が思い込んでいたが、実は民間で勝手に発生し、広まった社会運動に過ぎなかった・・・これとよく似ています。

 

もちろん無断撮影を奨励しているのではありません。ただ、街の光景をカメラに収めたとき、そこにいる人々が写り込むのは当たり前のことです。その人々のすべてから許可を得ないと撮影してはならないという法律ができたとしたら、どうなると思いますか?

私はこの国にそのような間抜けな法律ができたら、他国へ移住するつもりです。

 

 


このページのトップへ


続・コンデジ考

それで、結局新しいコンデジはキャノンG7Xに決定。ネットオークションでの購入はやめて、マ〇プカメラに注文いたしました。

一応申し上げておきますが、ネットオークションでのカメラ購入はけっして安くはありません。保証もないし、専門家による点検もやっていないので、リスクが大きいと思います。苦い経験を申しますと、私がつかまされたRX100は再生品でした。分解してみて判明したのです。

落札履歴を辿って、相手の評価を詳しく見るとRX100の取引数が多く、他機種も含め、コンデジばかり取引した形跡があり、おそらくは若干の技術があり、ジャンク同然の品物を捨て値で購入してきては簡単に直して売っている転売屋なのでしょう。評価数の多い出品者には特に気をつけてください。

 

なお、一眼レフ用レンズも同様で、オールドレンズは特にご注意を。遺品整理で処分されたカビだらけのレンズを分解清掃して売っている輩がいます。サービスセンターとは技術的に雲泥の差がある素人に毛が生えたくらいの者が適当にやっているわけで、当然光学試験機も持っていないですからいい加減至極。そういうレンズはコーティングが傷んでいるのでまともな性能は期待できません。ついでに申し上げるとレンズの分解はそう難しくありません。全部で5千円くらいの工具類があればできます。私もガラクタで買ってきたカビだらけのオールドニッコールを分解清掃して使っていました。フレアがひどく、現在のデジタル用レンズとは比較にならないので結局捨てました。

 

カメラは今週中に届く予定です。主に撮りたいものは街の光景。G7Xは夜景に強いと聞いているので楽しみです。 いい写真が撮れたら皆様にお見せしたいと思います。

 

 

 

 


このページのトップへ


コンデジ考

私事で恐縮ではありますが、近々にコンデジを再び購入することにいたしました。 昨秋、RX100が故障。「コンデジはもう二度と買わない」と皆様の前で申し上げましたが、ふだん持ち歩くに、ミラーレス機はいささか重いし、鞄に入りづらいので、今一度コンデジをという結論に達した次第です。

 

世の中のいろんなものを撮って歩くのが趣味のひとつなので、カメラは常時携帯が私の習慣です。そこで、候補に挙がったのが、ソニーRX100M2とキャノンG7X。どちらも中古が4万程度で入手可能で、このあたりが出せる資金の上限です。絶大なる人気を博している単焦点28mm 、APS-Cセンサー搭載のリコーGRも考えたのですが、現在中古価格が高騰気味、4万では程度のいい個体が入手できません。それで、今のところはG7Xに傾いております。バリアングル液晶タッチパネルと望遠端の開放値f2.8というのが魅力です。24mm広角端での歪曲がひどく、多くのユーザーからダメ出しされているようですが、どうせ画を切り抜いて使うので問題じゃありません。

 

余談ですが、このクラスだと投稿画像の撮影に使用されても十分美しく精緻な画像を得ることができるでしょう。 それに動画機能も高度なので用途が広がります。小さな三脚と共に手軽にホテルに持ち込んで、撮影が終わったら、ご夫婦の行為を収録するのも楽しいじゃないですか。 一度検討の価値はあるかと・・・。

 

そんなわけで、またもや散財。我ながらあきれたものです。

 

 

 

 


このページのトップへ


百代の過客

新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 皆様ご存じとは思いますが、念のため読みを・・。

つきひははくたいのかかくにして、いきこうとしもまたたびびとなり

松尾芭蕉の「おくのほそみち」序文の冒頭一節であります。 この後に文が続きますが、そこは引用されることが少ないようです。

舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす

 

一休宗純が詠んだ、門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし こちらは中学の時に国語の老教師から教わりました。

当時はなんとふざけた歌だと思いましたが、さすがにこの年になると実感が湧いてまいりました。

 

今年も健康維持に努め、次の一里塚まで元気よく一緒に歩きましょう。

 


このページのトップへ


Gone with the wind

寒風と共に2016年は去って行きます。 来年は初投稿から10年になります。前に申し上げましたが、ずいぶん前から投稿写真は撮っておりません。今はすべて思い出の中です。 その思い出を折々に皆様に見て頂いております。まだまだ未公開の写真が残っておりますので、これからもお見せできると思います。 これまでに撮った面白い物や風景なども順次UPして行きたいと考えております。

 

大変お恥ずかしい話ですが、大晦日だというのに、自分の部屋の片付けが済んでおりません。ガラクタでいっぱい。気が遠くなりそうです。

 

では皆様、よい年をお迎えください。

 


このページのトップへ


スカートの奥

スカートの奥を覗く行為はよくないことですが、偶然見えてしまうことはよくあります。たとえば、客室乗務員の方とか。グレーの制服の某大手航空会社のCAはよく通路でしゃがむ姿勢をとられますので、たまに見えたりします。見えてもいいように黒のパンスト履いておられますけど。後は電車の中で居眠りしてる女性。靴屋の店員さんとかも。

それで、見えたからと言って、どうってことはないのです。大抵下着は普通のやつですから。 日本人女性は下着が見えるのを極端に嫌がるし、男性もパンチラなどと大騒ぎしますが、たとえばオーストラリアでは大して気にしてなくて、薄い生地のサマードレスが風で舞い上がって派手なパンティが見えても、「ワオ!」くらいでおしまい。恥じらいはほぼ無かったように思います。

 

妻は、私と出会った頃、小麦色の肌・・・端的に言うと真黒。おまけに色褪せたTシャツ、ジーンズというスタイルにて、色気とはほど遠い容姿だったのですが、意外に足首が細く、美脚であることがわかったのは「いかがわしい行為」をしてからです。

しかし、結婚してからは生活に追われ、30代半ばまで大変でしたが、ある日、街に買い物に出た時、膝上10cmのミニスカートを購入。

早速着用させると結構イケてる。で、後で入手の7cmヒールのグレーのパンプスと合わせたら無茶苦茶そそる。その恰好で街を歩くと道往く男性諸氏の視線ギラギラ。 髪をショートにしたのもその頃でした。銀のピアス。首にはストールを巻き・・・・すごく懐かしくなりました。

当時の妻は青いパンティをよく履いていたように思います。誰か知らない男性に覗かれたことがあるかも知れませんね。それもまた楽しからずや・・です。

 

この回から画像に「東亞寫眞タイムズ」の文字を入れます。

 

 

 

 


このページのトップへ


クリスマス・イヴ

今日はクリスマスイヴ。 でも世の中は相変わらず忙しく動いております。 クリスマスケーキの投げ売りが始まるのは25日の夕刻らしいですが、その日中に売れなかったら廃棄だそうです。なんともったいない話です。

 

我が家ではクリスマスケーキを買いません。夫婦二人で食べきれないからです。大抵は小さなケーキを2個買います。今年はセブンイレブンのザッハトルテでした。ほんの少しですが、会社から賞与を頂いたので、晩御飯は国産牛のサーロインステーキになりました。

ポタージュや前菜、デザートのフルーツでもあれば完璧ですが、うちではこの皿にライスが付くだけです。ステーキは180g程度ありますから、これでお腹いっぱい。 でも、こうして美味しい物が食べられるのも、この歳になっても働く場所があるお蔭です。これまでの人生で出会った人々への感謝と共に有り難く頂きました。

 

 

 

 


このページのトップへ


涙の季節

新卒で就職した年のクリスマスイヴは、東京のはずれの宿舎におりました。といっても旧陸軍の建物で、年代物。幽霊が出そうな場所でした。

 

宿舎にいる先輩、同僚たちとともに、クリスマスパーティーを計画、食べ物やビールを調達する軍資金は現場で出た廃材、残材を勝手に売り飛ばした代金。現場近くで無断伐採してきたモミの木に飾りを付け、立派なクリスマスツリー完成。・・・こんな作業は速攻。チームワーク抜群でした。 誰かがいつまにかサンタの帽子も入手していました。

ちなみにパーティー会場設営の総指揮を行った先輩は後に代表取締役に就任しております。泥棒集団のリーダーだったのに。

 

理不尽な先輩に、「男ばかりじゃつまらん。女の子探して連れてこい」と強要され、夕暮れの街へ。 思いついたのが、某電気メーカーの女子従業員寮。帰ってくる女の子たちに片っ端から声をかけ、無視されたり、断られたりした挙句、やっと応じてくれたのが九州出身の22歳。ちょっとポチャだけど、今陽子さんのような印象の目鼻立ちがきりっとした大柄な娘でした。彼女の仲間も数人参加してクリスマスパーティー開始。先輩自慢のサンスイでレコードをかけ、ダンスなど楽しむうちに、最初はしとやかだった女の子たちも、酒が進むとだんだん陽気になり、宴もたけなわの頃には本性が・・・。 酒に弱い私は隣室の破れたソファーに沈んでいました。 そこに陽子さん(仮名)が入ってきて、寝ている私に乗りかかり、冗談半分で腰を振り・・・彼女はレザーのスカートを捲り上げていました。もちろん真似だけで、実際に行為はしていませんが。体重がぐっとのしかかり、酒と女の匂いにクラ~っと来ましたね。パンストを通してぼんやり見えたビキニパンティは淡い紫色だったような気がします。

 

陽子さんとはよき友人となり、その後も交流がありましたが、いかんせん出張の多かった私はデートの機会をしばしば逃し、ついぞ疎遠になってしまいました。 しばらくして、彼女は職場結婚。しかし、1年余りで離婚して帰郷したそうです。早口の九州弁が可愛い、おしゃべりでよく笑う女性でした。今頃どうしてるのかなあと思うことがあります。幸せであって欲しいです。

 

 

 

 


このページのトップへ


浴衣

昨年冬からブログを掲載させて頂き、1年が過ぎました。拙文を読んでくださっている皆様に厚く御礼申し上げる次第です。 いろいろと書きたいのですが、ものを書くにはネタが必要です。それには体験が求められるわけで、旅行とか最適と思うのですが、行ったら行ったで存外つまらなかったりです。楽しみ方を心得てないせいかも知れません。

 

話は変わりますが、浴衣の似合う女優さんを挙げるとすれば、私は高峰秀子さんかなと思ってます。

木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」という映画で、離島の小学校の運動会のシーンにデコちゃんが浴衣姿で登場します。

これがすごくセクシーでして、おそらくは監督の計算づくだと思いますが、匂わんばかりの色気が伝わってきます。この時34歳。女盛りでありました。あの浴衣の下は絶対何も着けていなかったと確信しております。

 

私の妻も浴衣に限らず、和装のときはパンティなどという無粋なものは着けません。これは若い頃からの習慣です。娘がいないので、着付けを教える相手もいませんが、もしいたら、きっと、ノーブラ、ノーパンを勧めることでしょう。 どうでもいいけど、浴衣のお尻をクルッと剥いて、後ろから襲いかかるなんて、考えただけでもワクワクしませんか? でも、そこにパンティを脱がすという余分な工程があったら興ざめですね。私の場合。

 

 

 


このページのトップへ


散財

最初に買ったデジタル一眼レフはD40Xのダブルズームキットでした。18-55と55-200が付いておりました。

今考えると両方とも優秀なレンズでありました。 投稿画像には十分過ぎる性能であったのに、物欲にかられ、どんどん機種が変わり、ずいぶんな散財をしてしまいました。 もったいない話です。

変遷を経て、現在は富士フイルムのXシリーズに落ち着きましたが、その頃にはモデルが引退。撮る相手もおらず、写真は風景や街のスナップに移行してしまいました。どなたかモデルになってくれる女性はいないかと切望しておる昨今ですが・・・なかなか。

 

なお、購入した機材の数々は面倒なので省略しますが、最も気に入ったNIKONのレンズは35mmf1.8Gでした。この一本のみの使用でもNIKONを1台残しておけばよかったと後悔しております。

 

下の画像はD40X+18-55で撮りました。 元データは紛失。小さい画像しか残っていませんでした。改めて眺めてみると、結構きれいに撮れています。

 

 


このページのトップへ


旗袍

チャイナドレス。中国ではチーパオと呼びます。 元々はセクシードレスではなく、下にズボンを履いて着用していました。馬に跨るために裾が割れていたのだそうです。現在のような形は西洋人が考え出したもので、戦前の上海などのキャバレーで働く女の子たちにハイヒールと合わせて着用させたのだそうです。そういえば、ベトナムのアオザイもよく似たデザインで、下に薄くて軽いズボンを履いています。

 

また昔の話になりますが、国内のある地方都市に出張したとき、現地のお客さんに誘われて行ったラウンジというかクラブのようなお店はママを始め、女の子たちはみんなチャイナドレスでした。驚いたのはママ。素足にピンヒールのサンダルでしたが、チャイナドレスの下は何もつけてなくて、茶目っ気たっぷりにパッと一瞬前をめくって見せてくれたのは黒々としたデルタ地帯。

しかし、普通に歩いても絶対見えないのだそうです。事実、お客さんを見送るのに外へ出ていましたが全然平気のようでした。

パンティのラインが不細工なので履かないとのこと。 数か月後、一人で再訪したのは言うまでもありません。

もちろん、もっとゆっくり拝観させて頂きました。

 

 


このページのトップへ


日本では単純に「ホーム」と呼んでいますが、正確に言うと、「プラットフォーム」・・・台とか基盤という意味です。大勢の客を安全に早く乗せるために考え出されたそうで、特に通勤利用にとても役立つ存在です。

 

ところで、松本清張の「駅路」という小説をご存じでしょうか?ドラマにもなっています。 文庫本のあとがきに、旅先の駅の立ち食いうどんが美味いのは帰る場所があるからだ・・といったような記述がありました。 流れ流れて、あてどのない放浪者にそんな感慨は湧かないらしいです。 さて、その「駅路」の主人公は定年を迎えた銀行員で、妻を捨て若い愛人と残りの人生を楽しく過ごそうと計画の上失踪。しかし、悲しい結末が待っているのです。

 

清張先生の小説の多くは、ある種紀行文の趣があり、ずいぶんと旅情をかきたてられたものです。ほとんどの作品は10代の頃に読み倒しましたが、当時すっかり引き込まれてしまい、社会人になってからも、一人で鉄道旅行に出かけては旅の感傷に浸っていました。 何十年も前、北国の寂れた駅のプラットフォームにリュックを背負って立っていた若者の私。

 

あの頃は塗装の剝げた汚いPENTAX  SPを首からぶらさげておりました。会社の備品だったのですが、露出計が作動せず、重くて操作が面倒だと皆から嫌われて放ってあったので、私が拝借。辞める時に返却しようとしたら「ガラクタ置いて行くなよ」と課長が笑って言ったので、有り難く頂戴。50mmF1.8が付いていましたが、それも現場用には使いづらかった原因のようです。「ガッチャ」というシャッター音が今も耳に残っています。

 

写真は北陸本線の小さな駅で撮影しました。初冬の遅い午後でした。

 

 

 


このページのトップへ


哀愁のドイツ

少し間が空いてしまいました。海外出張もあり、しばらく忙しかったのです。

ところで、先頃、愛用のコンデジが故障。 ソニーのRX100を使用していたのですが、突然ブラックアウトになりました。修理に出すと莫大かかるので、このまま廃棄する所存です。中古2万で購入、半年の命でした。「安物買いの銭失い」の見本がここにおります。

出張先のドイツに持って行く途中だったので非常に残念でした。 しかし、もうコンデジを購入するのはやめておこうと思っています。

代わりに、手持ちの富士X-M1に単焦点18mmのパンケーキレンズを取り付けて持ち歩き用にする予定です。

それはともかく、結局カメラなしの外国旅行となり、写真はスマホのみ。大したことないと侮っていましたが、私のサムスン・ギャラクシーは結構優秀でした。(もちろん話題のノート7ではありません)

 

そのギャラクシーで撮ったのが下の画像。 デュッセルドルフ空港近くに宿泊しましたが、周辺は街中心部から離れた閑静な住宅地で、森の中の小川に沿って遊歩道が巡らされており、散策には最適の場所でした。 その遊歩道の脇にこの先生がおられました。

身長はジャイアント馬場より高く、こちらに歩み寄ろうとする姿に一瞬ギョッとしました。もし夜中に出会ったら腰を抜かすでしょう。

こういうセンス、我々日本人には理解し難く、国内でこんなもの道端に設置したら苦情が殺到するかも知れませんね。

 

気温は4℃。空は灰色。でも、日曜日の昼下がり、哀愁漂うドイツの晩秋をゆっくり楽しむことができました。誰もいない遊歩道、大音声で、バカの一つ覚え、シューベルトの「菩提樹」の一節をドイツ語で歌っていたら、散歩中の老人がいつの間にか後方から・・・。

にこやかな表情で後半を一緒に歌って頂きました。 「発音がいまいちだけど声はいいね」と、流ちょうな英語で寸評を頂戴。

握手と共に「ドイツを楽しんでください」と、おっしゃって去って行かれました。

 

Der Lindenbaum 菩提樹

 

Am Brunnen vor dem Tore,      市門の前の 泉の側、
Da steht ein Lindenbaum,      そこに一本の菩提樹が立っている。
Ich träumt’ in seinem Schatten    僕はその木陰で見たものだった、
So manchen süßen Traum.                     とてもたくさんの甘い夢を。

 

 

 


このページのトップへ


Mademoiselle de Paris

「パリのお嬢さん」というシャンソンの名曲があります。誰もが一度ならず聴いたことがあるかと存じます。メロディ聴いたらすぐわかるでしょう。ジャクリーヌ・フランソワがオリジナルを歌いましたが、私はジュリエット・グレコが好きです。 でも、残念ながらパリには行ったことがありません。シャルル・ド・ゴール国際空港で乗り継ぎしただけ。もう20年前のことです。 エール・フランスの地上職員がとても親切だったことを憶えています。ちょっと驚きましたけど。 とかくフランス人は意地悪と聞いていたので・・・。

大昔、初めて東京に出た時、「なんと東京者は意地悪で冷たいんだろう」と思いました。それとよく似てるかも知れません。南フランスの地方都市で暮らしたことのある人に聞いたことがありますが、人々は皆素朴で親切だったそうです。

 

それはともかく、まだの人はぜひ聴いてみてください。出だしはスローでやや哀調を帯びていますが、途中からパッと明るくなります。

パリで働く若いお針子さんのことを歌っています。おそらくは地方の出身なんでしょうね。昔、日活で和泉雅子さんが演じたような働き者の可愛い素朴な女の子が連想されます。 もっとも和泉雅子さんは江戸育ちですが。

 

パリのお嬢さん 訳詞

彼女はパリのお嬢さんと呼ばれている
暮らしぶりは僕等とたいして変わらない
行きつけの場所はリボリ街
デザイナーを目指しているのさ
まだ見習いだという話だし
一人前じゃないけれど
僕等が通る道に
花束や花飾りをたくさんまいてくれたっけ


このページのトップへ


異邦人

欧州では難民受け入れ問題が日々深刻になっているようです。移民の青少年犯罪は非常に多いそうで、暴力犯罪の多くは移民2世の不良少年集団によるものだと。 ドイツでは未成年の犯罪の多くに罰はなく、親が警察に呼び出され、引き渡して終わりらしいです。日本のように家裁送致、鑑別所、少年刑務所行きはめったなことではならないとのこと。 コンビニに押し入って店主を暴行し、現金を奪ってもです。

このような状況で移民受入拡大政策を打ち出して窮地に陥っているの今のドイツです。北欧の国々も似たようなものです。 ただ、まっとうな人も多くいて、何度かの欧州出張で利用した空港や交通機関、ホテルなどで親切にして頂いた多くの人々が有色人種だったように思います。

 

コペンハーゲンで一度、夜の街を歩いていたら、アラブ系の若い男二人組が近寄って来て、内一人が私の肩に手を回してニタニタしながら「どこ行くの?え?心配しないでいいよ。何にもしないから」と抜かしたので、睨み付け、「おい、汚い手で俺に触るなよ!」と怒鳴ったら、速足で去って行きました。さすがに肝が冷えましたが、ここで臆病な態度をとったり、懐柔しようと愛想笑いでも見せると相手の思うツボになります。彼らの目的は財布の中身です。皆さんも海外旅行に行かれた節は注意してください。当然、夜歩かないのが一番ですが、昼間でも遭遇することがあります。でかい声で応酬すると大抵は逃げますので、勇気を出して叫びましょう。もう一つの手は100ユーロ程度の金を渡してお引き取り頂く・・・しかし、これはさらに要求してくる可能性が高いのでお勧めしません。

 

写真はケルン郊外の街です。晩秋の日中ですが、どこか北海道帯広に似てるような気がしました。

 

 


このページのトップへ


食べ物写真

食べ物写真はしばしば批判の対象になりますね。「写真撮らずに早く召し上がってください」とか、某ラーメン店では注意するそうです。

私はどこでも撮ります。でも、一応断ってからにしています。料理にも著作権が存在しますので。

 

昔、イタリアのレストランで撮ろうとしたら、「ちょっと待って。料理長呼んでくるから」と・・・結局、料理長、ウエイター、近くの席のお客さんたちと料理が載ったテーブルを前に「ハイ、チーズ」。

 

これはオマール海老の何とかです。国内のホテルのレストランにて撮影しました。

 

 

 

 


このページのトップへ


アカシアの雨

小学生の頃流行った歌といえば、西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」。覚えやすい歌でした。

ただ、歌詞の意味はさすがに小学生には理解不能でありました。当時通っていた小学校は小さな川の横にありまして、そこは正確に言うと川の下・・・天井川という地形にて川床が運動場より上にありました。堤防にはニセアカシアがずらっと植わってて、何となく異国情緒を感じたものです。放っておいても早く育つので、洪水の後の補修時に再び堤防が崩れるのを防ぐために植えられたと聞いていました。

なお、日本でアカシアと呼んでいる樹木はニセアカシアです。「アカシアの雨がやむとき」のアカシアもニセアカシアだそうです。

 

そのニセアカシアが雨に打たれているのを見て、小学生が直観的に「アカシアの雨」の意味を理解したのです。

上手く表現できないけど、「ああ、そういうことか」と。その時感じたことは数十年経た今も変わっていません。

 

雨空と濡れた葉っぱ。陰鬱な気分。恋を失った女の心情がひしひしと伝わってまいります。私が死んだら、あの人は悲しんでくれるのか? 切ないですね。これを西田佐知子さんのセクシーな声とアンニュイな歌い方で・・・・小学生もシビれました。

愛称は「さっちん」。小顔でスレンダー、長身の彼女はアパレルや資生堂のCMにも起用された美女です。

 

しかし、さっちんの歌唱力もさることながら、曲のアレンジが秀逸です。特にイントロは胸に迫るものが。

         作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行、唄:西田佐知子
アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか

 


このページのトップへ


東京の灯よいつまでも

「東京の灯よいつまでも」という歌、ご存じでしょうか? 1964東京オリンピックの頃にヒットした曲です。覚えやすい歌詞と抑揚の少ないメロディなので、誰でも簡単に歌えます。コツは朗々と伸びやかに歌うことです。

就職して東京に出た時、新歓の二次会で連れて行かれた場末の飲み屋にて、流しのギターとアコーデオンの伴奏でNHKのど自慢よろしく歌うと、その場にいたお客さんたちから拍手喝采。涙ぐんでるおじさんもいたりして、とってもいい雰囲気になりました。 羽田が入った2番の歌詞がとても好きで、今も口をついて出てきます。

 

東京国際空港。コードはHND ここから何度飛び、何度降りてきたか覚えていません。海外へも飛びました。自分の中で最も慣れ親しんでいる空港です。成田より商業施設も充実しているように思います。東京にいた頃は暇つぶしによく行っていました。離着陸する旅客機を見て、エアラインと機種を当てるなど、ひとり遊びをしたものです。ロビーのレストランでカレーライスを食べるのも楽しみでした。

 

歌詞はネットでご覧になってください。youtubeで原曲も聴けます。新川二郎さんがやや鼻にかかった声で情感豊かに歌い上げています。 2番の歌詞だけ載せておきます。

 

花のくちびる 涙の笑顔 淡い別れにことさら泣けた

いとし羽田の あのロビー

ああ東京の灯よいつまでも

 


このページのトップへ


旅情

旅は好きですが、出張旅行はどうも面白くありません。それでも、海外出張の時は空き時間を利用して街を散策することにしています。
これまで訪れた街で最も印象に残ったのはスウェーデンのイェーテボリでしょうか。郊外にあるランドベター国際空港に深夜到着。

10数年前の2月のことでした。たった一人、酷寒の中を転がるように空港ホテルへ・・・。 その時は内陸へ100kmくらい入ったボロースという街へ所用があって行ったのですが、用が済んでイェーテボリへ戻り、半日だけ観光を楽しみました。青い空、路面電車と港の美しい光景。
冬の北欧の太陽は低い位置を移動するので非常に眩しく感じたのを覚えています。

 

これから行ってみたい場所は中国東北部。旧満州の旅に憧れています。旅順要塞も見学したいし、アカシアの大連も歩きたいと思います。できたら瀋陽、ハルビンも訪ねられたらいいです。その次がシベリア鉄道。ウラジオストクからモスクワまで1週間かかるそうです。私は偏屈なので真冬のシベリアを車窓に旅を楽しみたいのですが・・・。 ロシア語はわからないので困るだろうと思われがちですが、実際に行った人から聞いた話では何とかなるそうです。たしかに中国語が全然できなくても中国に出張していますが、いつも何とかなってて、困ったことはありません。もっとも、行くのはいつも中国南部の都市で、しかも大都会ですから外国人も多いので現地の人も慣れているのでしょうけど。

 

けっして金持ちじゃないけれど、外国のホテルの豪華なロビーのソファにどっかと腰かけ、コーヒーを頼み、文庫本でも読んでいると、束の間とてもリッチな気分に浸れます。長谷川海太郎という昭和初期に活躍した作家がおりまして、この方は林不忘の別名で「丹下左膳」を書いた人でして、知る人ぞ知る大衆文学の大家。夫婦で釜山、シベリア鉄道を経て欧州に旅をし、「新世界巡礼」という旅行記を遺しております。私はこの旅行記を青春時代に読み、非常な感銘を受け、「いつかは俺も」と思い続けてン十年。しかし、未だ実現を見ておりません。

 

 


このページのトップへ


VWビートル

ヒトラーの命令で開発されたそうですが、大人4人乗車できて、時速100km以上出ること、価格は1、000ライヒスマルク以下。

フェルディナント・ポルシェはこの難問を解決するため、米国フォードにも視察に行き、ヘンリー・フォードと会っています。不思議に思う方もおられるでしょうが、ヒトラーの反ユダヤ主義に共感を持つ人々が、後に敵となる各国にもいたそうです。

ちょっと脱線しますが、ユダヤ人の排斥自体は米英仏などが当初問題にしていませんでした。自国の利益と人道は所詮関係なかったのです。戦後ナチを犯罪者として裁くにあたり、ユダヤ人問題を持ちだしたのが真相だと言われています。もし各国にユダヤ人を助ける気があったら、早くから難民受け入れなどを表明したでしょう。実際はイタリアや日本がドイツの同盟国でありながら、ナチの意向を無視してユダヤ人難民を保護しています。 何と摩訶不思議な歴史の裏側ではありませんか。

 

難しい話はともかく、写真のモデルは1302Sかと思います。違っていたらごめんなさい。70年代に発売されたモデルで、皆さんが最も見かけた型ではないでしょうか。 未だにファンが多いですね。私も友人が所有していたので運転させてもらったことがあります。空冷エンジンがうるさいのと、クラッチがとても重かったのを憶えています。

 

ついでではありますが、「オデッサファイル」という映画の冒頭で主演のジョン・ボイトがVWビートルに乗って登場、カーラジオからニュースが流れ、ストーリーへと導く、スマートな手法を使っていました。

 


このページのトップへ


An eternal moment

妻撮りやめてから随分になります。かつて撮った写真を眺めては想い出に浸る今日この頃であります。

写真は一期一会。二度と同じ姿を撮ることはできません。永遠の一瞬だと、誰かが言っておりました。

ぜひ、奥様の”Eternal moment” をカメラに収めて想い出のアルバムに飾りましょう。

 

このところ、猛暑で頭が停止気味でしたが、涼しくなったら、ここでお見せできるような写真を撮って歩きたいと思っています。

 


このページのトップへ


フェラーリ

組織の金を盗んだ俺は念願のフェラーリを手に入れ、逃亡の旅へ・・・・こういう展開ってよく使いますよね。しかし新車の場合、在庫があったとして、納車までひと月くらいはかかりますので、映画のようにすぐに乗って出るのは無理。逃亡には使えないですね。 専門の人に聞いたことがあるのですが、逃走中等、急ぎの場合は、車検が残ってて、すぐに乗り出し可能な中古車を名変保証料払って購入するのが一番だそうです。昔話ですが、学校時代の教師の一人が夏休みにドライブ旅行、乗っていたポンコツスバルが東北でラジエーターパンク。現地購入の中古ブルーバードで帰ってきました。郵便貯金通帳と印鑑持っていたのが幸いしたとのことです。 

 

まあ、それはどうでもいいのですが、フェラーリに興味を持ったのは、「世にも怪奇な物語」という3人の巨匠の作品をオムニバスにした67年の映画を観てからです。フェデリコ・フェリーニ監督の第三話「悪魔の首飾り」で、主演のテレンス・スタンプが深夜のローマの街をフェラーリ330で飛ばしまくります。退廃的かつ破滅的な映画でしたが、疾走するフェラーリの雄姿と男らしい排気音に中学生だった僕はめちゃんこシビれました。 

 

たいそう憧れましたが、この人生でフェラーリに乗る機会はついに回ってきませんでした。今も中古で買った1300CCの国産車に乗っています。 

 

 


このページのトップへ


日蔭の花

歳をとると昔のことばかり思い出していけません。小学5年生の頃、仲良しの級友Mがおりまして、彼は北九州から転校してきた母子家庭の子供でした。Mの家は国鉄の線路脇に建つ古い借家で、周辺は臭気漂うどぶ川に沿って薄汚れた飲み屋と、安普請のボロ家が建ち並ぶドヤ街のような場所でした。母親はホステス。昼間は寝ていて、夕刻から仕事に出かけるという生活。 やや厚ぼったい唇、目のくりっとしたきれいな女が、薄紫のスリップ姿で畳に寝転がり、煙草くわえて週刊誌読んでたのを憶えています。30才くらいだったでしょうか。

 

ある雨の日の下校時、神社で雨宿りしていたMを見つけ、一緒に帰ろうと促したら、「まだ帰れない」と・・・。お客が来るので夕方まで帰ってくるなと母親に言われたそうで、困り切った顔。 せめて家の近くで雨宿りして待ったらどうかと提案した私はMを引っ張って、家の隣の倉庫前で雨宿り。通りかかった近所の若い男が声をかけてきました。二の腕に刺青が見えます。「かあちゃんは黒いのと仕事中だ」と、ニタ笑い。

 

彼は走って家の裏に行き、ベニヤ板を外して中を覗きこみ、私に手招き。 大変な光景が目の前に展開していした。素裸の黒人の大男が、同じく素裸のMの母親に覆いかぶさり、激しく腰を振っています。脚を高く上げ、何やら英語で叫ぶ母親。 驚いたなんてもんじゃありません。 興味津々で覗いていたら、後ろから肩を掴まれました。

 

青のワンピース、猫のような小さい顔の若い女性が雨に濡れて立っています。「あんたら、つまらんもの見てないでうちに来なさい」と、近くの小さくて汚いバーに連れ込まれ、店の奥の小さい部屋(3畳ほど)へ・・・。 お菓子やバナナジュースをもらって、テレビを観ることになりました。 猫嬢は店の準備をしながら泣いています。

でも、5年生の子供には奇異に映るだけ。 彼女も母子家庭で、高校に行かせてもらえず、母親が経営するこの場末の飲み屋を手伝わされている身。当時16歳だったことはずいぶん後に知りました。猫嬢は賢い女の子で、客の一人から薦められ、猛勉強で大検に合格。県立女子大を経て公務員に。

 

 

Mは後に猫嬢と結婚することになります。それはおいといて、Mの母親は彼が中卒で就職し、家を出るとすぐに行方がわからなくなりました。 あまり詳しく語れませんが、生きて再会することは叶いませんでした。Mによると、男と酒なしでは生きて行けない人だったとのことです。

 

Mは同じ地域で部品加工会社を立ち上げて成功。完全に区画整理され、すでにドヤ街ではなくなった場所の一角に家を建て、今も猫嬢とそこで暮らしています。孫が4人いるそうです。Mが持つただ一枚の母親の写真。そこにはセーラー服姿にショートボブ、凛として美しい女学生が両手を前に揃えて写っていました。

 

 

 

 

 


このページのトップへ


Ms. Sax blue

まだ学生だった頃、自宅近くに瀟洒な洋風の木造家屋があり、40代半ばと思しき女性が一人で住んでいました。

ある日のこと、町の小さな通りでその女性に声をかけられました。「ちょっとお願いがあるの」と。居間のエアコン(当時はクーラーと呼んでいた)が全然冷えないので見てくれないかとのことでした。(私ら兄弟が機械いじり得意なことは近所で周知)

 

古い米国製の窓用クーラーです。 電器屋に「わからない」と断られたとか。詳細省きますが、船舶電機屋の息子だった級友の伝手で部品調達、数日後に修理は完了。

その女性、ハワイ生まれの日系二世。(当時、私の在所ではそんな人が結構いました。) 戦後、親の故郷に帰ってきた人でした。 駐留米軍の軍人と結婚して再び渡米したものの、貧乏と暴力が原因で離婚。 帰郷して自動車部品輸入販売業の男の秘書兼愛人。 ほっそりした顔のわりに大柄で巨乳、後ろにひっつめた黒髪とややきつい面差しが印象的な美人でした。

 

お礼に手作りのランチをご馳走になり、いろいろお話を。 上等な革のソファで対面座り、お茶の接待を受けていたら、丈の短い麻のワンピースにて、脚を組み替える度に薄いサックスブルーのパンティがチラチラと。 当然思いきり硬くなって困惑。

その頃はすでに女性を経験していて、結構あつかましい私でしたが、さすがに年齢差も大きく、対象として考え難い状況ではありました。 股間の変化を目ざとく見つけた彼女は私の横に座り直し、にじり寄ってきました。逃げようとしたら、背後から絡みついて来て・・・中略・・・・当時の私は19歳の若者。いくら何でも母親くらいの年の女性となんてアブノーマルだと思い込んでいて、下半身ほど頭は素直でなかったのです。 この先はご想像にお任せしますが、夏の日の強烈な思い出となりました。

 

彼女の家はすでに取り壊されていて、時間貸駐車場になっています。 ご本人は過度の飲酒が原因で20年前に他界されたと聞きました。

 

 

 


このページのトップへ


昭和の遺産

ヤマハXS650をご存じの方、多数おられると存じます。最初はXS-1という名称で1970年に発売されました。

4サイクルSOHCのバーティカルツイン搭載。ヤマハ初の4サイクルエンジンでした。これは想像ですが、英国のトライアンフに範を得たモデルと考えています。

カワサキW1はBSAにそっくりで、メグロ時代から英国の香りを漂わせていました。

 

私はこのXS650もW1も一時期所有したことがあります。XS650のインプレッションを申し上げますと、車体剛性が弱く、特にフロントフォークが軟弱で、ねじれが発生しているような感があり、高速のコーナリングでは危険を感じるレベルでした。剛性ではW1の方がはるかに上だったと記憶しております。

 

おそらく、速度80km/h以下でのんびり走る分には問題なかったと思います。どちらにせよ、この排気量で2気筒だと振動が大きくなるので長距離は非常に疲れましたが。 余計ですが、彼女を後ろに乗せたら振動で逝ってしまったという与太話もあります。

 

写真のXSは長期間放置されていて、もう動く状態ではありませんが、ナンバーがまだ付いています。何らかの事情で処分されることなく時が経ったのでしょう。目を閉じるとエクゾーストノートが聞こえてきそうです。「ドドドド・・・」 

 


このページのトップへ


北ホテル

大昔の歌になりますが、内山田洋とクールファイブの「北ホテル」。この歌、今も大好きです。歌詞の内容はモロ不倫ですね。

もうやめようと思いながらズルズルと続くやましい関係。身に覚えのある方多数いらっしゃるかと。 何ともいえない焦燥感、罪悪感が伝わってくる秀逸な歌詞です。 

 

現在進行中の方に申し上げることは何もありませんが、過去に経験なく、これから不倫を試みようと計画しておられる方、悪いことは言わないのでやめておきましょう。

火遊びの代償はあまりに大き過ぎます。

 

北ホテル

作曲:猪俣公章
作詞:夢野めぐる

歌: 内山田洋とクールファイブ

 

1.いつまでもこのままで
 続くはずはないわ
 人の眼をさけながら
 かさねあう愛が

 遠くひびく波の音
 窓を叩く潮風
 これきりと言いかけた 唇が
 唇にふさがれる北ホテル

 

 

2.あの海を二人きり
 こえていける時を
 夢に見ていだかれた
 夜もあったけど
 ひよけごしにのぞく空
 むれてよぎる海鳥
 もういやとこばむ手も いつかしら
 熱い胸抱きしめる北ホテル

 遠くひびく波の音
 窓を叩く潮風
 これきりと言いかけた 唇が
 唇にふさがれる北ホテル

 

 


このページのトップへ


失われた季節

中学の同級生にK子という美人がおりました。容姿端麗+学業成績優秀。いわゆる才媛です。高校は県下有数の進学校へ。そして、都会の有名私立大を出て地元に戻り、中堅証券会社に就職。 その時つきあっていたのが私の親友Y。小学校からずっと一緒でした。正直妬ましかったです。Yは地元の国立大を一留で卒業し、やはり地元の信用金庫に就職。2年ほどして二人は結婚。 彼は気の小さい優しい男でした。

 

K子はその優しさにあぐらをかき、だんだんと自分勝手な行動をし始め、職場の同僚男性と遅くまで飲み歩くなど、おおよそ人妻にふさわしくない生活態度が目立つようになりました。そしてお決まりの浮気。相手は貿易業経営者。見込み客だったその男に食事を誘われたのがきっかけらしいです。服装センスよく、話上手。男前の30代半ば。当時子供っぽくて誠実だけが取り柄のダサいYとは大違い。すっかりのぼせたK子は、ある日Yに告げました。「私たち、お互い違う未来に進むほうがいいと思う」と。驚いたYは必死で説得を試みたのですが、聞く耳持たず。すぐに彼女は愛の巣を出て行きました。

 

離婚成立し、憔悴したYは信用金庫も辞め、行方不明に。 K子はその貿易商の男性と同棲。しかし、貿易商というのは形だけ。出身地の関西で事業に失敗。夜逃げして流れ着いた落ち武者で、実際は景品と便利グッズの訪問販売を掛け持ち、おまけに別れた妻子にも毎月送金していて火の車。K子の貯金もすぐに使い果たしてしまいました。そして、K子は客の預かり金を横領、警察沙汰に・・・親が全額弁償して示談に持って行ったので刑事告訴は免れましたが、証券会社は懲戒解雇となりました。 

当然、男とはおしまい。K子は失意とともに実家に幽閉。 (男はその後別件の詐欺容疑で逮捕されました。)

 

姿を消したYは東京の金融メディアで働き、その高い分析能力を評価され、外国銀行の投資部門にヘッドハント、とんでもない高給とりに。あの小心者だったYが自信に満ちた都会派のビジネスマンに大変身。驚きと羨望の私・・・神は不公平だとつくづく。

 

さて、K子ですが、男性不信と自責、後悔の念が入り混じり、長期に渡って極度のうつ状態が続き、自殺を恐れた家族によって精神病院へ送られました。 Yも生涯独身を貫くと心に誓っておりましたが、歳月を経たある時、偶然K子の状況を知ったYは実家に手紙を送り、「やり直してみないか」と提案。その時、双方とも30代半ばに達していました。「不道徳な行為は赦せないが、人は誰だって不完全だ。二人の失われた季節だったと思うことにする。どうしてもK子を見捨てることはできん。」とYは私に語りました。

 

K子は今も美人です。一昨年病死したYの面影を抱いて地元に戻り、ひっそりと一人暮らしています。夫婦に子供はありません。 

 

なお、この話は概ね事実です。掲載は主役本人の承諾を得てありますが、人物が特定されないよう脚色しております。

 

 


このページのトップへ


ファミリア

またまた昭和の話になりますが、職場のえらいさんと喧嘩して退職した私。まあ病気みたいなもんですね。

可愛がってくれた先輩がいて、上司が固く禁じたにも関わらず、同僚数人を誘って送別会をやってくれました。そして数年が経ったある日、先輩と再会。友人と会社を興し、昼夜問わず必死で働いてた頃です。「がんばってやってるんだね」と、優しい笑顔で再会を喜んでくれた先輩、その時重大な問題を抱えていました。 奥様がなんと二人の子供を残して家出。 原因は好きな男が出来たと。 

 

「けじめをつけたい。居場所はわかってるが、私の性格では男と対決無理だ。」。たしかにこの温厚な人に乱暴なことは無理だと思いました。 

それで、世話になった先輩に恩返しすべく、昼間の空き時間を利用して相手の男を捉えに。 と言っても、まずは喫茶店で穏便な話をしただけ。×1独身でカラオケマシンの営業やってる男でした。40歳くらいのちょい悪風。身なりはチープ。奥様は同じ会社でパートやってて深い仲に。家出は関係を夫に知られたためです。

男曰く「俺はテクニックが優れてるので女が離れない」と。 この時点でおしまいだと思いました。 「訴えられるよ」と言ったら、「100万くらいならすぐ出せる」と。

当時マツダファミリアの限定車が120万くらいだったでしょうか・・・・。 早い話、小型乗用車1台分。「その程度の値段か・・・」と呟くと、男「何言ってるの、それ以上出すんだったら返すよ」と。 それから奥様に連絡。別な場所で会って頂きました。「あなたのお値段は100万円。それ以上要求されるなら関係は解消すると男が言ってます。ご主人は100万で同意してます。早い話が商談成立ですけど、どうしますか?」と単刀直入に。 この奥様・・・大柄で派手な顔立ち、男好きするタイプ。 私でも心動きそう。

 

奥様はみるみる形相が変わり、超怖い顔に変身。 「私の値段、そんなに安いの?そんでもって売られるわけ?」 私は淡々と答えました。「ええ、新車のファミリアでもそれより高いです。」 いたくプライドを傷つけられ、完全に自分を失った奥様、そのままサッと立ち上がって帰って行かれました。 その後、すぐに男と奥様は破局。 

完全に目が覚めた奥様は先輩の元に帰ってきて土下座、夫から「ファミリア」を略して「ファミちゃん」と呼ばれるようになり、事情を知らない子供たちからも「ファミちゃん」と囃され、たいそう落ち込んでいたそうです。なぜ離婚に至らなかったのか? 「わがまま自己中心な妻がすっかり従順になり、粗略な態度をとらなくなったので、何かと都合がいい。新しい嫁もらって気を遣うのも面倒だし、しばらく様子をみることにした」とのこと。 驚いたことに、相手の男から「大変悪いことをした。これは子供たちへ」と50万送ってきたそうです。さすがに「使用料50万か」等の無礼千万な言葉はぐっとこらえましたけど。当然ですが、謝礼は固辞。

 

現在はネットで様々な情報を簡単に得られるので、不倫で訴訟を起こす人が珍しくありませんが、30年も前だと、弁護士に依頼すること自体一般的ではなく、多くのケースが泣き寝入りだったことを付け加えておきます。 それから、先輩ご夫婦、今も仲良く登山を一緒にやっておられると聞いております。

 


このページのトップへ


ACES HIGH

1969年の英国映画「空軍大戦略」をご存じでしょうか?原題は「Battle of Britain」。時は1940年。英仏海峡を越えて来襲するドイツ爆撃隊と護衛戦闘機を迎え撃つ英空軍。戦闘機のスタント、特撮が素晴らしく、公開から45年以上経った今でも十分鑑賞に耐え得るレベルの戦争映画です。ストーリーは実話をベースに構成されており、けっして英=善 独=悪のような子供っぽい内容ではなく、英国の空で戦う両軍のパイロットたちをクールに描いております。

 

戦闘以外にも見せ場が多く、オープニングでは画面いっぱいに、ユンカースJu52輸送機が現れると、行進曲「Aces high」が流れだし、やがて空軍基地に着陸したユンカースから国家元帥ヘルマン・ゲーリングが颯爽と降りてきます。前線視察のゲーリングと側近を乗せて飛行場を移動する軍用車の列、勇壮華麗な行進曲とともにオープニングクレジット。この圧巻のシーンに当時15歳の少年だった私はむちゃくちゃ感動したもんです。

 

それで、最も心惹かれたのは、女性空軍士官を演じたスザンナ・ヨークという女優さん。上半身Yシャツにネクタイ、下はガーターベルトにストッキングという姿。レースのパンティに包まれたお尻が何とセクシーなこと・・・過酷な戦争の中、基地近郊のホテルで空軍パイロットの夫との短い逢瀬を終え、勤務に戻る支度をしている短いシーンですが、元気いっぱい、好奇心旺盛な少年だった私は映画にならって、即対空戦闘準備完了に・・・。

 

口元がとてもコケティッシュな、可愛い顔の女優さんでした。 残念ながら、すでに故人となられておりますが。

映画に興味がない方もぜひ「Aces high」だけでもお聴きになってみてください。胸躍る素晴らしいマーチです。

なお、youtubeではLuftwaffe(ドイツ空軍)のマーチと紹介してあることが多いようですが、”Aces high”は、映画のために準備された英国の曲です。ゲーリングが登場するシーンで使われたので勘違いされたようです。

 

ゆう

 

 


このページのトップへ


Come prima

「コメ・プリマ」というカンツォーネの素敵な曲があります。 出会った頃のように・・といったような意味だそうで、イタリア語はさっぱりわからないのですが、カンツォーネ特有の朗々とした歌唱法が好きでして、聴いてるだけで、イタリアの伊達男がエレガントなマダムを口説いているシーンが浮かんできます。

この曲は1957年にリリースされ、トニー・ダララが歌っていました。

 

子供の頃にラジオで流れていた記憶がかすかに残ってて、大人になってから、大阪のイタリアンレストランでレコードかけていたのを聴いた時、無性に懐かしさがこみあげてきました。明るい曲なのですが、なぜか、心に沁み入ってくるものがあります。

 

私も妻と出会った頃に戻れたらなと思うことがありますが、妻の方は「出会う前に戻りたい」とのことです。

 

Come prima

Come prima,
più di prima t’amerò,
per la vita,
la mia vita ti darò.
Sembra un sogno
rivederti, accarezzarti,
le tue mani tra le mani
stringere ancor.


このページのトップへ


スワッピング

スワッピングの経験がおありの方もいらっしゃると思いますが、私たちは、はっきりとそうではなく、疑似夫婦交換なら経験があります。

妻が仕事で知り合った、ある紳士、当時50年配・・・教養、地位、資産とも備え、私と比べるとアフガンハウンドと雑種の野良犬くらいの差は十分。その方が妻をいたくお気に入り。堂々奥様との交換デートを申し入れてきました。かなり驚きましたが、費用はすべてあちらで持っていただけるとのこと。 面白そうなので応じることに。 もちろんお食事とドライブ程度。手をつなぐのまではOK。

 

当日は駅で待ち合わせ。相手の奥様が運転してきたVWゴルフを私がハンドル握り、予約制の和食レストランへ。シフォンのワンピースがよく似合う奥様はやや太め、上品で爽やかな印象の美形でした。 お嬢様がまんま熟女になったような感じ。

 

食事の後はドライブへ。海沿いに走り、隠れ家カフェーで談笑。楽しい一日を過ごしました。 何もなかったか?砂浜に降りて、手をつないだら奥様が強く握り返してきたので、抱きしめてキッス。 明らかに違反行為です。 互いに黙っていようと固く約束。 紳士と妻は手はつないだが、それ以上のことは断じてなかったと明言。 しかし、最近になって教えてくれたのは、私たちと似たようなことを彼らもやっていて、ホテルへ行こうと誘われたが、さすがにそれは固くお断り。紳士は潔くあきらめてくれたそうです。 「なんだこの野郎」と、今頃腹立つのは嘘つかれたことで、妻が唇を奪われたことではないのです。しかし、冷静に考えると、あの奥様とホテルへ行っても紳士は怒らなかったし、先方はそういうことも想定していて、夫婦間で了解していたような気がします。そういう露骨なことは口にしない人種だったのです。 「察しろよバカたれ」・・・貧乏人はこれだからダメなんですよね。 

 


このページのトップへ


Mature beauty

私が30才くらいの時のことです。仕事で取引先を訪問。用件を済ませ、帰ろうしたら、年輩の女性事務員に呼び止められました。「おたくの〇〇さんに部品を頼まれたから持って帰って」と。部品は倉庫の棚の高いところにあるので自分で取って欲しいとのこと。 案内されたところは木造のレトロな建屋。誰もいません。

棚に付いてる梯子を登り、部品を持って降りてきたら、女性事務員が微笑んでいます。おそらく当時50はとうに過ぎていました。ヘアは染めておらず、シルバーでしたが、小顔で酒井和歌子さんの目を少し細くした感じ。スレンダーで背丈もそこそこあり、なかなかの美人。何かがプツンとはじけ、気がついたら抱きしめていました。

 

「こんなとこじゃダメ」といいつつ、ディープキッス。「下着が汚れるから」と弱い抵抗。目はうっとり。 私は調子に乗り、タイトスカートのファスナーに手をかけようと・・・そこで我に返り、あわてて離れました。相手も「いやだぁ、恥ずかしい!」と顔を押さえ、服装を直しながら先に出て行きました。

 

それからしばらく経ったある日、その会社を訪れると彼女は辞めていました。母親の介護を理由に退職したのだそうです。私に書類を返しておいてくれと大封筒を後任者から受け取りました。中身はどうってことない仕様書でしたが、可愛いデザインの小さい封筒が入っていました。開けるとB5の便箋に「ありがとう。本当に短い時間だったけど、自分が女だったことを思い出せてうれしかった」と。 その女性、同じ職場に勤めていたご主人を40代初めに亡くされ、子も無く、再婚もせずだったそうです。その後はどうしておられるのか。どうかお元気でと願っております。

もう時効だから書きましたが、女性の魅力に年齢はまったく関係ないと、その時に気づいたのです。

 

 

 


このページのトップへ


東京サタデーナイト

香港映画「ファースト・ミッション」のエンディング曲「東京サタデーナイト」はジャッキー・チェンが日本語で歌っています。もう30年以上前の作品です。当時、日本は香港映画の大顧客でした。同じ東洋人が活躍するというところが共感を呼んだのでしょうが、それ以上にジャッキーが普通の日本人と背丈が変わらず、鮮やかなアクションに加え、フレンドリーで愛嬌もあって、大人から子供まで幅広く受け入れられたからだと思います。

映画のストーリーと曲は何の関係もないのですが、映画制作に日本の音楽関係者が幾人か参加しているようですから、日本市場に相当肩入れしていたことが伺えます。

 

最終便って、キャセイの香港行きでしょうね、きっと。 今は羽田から飛び立っています。

歌詞の内容からして羽田でないと絵になりません。 夜の羽田は私も好きです。空から東京の夜景を観たことは数え切れずありますが、国際線で夜飛び立つときは何か感じるものがあり、ついこの曲が口をついて出てきます。伴奏のアレンジも素晴らしいです。ぜひ聴いてみてください。

 

 

 

東京サタデーナイト

作詞、作曲 美樹克彦

編曲 竜崎考路

歌 成龍(ジャッキー・チェン)

 

東京サタデーナイト 小雨の空港
最終便が 今頃 愛を乗せて 飛び立つのさ
突然あなたは 背中を向けて 今夜発つと 小さく肩ふるわせた
空の上から 見えるだろう 涙のような 東京の街の灯が

東京サタデーナイト 嘆きのブルース
淋しく部屋の 片隅 夜空見上げ 口ずさむよ
胸の底から 込み上げてくる 恋の終わりを告げる 熱い想いが
叶わぬ恋と 知ったけど 運命のままに 流れていたかった

サイドシートが 冷たく光る 一人ぼっち あてもなく走るのさ
今夜の雨は 涙雨 心にしみる さよなら恋人よ

 

 

 

 


このページのトップへ


実話

妻のかつての友人の話。もう時効だから書かせてもらいます。その方に初めてお会いしたのは20年以上も前、当時アラフォーの小柄な美人でした。亭主と上手く行っておらず、離婚を考え、再婚相手を探しておられました。でも、それは男を探す口実だったようですが。彼女、見た目はしとやかな印象。でも、それは表の顔。 目をつけた男・・・特に高学歴に弱かったようで、医師や士業の男性がお好きでした。 

 

会ったその日に股間に手を伸ばし、送ってもらう車の中でフェラ。なんでそんなこと知ってるのか? それは・・・・私もご相伴に預かったので・・・いいじゃないですか、まあ、それも時効ですから。 ともかく、荒っぽい手段で男を陥落させようと思ったのです。 寝た相手は数え切れず。でも、それはあらゆるところで裏目に。相手の男のほうが何枚も上手。 学歴を偽った男にただ乗りされるなど、問題多々。 どうしてもっと自分を大切にしないのか・・・叩けば埃の私が言えるセリフではありませんが、女性は蝶のように簡単に捕まえられないから魅力的なのだと知って欲しかった。 

 

結局、再婚相手が見つかるどころか、愛人にもなれず。未だに亭主とは別れていません。それどころか、同じ屋根の下です。 ある時、妻に再婚相手の候補を見て欲しいと誘い、行ってみたら嘘。質のよくない危ない合コンで、相手の男たちは妻を誰がヤるかで揉めはじめたそうです。妻は「喧嘩しないで~」とにっこり。トイレに行くふりして逃げだしたら、後で鬼電。「大恥かかせた」と。それでも根っから嫌いにはなれず、数年前まではつきあいがあったそうです。 私から見ると、綺麗で優しくてお人よし、よく気のつく女性でした。ランチバイキングで座ったまま、私に食べ物を集めろと堂々命じる妻とはえらい違いです。

 

 

 

 

 


このページのトップへ


鄧麗君

鄧麗君(テン・リーチュン) ご存じと思いますが、日本ではテレサ・テンとして有名な歌手です。

気管支喘息の発作が原因で世を去ったと聞いております。享年42歳。訃報を聞いた時、とても悲しい気持ちになりました。

彼女の曲で好きだったのは、母国語で歌った「何日君再来」と「月亮代表我的心」、です。日本語だと「ふるさとはどこですか」がお気に入りでした。ふっくらと愛くるしい顔だち。ビロードをこするような高音のセクシーボイスがたまりません。

 

「何日君再来」は中国語で歌えるようになりたいと思いましたが、発音が無理。フーリーチュンンツァイライと聞こえるのですが、知り合いの中国人の前でこのくだりを歌ってみたら「違う」と言われました。意気の吐き方、吸い方があるようです。

 

中国語圏はほとんど行きましたが、中国本土、香港、マカオ、シンガポール。それらの国々で鄧麗君を知らない者に会っていません。そんな大スターは亡くなる前年に訪日、NHK番組のステージに立ち、「夜来香」を歌唱しましたが、往年の輝くアジアの歌姫はそこになく、まったく精彩を失い、実際の年齢より10も老けて見え、声も全然出ていませんでした。そのショックは忘れられません。非常に個人的な意見ではありますが、日本に定住して活動していたら、彼女はもっと幸せで、長生きできたような気がします。

 

私はオールバックのショートヘアーにスーツ姿で歌う彼女が一番好きでした。また、「テレサ・テン」よりも「鄧麗君」という名のほうが、はるかに素敵だと思っています。

 

画像は本題と全然関係ありませんが、香港ノワールみたいな感じで。 

 

 

 


このページのトップへ


When will you return?

何日君再来 亡き東洋の歌姫も素晴らしいですが、この歌はチョウ・シュアンという美人歌手が歌ったのが最初だそうです。写真も映画フィルムも残っていますが、とてもチャーミングな女性で、明星という言葉がぴったしあてはまります。

 

ところで、今日の画像はチャイナドレスです。元の写真は暗く、ノイズだらけだったので、ポスタライズしました。髪をハードなジェルでサイドバックに固め、香港の映画女優さんのようなイメージで撮ったつもりだったのですが・・・・。 

 

 

何日君再来

歌 鄧麗君        

 

好花不常开,好景不常在。  

愁堆解笑眉,泪洒相思带。  

今宵离别后,何日君再来?  

喝完了这杯,请进点小菜。   

人生难得几回醉,不欢更何待!

 

 


このページのトップへ


露営

以前、ちょくちょく低山ハイクに出かけていた頃の道具です。カメラはアクセントですから気にしないでください。

カップはシエラを使っていたのですが、どこかで紛失したので、キャプテンスタッグの物を撮影に使いました。

青いストーブはコールマンのピーク1です。おそらく90年代後期製品と思われます。友人からただでもらった時は錆だらけで点火もしませんでしたが、修復して元気な姿になりました。冬季でも、激しい風雨の中でも頼りになる相棒です。もっとも、重いので途中からイワタニのジュニアバーナーに代わり、引退しましたが。

水筒はミズノの1.5㍑のレア物で、ショルダーベルトが付いています。これは80年代に購入しました。

 

お弁当箱のような容器は飯を炊いたり、レトルト食品を温めるのに使っていました。小さい容器ですが、1.8合の炊飯が可能です。後はツェルトと寝袋があれば、冬季以外ならどこでも野営が可能です。ウォッカまたはウィスキーの小瓶と、湯を注ぐだけのドリップコーヒーもリュックに放り込んでおけば、ひとりぼっちの長い夜を楽しく過ごせます。それと、ヘッドランプとラジオは必須アイテムでした。これらがないと、怖くて眠れません。なんせあたりは真っ暗ですから。 闇の静寂の中、ラジオの漫才聴いて、一人でゲラゲラ・・・・異様な光景ではあります。

 

朝起きて、爽やかな微風の中、湯を沸かしながら7時のNHKニュースを聴き、クロワッサンにコーヒー、渓流で冷やしておいた夏ミカンの缶詰(380円もする)をゆっくり味わった後、マルボロを一服。至福の時間でありました。 皆さんにもお勧めしたい、お金のかからない私流のアウトドアです。

 

 

 


このページのトップへ


Make a play

どこかで偶然出会った、きれいな女性を口説いてみたことはありますか? 私はそんな勇気はありません。

こんな冴えないおっさん絶対もてるわけないと自覚しています。 ただ、若い時分の経験では女性といろんな関わり方がありました。

しかし、口説こうとしたわけではなく、下心は皆無でした。結果として関係が生じたり、それに近い出来事があっただけです。 

年輩者によく見られる、女性にまつわる武勇伝、簡単に言うと自慢話。床物語詳細を延々語るあれです。

これはご自分が為し得なかった夢を話しておられるのだと解釈することにしています。実際にそのようなことをやっていたら、とても他人に話せません。

どうしてそんなこと断言できるのか?・・・・語るに落ちるのでここらへんでやめておきますね。 

 

 

 

 


このページのトップへ


ハイヒール

床がやや汚く見えますが、拭いてもこれ以上きれいにならないのです。先に言っておきますね。

ところで、私はハイヒールとフレアスカートの組み合わせが最もセクシーに感じます。タイトスカートも恰好がよいと思いますが、フレアのような危なっかしさには欠けます。 昔、よく遊びでやったのが、フレアのミニワンピースにノーパン、ハイヒールサンダルで夜のドライブに出かけるというやつで、今考えると、事故にでも遭って病院に運ばれたら大変でした。「おい、履いてねえよ」と救急隊員の声が・・・それより前に他の通行車両から丸見えの可能性だってあり得ます。

 

そういう恐ろしいことはやめましょう。よゐこは真似してはいけません。

 

なお、時々ブログを削除することがありますが、顔のはっきり見える写真を使ってる場合は、短期間で消すことにしておりますので、どうぞお赦しください。

 


このページのトップへ


Tバックショーツ

 Tバックショーツに惹かれたのは米映画「氷の微笑」でマイケル・ダグラスが女性のドレスを捲り上げ、Tバックショーツを横にずらしてエッチするシーンを観てからです。

それからすぐに、五反田のランジェリーショップでブラ、ガーターベルト、Tバックの3点セットを購入、妻に贈りました。歩くときに違和感があり、長時間着けているのは無理だとの感想でしたが、夜、出かける時はそれでもよく着用していました。 そういえばバレエのインナーショーツは昔からTバックです。あれは痛くないようですね。

なぜ、知ってるかというと、以前にこのブログで書きましたように、若い頃少しの間つきあった年上の女性がバレエやってて、稽古用のインナーをよく部屋の中に干していたからです。ただ、その頃は「変なパンティだな」と思った程度で、それ以上の興味は湧きませんでした。 

 

これは友人の経験ですが、知り合って間のない恋人をホテルに誘い、彼女のTバックを脱がせたら××××にあたる部分に〇〇〇が付着していたのを見て瞬間に萎えたそうで、まあ、このような事故もありますから、ご留意のほどを。 大変失礼しました。

 

 

     

 


このページのトップへ


The darkness in Asia

昔、よく聞いたセリフで、「香港かマカオに売り飛ばしたろか?」というのがありましたが、実際、日本から売り飛ばされた女性がいるのかどうか疑問です。 香港は何度か訪れましたが、魔窟のような場所は九龍城が解体されて以来、無くなったようです。

あるいは香港島のどこかにそんな怪しい場所がまだあるのかも知れませんが、危険な印象は微塵も感じられず、神戸や横浜を歩いているのと同じような感覚に陥ります。 時と場所は申し上げられませんが、その昔、知人が新婚旅行で訪れた東南アジアの某都市で、新妻が行方不明になる事件に遭遇しております。

僅かな品物を買いに、ホテルから数十m離れた商店に出かけたまま、忽然と姿を消し、以来30数年経った現在も消息がわかっておりません。 彼女はアジアの闇に吸い込まれてしまったのでしょうか。 

 

こういうケース、国内で起こったとしても、警察の捜査対象になるのは困難なように思います。身代金要求があったり、血痕や争った跡など、具体的証拠がなければ警察は動きません。それでなくても失踪人は大勢いるのですから。 現地警察は「見つかったら連絡するので、日本の連絡先をここに英語で記入して」とだけ言い、それ以上はとりあってくれなかったそうです。

 

真実は永遠に闇の中。 どこかで平和に暮らしておられることを祈るのみです。

 

 

 


このページのトップへ


太陽はひとりぼっち

アラン・ドロン主演1962年の映画「太陽はひとりぼっち」のイタリア語の原題は”L’eclisse”となっており、「日蝕」と訳すのが適当かと思います。 

人生の翳りを表現しているのかもしれません。共演はモニカ・ヴィッティという、イタリアの美人で賢そうな女優さんです。映画は不毛の愛を描いています。 

学生の時に場末の三流館で初めて観ましたが、もっと大人になってから観たほうが、ストーリーをより深く理解できたことでしょう。 

しかし、テーマ音楽はリズム感に溢れたかっこいい曲でした。あれから何十年もずっと耳に残り、今もギターとアルトサックスの音色が頭の中を駆け巡っています。 

ところで下の画像ですが、かつてモデルの同意が得られず、投稿不許可となった作品です。今回ポスタリゼーションにてブログ掲載可となりました。 

生画像をお見せできず、大変残念です。

 


このページのトップへ


家撮りのすゝめ

連休だというのに、こうして家にいてブログ書いてます。どこか行けばよいのですが、並ぶのが嫌いだし、金使って疲れるのが嫌で・・・・早い話、金が無いだけですけど。(早く言えよ!)

 

今はもう投稿画像の撮影は行っておりませんが、過去の画像の多くは自宅撮りでした。 ホテルで撮影するのもよいですが、いろいろ荷物も持ってかなきゃいけないし、準備が大変です。それにお金かかるのがいけない。 

たしかにホテルの調度品はおしゃれな物が多く、ベッドも美しく整えてあります。でも、はずれも結構あって、がっかりしたケースも多々あります。パンフレットの写真をうかつに信じてはいけません。

 

そんなこんなで家撮りがほとんどになりました。 写真は写る範囲だけしか背景が要りませんので、じゃまな物をどけるだけですぐに準備完了です。 私はそこまで考えが至らなかったのですが、ホテル代を払う代わりに花を飾ったり、おしゃれな小物を買ってきてアクセントにしたら、素敵な写真が撮れそうな気がします。 連休はどこも行かない、あるいは行けない方、ぜひ家撮りで遊んでみてください。 浮いた費用で牛肉買いませんか?


このページのトップへ


撮影の心得

各掲示板に日々投稿される作品の数々、どれも素晴らしく、センス、技能ともに優れた方が次から次へと・・・それに比べて私の写真は進歩がないこと・・・・いやはや赤面しきりです。 それでも毎回見てくださってる方がいらっしゃるとお聞きしまして、大変うれしく、改めて厚く感謝申し上げる次第です。 

 

さて、その進歩に乏しい私が撮影の際に心がけているのは、短時間で済ませる(最大1時間。それ以上かかると、モデルはいつの間にかテレビの前にどっかり。)と、1度にひとつのテーマ(欲張らない。企画倒れになるだけ) モデルに指示、命令するような言動はしない。(低姿勢でお願いしないと、怒って即時撮影中止になるので)の3点です。

 

特に三つ目ですが、以前、街の大きな公園の片隅で、明らかに投稿用撮影を行っているご夫婦(子連れ)を見かけました。ボディコン+ハイヒールサンダルの奥様を、でかい声で「そうじゃないって!」と怒鳴ってるご主人。不安な表情の子供。奥様の表情は困惑と怒りに・・・・。 三脚とアルミケースに、たぶんEOS5D。相当気合い入ってましたが、しかし、怒鳴ってまで写真を撮る必要が・・・。 

 

それから、屋外で撮るとき、もし最適なロケーションが見つからないなら、あっさりやめることにしています。遠出した時でも同じです。天気が悪かったり、思ってたのと違った、つまらない場所だったり。やたら人が多くてチャンスが無かったり。そんな時は「何か食べて、お土産買おうか?」で、おしまい。 投稿のために撮るんじゃなくて、いいのが撮れたら投稿ということにしていました。 以上、何かの参考になれば幸いです。

 

 

 


このページのトップへ


若葉の頃

「若葉の頃」という、ビージーズの名曲がありました。原題は「First of May」 歌詞もメロディもすごく繊細で美しい曲です。ビージーズ、ギブ三兄弟の双子の弟たちはすでに他界し、長男のバリー・ギブだけになりました。長い時を経てなお、彼らの歌は私の心を揺さぶってくれます。少しも古さを感じさせません。たしか、バリー・ギブのヴォーカルと思いますが、素晴らしい美声と歌唱力に感嘆します。 まだの人はぜひ聴いてみてください。

 

それから、この写真ですが、ずいぶん前の若葉の頃に撮影しました。カメラは何を使ったか忘れました。

これもまた遠い思い出になりつつあります。

 


このページのトップへ


願望

和装の女性って素敵ですよね。去年だったか、京都へ出張した折に近鉄京都線の車内でお見かけした着物姿の若い女性。いやあ、マジで撮らせて頂きたいと思いました。もっとも、近頃は挙動言動に注意しないと、あらぬ疑いをかけられますので、断念したのは言うまでもありません。

 

それで、和装へのあこがれの根底には、たとえば裾を捲り上げて・・・などと不埒な発想があるわけで、それは皆さん同じと思います。美しいものを蹂躙する悦びとでも申しましょうか。尊敬する団鬼六先生の作品に描かれるようなセレブ奥様の乱れた姿が浮かんできますね。 しかし、実際には着物を脱がせるのは結構大変で、汚してはいけないし、皺になっても困るので、展開スペースの確保も求められ、非常に面倒な作業になります。髪の毛をセットしていたらもっと大変です。 ラブホでは着付けしてもらえるところがあるようですが、シティホテルでは普通は無理な話。知人のホテル支配人から聞いたのですが、デイユースでやってきたカップルから頼まれて、着付け専門の人を外から呼んだことがあるそうです。女性は某有名企業の美人重役だったとか。

 

もし、幸運にも和装の女性と性交するような状況が生じたら、小用を足すときと同じように丁寧に裾を捲り、立ち姿勢にて後ろから攻撃のみとしたほうが無難です。くれぐれも汚さぬよう気をつけてください。

 

 

 

 


このページのトップへ


自粛は美徳?

被災者の皆様に遠慮して、いろいろな楽しみを自粛することが美徳か礼儀のように考える人が結構おられます。日本人の多くが仏教徒だからかもしれません。ずっと前から計画していた家族旅行をとりやめたとか、レストランでの贅沢食事会を中止など。さらにはテレビの漫才番組が不謹慎だとか。消費を控えたら経済活動の停滞につながり、ひいては被災地への支援に必要な資金を調達できなくなるおそれもあるし、被災者の皆さんもテレビやラジオで震災関連の報道や特番ばかりだったらうんざりでしょう。

笑いも届けてあげたいと思いませんか? 人の生活には潤いが必要です。ここに投稿することもそのひとつではないでしょうか。 現地ではすでにネットが復活しているようです。安否がわからず、心配していた知人からメールの返事が来ました。

 

皆さん、「妻をプロデュースする」を楽しみに観ている人々が被災地にもきっとおられると思います。

災害がもたらした不便な生活に、あなたのヴィーナスが小さな花を落として、被災者や関係者を元気づけて差し上げることがあっても、不謹慎な行為では絶対にありません。ぜひ続けての投稿をお願いします。 自粛は支援、応援とは逆の行為というのが私の持論です。

 

 

 


このページのトップへ


震災によせて

熊本の震災で亡くなられた皆様に心から哀悼の意を捧げます。

災害列島日本は過去、地震、火山の噴火、台風、津波。豪雨等々で多くの犠牲者を出しています。

そのたびに見知らぬ人々同士が助けあって困難に立ち向かってきたのです。

 

災害が起こるたびに、公平でない被災者支援や迷惑ボランティア、役に立たない支援物資の山が問題になります。これらはすべて偏った報道のせいだと思いますし、他人の困りごとへの意識の低さも関係するかもしれません。 水や食料はお金を出せば買えます。物資不足に陥っている原因は品物があるところまで行くことができないということです。 阪神の震災の時は勤務先の指示で神戸の同僚たちに支援物資を届けました。そこで気づいたことは、隣の明石市は無傷で、まったく普通にコンビニもレストランもGSも営業していたのです。 単にひどい交通渋滞と規制のためにそこまで行くのが容易でないということでした。 災害は破壊だけでなく、人と物の移動に大きな支障を与え、日常生活を危機に陥れます。

 

救出作業や倒壊家屋の撤去、道路、施設の修復はプロでないと無理ですが、個人が収入の一部を義捐金に差し出すことは非常に簡単です。それは、何をしていいかわからない状態で現地に向かうよりはるかに賢明な行為です。私はTポイント、クレジットカードのポイント全部を寄付しました。週末には改めて募金に行こうと思っています。皆さんもぜひ昼食1回分あるいは居酒屋1回分ご寄付の検討を。

 

 

 

 


このページのトップへ


スカートの奥

胸ときめくスカートの奥。私の場合はハイヒールパンプスとセットでないと、ときめきません。これは学生の頃に梶山李之先生の作品を読んでフェティシズムに目覚めた時からずっとです。 

 

20数年前のことですが、出張中に南海高野線のとある駅で、反対側のホームにいた、30歳くらいと思しき赤いハイヒールの美人、ベンチに腰かけて見事な美脚を組んでいました。夜遅くて他に誰もいなかったこともあり、お調子者の私は「とてもお綺麗な脚ですう!」と大音声で呼びかけました。すると彼女は、はにかんだ笑みを浮かべ「脚だけぇ?」と、高くよく通る声で応じてくれました。

「いえ、もちろんお顔は脚以上です!」。 そこに電車が入ってきたので、彼女は「ありがとう」と口を動かし、手を振って見えなくなりました。 

 

 

 


このページのトップへ


外国旅行

皆さんの中には、遊び、仕事を問わず、しゅっちゅう海外に行かれてる方がいらっしゃると思います。私もずいぶん海外に行きましたが、そのほとんどが仕事。しかも長くて2週間の短期滞在です。ひどい時は3日というのもありました。遊びで行ったのは最初の海外旅行で、オーストラリアでした。40年近く前のことです。今はどうだかわかりませんが、当時のオーストラリアは古い車がたくさん走っていました。農作業用のトラックなどは戦前の物も使われていて、親から譲り受けて大切にしている印象でした。 日本車でよく見かけたのはマツダでした。カペラが多かったように思います。タスマニアでヒッチハイクして乗せてもらったのがファミリアX508。 

 

当時の日本はすでに消費大国でしたから、家電やモータリゼーションの普及に関しては非常に進んでいました。デパートの品ぞろえも問題になりません。衣食の豊富さは今でも日本はトップレベルだと思いますが、ともかく、オーストラリアは質素な国という印象を受けました。ただ、住宅事情だけは完全にあちらが上でした。日本では汲み取り便所が当たり前で、下水道の整備は大都市だけ。きれいなおねえさんがトイレ臭漂う木造アパートの四畳半一間から都心のオフィスに通っていたのです。初めての外国旅行で南半球の農業国を訪れ、我が国の「見せかけの繁栄」を痛感した次第です。 

 

帰国して、東京駅八重洲口近くの店で食べたカレーライスが美味かったことを今でも覚えています。「海外に住んだら、こんなの食べられないな。やっぱし日本がいいや」とつくづく思いました。

 

 

 

 

 


このページのトップへ


想い出のコールマン

以前、コールマンの502というガソリンストーブを所有していました。それは、20年前に粗大ごみ置き場で見つけたものです。本を読みながら自分でレストアしました。工具とパッキンを自作し、燃焼部の真っ赤な錆は「ナイス」というトイレ洗剤で落とし、ようやく点火に漕ぎつけた思い出があります。美しい青の焔に感動。それがきっかけで、508や小型のピーク1、2バーナーの413などの中古を次々と入手、すっかりはまってしまいました。最近まで持っていたのですが、もう子供もいないし、キャンプなどやらないので、思い切って売却したものの、時折後悔の念が頭をかすめております。

 

なお、極寒や強風の中ではガソリンストーブは非常に頼りになる相棒ですが、反面でガソリンの取扱いには気を遣いますし、パッキン類の不良で燃料が漏れ、点火した途端、一気に燃え上がって火傷という事故もあったりして非常に危険です。もし小さい子がいる家族で使用されるなら、カートリッジガスストーブやカセットコンロをお勧めします。安全確実、そして手早く調理が可能です。 炊いたご飯の味が違うという御仁もおられますが、はっきり言って変わりません。むしろガスのほうが焦げないでおいしく炊けるような気がします。

 

ついでに申し上げておきますが、山好きの友人がその昔、テントの中でガソリンストーブを操作し、メインバルブを開けるとボォッと霧が発生。そこに別な仲間がいきなり点火、テントは一瞬にして火に包まれ、1名がひと月以上入院する結果となりました。

 

もうひとつ余計ですが、近頃はアルコールバーナーが見直されております。しかし、アルコールは火が点いていても透明の炎なので、わかりにくく、気が付いたら衣服に燃え移っていたという事故もあります。ともかく液体燃料の器具を扱うときは十分ご注意を。 

 

 


tuma_pro さんの投稿 2016.04.07

コメントは不可設定ですが・・・
これにはoutdoor大好きな私もウズウズ反応してしまいました^^
火器類についてはコールマンマニアでランタンをはじめストーブのコレクターです。
502はマニアが多くて 私もバースデイストーブをゲットできた時は嬉しくて嬉しくて^^
火力調節が微妙でメンテナンスを繰り返し 立派に生き返りました。私の歳と同じ502も見てください^^

このページのトップへ


お彼岸

お彼岸のおはぎ。 お彼岸でなくても、おはぎは大好きで年中食しております。 60mm f2.4マクロで撮ってみました。美味しそうに見えるでしょうか? 

 

少し湿っぽい話になりますが、おはぎを見ると亡き家族を思い出します。父母と弟です。お皿に盛ったおはぎを家族みんなで食べた日の思い出。弟は小学校に上がらないうちに世を去りました。おはぎを手づかみで食べ、あんこだらけになった幸せな顔を今も忘れることができません。

 

6人家族は半分になり、またそれぞれ家庭を持ちました。 いろんなことがあり、波乱万丈の人生にはなりましたが、元気でまっとうに生きていることが亡き人々への供養であり、ご先祖の恩に報いることだと・・・・「バカタレ!そんなのどうでもいいから、さんざん迷惑かけたみなさんにお詫びしろ!」と、母の怒声が聞こえてまいりました。 あの世で会ったら、懐かしの顔面平手打ちを食らいそうで怖いです。(痺れるような痛みが当分残ります) というわけで、あの世には行きたくありません。 合掌

 

 


このページのトップへ


草莓

いちごは中国語で草莓(チャオメイ)と言います。どちらも可愛い呼び名ですね。ロシア語だとклубника。

クルゥヴニーカと読むのだそうです。フランス語ならla fraise(ラ・フレーズ) 女性冠詞が付きます。まあ、どうでもいいことですけど。 

 

私はコンデンスミルクをかけて食べるのが好きなので、葉っぱをとってお皿に盛ります。 

 

 

 


このページのトップへ


最近観た映画

この週末に「ブリザード」という映画を観に行きました。夕刻の109はガラガラの客席で快適でした。

1952年に米国東部の大西洋で実際に起きた遭難事件を映画化したもので、原題は「The finest hours」です。 3Dで観賞しましたが、強烈な嵐の中、タンカーが真っ二つに折れ、後ろ半分だけで漂流する30人余の船員たちを救助せんと、怒涛の海に小さな艇で出航する4人の沿岸警備隊員、現場を知らない司令官の無茶な命令。その司令官に抗議する主人公(艇長)の婚約者。 この女性、ホリデイ・グレインジャーという英国人の可愛い女優さん。日本人好みだと思います。 

 

押し寄せる巨大な波浪、船の沈没シーンや船内の状況など、非常に迫力ある映画でした。 また、時代考証もしっかりしていて、50年代のファッション、電話や自動車、通信機など正確に再現されていました。邦画によくありがちな適当さはそこにかけらもありません。 

 

それと、改めて驚くのは50年代のアメリカで、若い女性が通勤に自家用車を使用していたことです。日本で自家用車が普及し始めたのは60年代半ば以降であったかと。 女性ドライバーを見かけるようになったのも、その頃。やはりモータリゼーションを含め、近代文明ではあちらが遥かに先輩だと、つくづく思った次第。 

劇中でダンスパーティのシーンがあり、ジャズバンドをバックに女性シンガーが「Vaya con dios」を歌い、若い男女が踊ります。こんな素晴らしい時代がかつてあったのだと・・・。

 


このページのトップへ


Time will tell

73年の米映画”アメリカン・グラフィティ”の中で、高校の文化祭のシーンがありました。あちらでは「ジュニア・プラム」と呼ぶそうですが、プロのバンドを呼んで高校生たちが派手に踊りまくると・・・やはりアメリカは自由な国です。 そのシーンに出演していたのが「フラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・キッズ」でした。 ビーチボーイズのコピーのようなグループですが、彼らよりも、もっと砕けたイメージで、映画の中ではお揃いの赤いジャケット姿で「At the hop」をかっこよく演奏していました。元祖の「ビル・ヘイリーとコメッツ」よりノリがよかったように思います。 ついでですが、この映画に出演していた俳優で、後に有名になったのがハリソン・フォードとリチャード・ドレイファスです。 学級委員の優等生を演じたロン・ハワードは映画監督になりました。

 

その「フラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・キッズ」のファーストアルバムに入っていた1曲が「Time will tell」。 60年代ポップスのスタイルを踏襲していて、コーラスが秀逸です。 「時が来たらわかるさ」 この曲を初めて聴いたとき、私は20代前半の若者でした。

 

たしかに、すべては時が教えてくれます。意地悪ですね・・・過ぎた後に笑って教えてくれるだけ。

 

 


このページのトップへ


あの人

ザ・ワイルドワンズのシングル「青空のある限り」のB面に収録されていました。加瀬邦彦さんの12弦ギターによるイントロが心を震わせます。湘南サウンドと呼ぶのはこんな曲でしょうか・・・。 鳥塚さんの抜けるような高音はこの曲によく合ってて、とても爽やかです。

 

この曲の最後は「好きだから僕はもう会えない あの人に僕はもう会えない」で終わります。きっと自分から別れを告げたのでしょう。 胸がキューンとなりそうな甘酸っぱい歌詞は、青春時代の爽やかな感傷を呼び起こしてくれます。ネットで探すのは難しいですが、機会あらば一度聴いてみてください。きっと、遠い過去に置き忘れてきた何かを思い出させてくれることでしょう。 

 

あの人にさよならとくちづけした 

街角の空を風が吹く 

あの人の幸せを祈りながら 

帰る街角に風が吹く

みんな知らないで僕を見て 

どうしたの どうしたの 泣いてるのかい

あの人は優しくて素敵だった 

透き通る朝の星のように

 

作詞 岩谷時子 作曲 加瀬邦彦

 

 


このページのトップへ


初めての

ブログを書かせて頂くようになってから2か月以上経ちました。文を考えるのは苦でなかったのですが、話題を思いつくのは結構大変です。掲載してから1日経って自分で面白くないなあと、削除したことも数回。昨日書いた分もそうでした。 「だいじょうぶだ、誰も読んでないから」との声がどこかで・・・でも、そんなことおっしゃるあなたはしっかり読んでますよね。 

 

ところで、突然ですが、初体験の相手はどんな人でしたか? プロ、初恋の人、はたまた行きずりとか、いや、俺は妻一筋だとおっしゃる方も当然おられるでしょう。

 

友人には叔母だったというやつもいます。別な友人は教師。この方、私も英語を教わったのでよく存じております。おしゃれで長身の美人でした。 私は近所のお姉さん。

バレエやってて、ややきつい感じのする美形。多くは語りません。なぜなら、記憶は都合よく編集されるものだからです。 そのお姉さん、やがて良縁がまとまり、嫁いで行かれましたが、その少し前に、駅ビルのレストランでカレーライス食べてたら、お二人が少し離れた席で楽しくデート中。

 

「あっ」と思った瞬間、お姉さんと目線が合ってドキッ。目礼し、あわててカレー皿に視線を戻し、一心不乱に食ってたら、そばに人の気配。

「××君!」と彼女が立っていました。やや顔が引きつっています。私も立ち上がり、「結婚されるそうですね。おめでとうございます」と頭を下げました。 少し離れて立っていた相手の男性も答礼。ところで彼女、「家族の皆さんはお元気?」から始まり、ずいぶん饒舌。おいおい近所に住んでるのに知らないわけないだろう・・。

 

ここですべてを悟った私は「ごめん、飯食ったら約束あるんで」と会話を打ち切りました。彼女は気にしていたのです。私とのことを。「お願いだから胸にしまっておいて」と目が語っていました。 もちろん、いらんことを言うわけがありません。 男性に気づかれないように了解の暗号送信、大急ぎでカレーをやっつけて、その場を去りました。

今なら笑って話せるようなことです。しかし、当時は破談になりかねない危険がいっぱいだったのです。「処女でない女は汚れている」と平気で言い放つ男性が大勢いました。中高年以上の方なら心当たりが、きっとおありかと。

 

そうそう、彼女には弟がいて、そいつとは今も親友であることを付け加えておきましょう。

 

 


このページのトップへ


都会

ザ・タイガース。GS時代の末期にヒットした「都会」。ジュリーの甘く切ないヴォーカルが多くの若い女性を虜にしました。

 

その頃の私・・・・・15歳の少年。高校は1学期でさよなら。街で知り合った不良仲間が住んでたアパートの隣にバス会社の寮。 付近の路上で煙草吸ってたら、寮の二階から顔出した可愛いお姉さんに声をかけられました。「あんた、いくつ?」と。「お前に関係ないだろ」と返すと、「子供が煙草吸ってるって警察に通報するわよ」と・・・・・そこから友達になり、おつきあいすることに。 彼女は長崎県の離島出身、高校を出てバス会社に入社1年目。つまり、私より3歳上。やや色黒でしたが、大きな瞳と長い髪、小柄でキュートな女の子。お茶目であっさりしてて、飾りっ気のない性格にすごく惹かれました。でも、翌年に退社して帰郷。 その後1度だけ手紙をもらい、それきり音信は途絶えましたが、10年後にまさかの再会。 

 

勤務先の忘年会の後、同僚に誘われて行ったピンクサロンで偶然私たちの席に付いたのが彼女。「ええええ?」と驚く私。 バスガイドなのにお国なまりがひどく、先輩に虐められたのが退社の原因。いったん郷里に帰ったものの、日々自分らが食べるのがやっとだった親から疎んじられ、姉を頼って長崎に。水商売で働いてるうちにろくでもない男に引っかかり・・・・その後紆余曲折あり、初めて働いた街に舞い戻ってこの商売に流れ着いたのでした。 十代の頃の清潔な印象は最早なく、すっかりプロの女。 

帰郷の時、「もうつきあえんけん、ごめんね」と、肩を震わせて泣いた可憐な女の子の面影は雲散霧消していました。 つくづく世の無常を感じた次第です。

しかし、彼女と出会わなかったら、私はドロップアウトのまま、学校生活に戻ることはなかったと思います。「高校ぐらいはせめて出とらんといかん」と諭してくれたのは彼女でした。 

 

今も「都会」を聴くと、最初と10年後の彼女の顔が、ビフォーアフターのごとく交互に脳裏をよぎります。 

 

あなたが消えた この街を歩けば

今日もたそがれ さみしくせまる

孤独な僕を やさしい心で

いつもあなたは 愛してくれた

それがなぜ 今はひとり

帰ってと帰ってと 叫んでみても

都会は何も こたえてはくれない

今日も人波に 流れてゆくよ

 


このページのトップへ


The Last Waltz

「ラスト・ワルツ」 ご存知の方も多くいらっしゃることでしょう。エンゲルベルト・フンパーディンクが歌った珠玉の一曲です。 この歌が巷に流れていた1967年当時、私は中学生でした。母親が亡くなり、心は空っぽ。勉強などまったくやる気もなく、学校サボって街に出て、公園や川べりでぼんやり過ごしていました。少年補導に引っかかったこともあったりして、そりゃ大変でした。

 

自作の短波受信機で海外放送を聴き始めたのもその頃で、シンガポール経由のBBCから流れる「ラスト・ワルツ」は雑音だらけでしたが、とても感動したのを憶えています。当時は歌詞の意味などわかるはずもなく、ただただフンパーディンクの美声と親しみやすいメロディに聴き惚れていたのみ。後年、英語の歌詞をじっくり読んで、恋の始まりと終わりを歌っているのだとわかりました。 歌詞/訳詩は誰でもネットで拾えるので省きますが、特にサビの部分を聴くと、今でも胸が熱くなります。

 

I had the last waltz with you
two lonely people together
I fell in love with you
the last waltz should last forever

 

 

 


このページのトップへ


プロデュースって?

妻を撮って他人に見せたらどんな反応かと、面白がって始めたのが投稿写真です。初めはヌードを撮りました。褒められてすっかり興に乗り、いろんな衣装、アレンジで撮影してるうちに、私の知らなかった大人の女を妻の中に見つけました。 それで、本来の性格とは全然違う、ツンとしたセレブ風の女に撮ってみようと思いました。 これも私が見たことのない妻でした。

 

まだ投稿経験のない方、ぜひ一度試してみてください。それは非常に楽しいものです。写真に撮るだけですから、古着でも構わないし、ハイヒールもヤフオクの中古買って荒っぽい塗装で赤に塗ったり黄色に塗ったり、自由にできます。ダサいロングの古スカートに鋏入れて裾をジグザグにカットしたら、とってもクールに変身。 「いやあ、うちのはスタイルいまいちだから」と躊躇される方、全方位良好の女性なんてめったにいません。大抵どこか難があります。そこは避けていいとこ撮り。

 

友人の奥さんを撮ったことがあります。小柄で太目でしたが、長い髪をかき乱し、大きく展開。目をいっぱいに開いてもらって、少し上のアングルから撮ったら、アジアンビューティーに大変身。亭主はたまげました。

 

他人の投稿写真に「作っている。自然じゃない」とかの水差しコメント入れる方もおられますが、個人の自由だし、非日常だから楽しいのです。ふだんの妻を撮るなら、それは地味なスナップ写真で、ちっとも楽しくありません。他人から見たらなおさら面白くないでしょう。 無責任な放言は気にせずに異次元空間を楽しみましょう。

 


このページのトップへ


降る雪や

・・・・は遠くなりにけり・・・そういうこと言うのはやめておきましょう。どうも昔ばかり懐かしむようになっていけません。 寒波到来、東日本は雪に見舞われましたが、私が住んでる西日本は雪どころか、スーツ姿で街を歩いてる人も見かけましたけど。 

 

子供の頃、ラジオで聴いた「雪の降る街を」。 雪を題材にした歌の中では最も情景描写に優れていると、中学時代の国語教師が言っていたのを憶えています。 

私は失恋の歌だと確信しております。雪は心の中を降りしきっているのだと。

 

雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日かつつまん
温かき幸せのほほえみ

 

内村直也作詞・中田喜直作曲

 

 

 


このページのトップへ


ハッシャバイ・シーガル

淋しさを癒すのに 俺は何をすればいい

潮風の町に来て 飛び立つかもめ見つめている

 

”ハッシャバイ・シーガル”は、1982年公開の邦画「TATOO<刺青>あり」のエンディング曲です。主演の宇崎竜童が歌ってて、すごくハードボイルドでやけっぱちで、かっこいい曲。とても感動しました。オリジナルはイントロなしでいきなり歌い出し。ドスが効いた声、間奏のピアノプレイが泣かせる「男のバラード」です。 

どこかの岸壁で潮風を浴びながら歌ってみるといいですね。いつのまにか竜童になりきってたりして。

映画の内容はwikiでも読んでください。37年前に起きた銀行人質事件を題材にしています。

 

そんなに何を生き急ぐのか 

ハッシャバイハッシャバイシーガル

同じさ俺と 阿呆鳥さ

ハッシャバイハッシャバイシーガル

 

作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童

 

 

 

 

 


このページのトップへ


さよならだけが人生だ

 

唐代の放浪詩人、于武陵の詩です。 井伏鱒二が名訳を残していて、そっちがすっかり有名になってしまいました。 胸にずしーんとくるものがありますね。 

    井伏鱒二訳

      勧  酒   于武陵

        勧 君 金 屈 巵
        満 酌 不 須 辞
        花 発 多 風 雨
        人 生 足 別 離

      コノサカヅキヲ受ケテクレ
      ドウゾナミナミツガシテオクレ
      ハナニアラシノタトヘモアルゾ
      「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

   意訳 

       酒を勧める

       君に黄金の大杯を勧める
       なみなみと注いだこの酒を遠慮するな
       花開けば風雨に遭うものだ
       人の一生は別離ばかりだ

 

 

 

 

 


このページのトップへ


激古 KONICA

1960年代初期のコニカEEマチックです。 廃業した写真機店の老主人から譲り受けた物です。

20数年前のその当時でも二束三文でした。ヘキサノン40mmf2.8が付いています。 修理で預かったが、引取りがなく、そのまま20年近く経過。 所有者は当時20代の青年だったそうです。何度も連絡を試みたが、なしのつぶて。修理代が捻出困難であったのかも・・・という推測でした。 

 

これで何か撮ろうと思ったことはありますが、面倒なので実行に至りませんでした。 古いカメラを好む人もおられますが、大抵は眠い写真しか撮れません。レンズコーティングも劣化しているし、シャッターは油が回って動きが鈍くなっていますから、常に露出オーバーになります。それに遮光材のモルトブレーンもボロボロ。ということで、古いカメラやレンズをご購入の際は十分注意してください。 高くても信頼のおけるお店を利用されることをお勧めします。

 

すでに他界された老主人の顔を思い出すと、捨てるにしのびなく、自室の棚に置いてあります。これからもずっと鎮座することでしょう。 少なくとも、私があっちへ行くまでは。

 

 

 

 


このページのトップへ


故郷の空

生まれ故郷へ帰ってみました。かつて通った小学校は建て替えられ、横の道は舗装されていました。

でも、そこから見える山の形は変わっていません。青い空、往く雲もあの頃と同じです。 目を閉じると、形容し難い感傷が押し寄せてきました。 

あの山の向こうに未来があると信じていた。 もし過去に戻れるなら、二度と会えない優しかった人々に、僕の未来がどうだったか教えてあげたい。

 

        山のあなたの空遠く、
        「幸」住むと人のいふ。
        ああ、われひとと尋めゆきて、
        涙さしぐみ、かへりきぬ。
        山のあなたになほ遠く、
        「幸」住むと人のいふ。

 

        カール・ブッセ 山のあなた   訳 上田 敏

 

 

 

 


このページのトップへ


スナップシューター

愛用のコンデジでスナップを撮ってみました。 近頃は迷惑防止条例とか面倒な規制ができて、知らない人を撮ることは難しくなりました。昔は海水浴場で女の子撮りまくってるおじさんなんて珍しくなかったのですが・・。

 

街角スナップが好きなので、いつもカメラを持っています。 行き交う人々をカメラに収め、時代を記録するというと大げさですが、これも素敵な写真の楽しみ方だと思っています。

 

きれいなおねえさんを見つけたらシャッター。でも、運悪く警察を呼ばれる可能性もあります。そこで皆さんの奥様や恋人に街を歩いてもらって、距離を置いて適当に撮ってみてください。新たな魅力が発見できるかも。 

 

海外でもしばしばスナップを撮りましたが、いつか欧州の空港で見かけた美しいご婦人を撮ったら(無許可)、優雅に微笑んで、「あら、もっとたくさん撮ってよ。後で画像見せて」とメールアドレスを頂いたことがあります。 またある時は、東南アジアの某国で路上に立っていた、美人だけど貧しそうな若い女性を撮ったら、何とも魅力的な笑顔とともに、モデル料10ドルを堂々要求。笑顔料を10ドル乗せて上げて20ドル。互いに手を振って別れました。 Have a nice day !

 

 


このページのトップへ


お雑煮

皆様、明けましておめでとうございます。

 

お正月はいかがお過ごしでしょうか? 私はどこへも行かず、訪れる人なく、静かな新年を迎えました。

年末に中古のレンズを安く買ったので、お雑煮を撮ってみました。 うちでは鰹だしのおすまし仕立てです。

私に限ってですが、肉類を入れないのと、焼いた丸餅を放り込みます。 妻子は、ゆでた餅と鶏肉が好きです。

 

なお、購入したレンズは18-55mmf2.8-4.0標準ズームです。 安価な割に性能のいいレンズです。スナップ撮影に使おうと思っています。

 

どうでもいいけど、明日から仕事。またクレームや納期催促と格闘の日々が始まります。 お互い健康維持に努め、今年も頑張りませう。

 

 

 

 

 


このページのトップへ


Auld Lang Syne

「オウルドラングサイン」と読みます。某国営放送の朝ドラでご存知の方も多々いらっしゃるかと存じますが。

スコットランドの古い曲で、向こうでは誰もが知る「再会を祝す歌」だそうです。 日本では「蛍の光」。 古い歴史があり、学校だけでなく、旧海軍は「ロングサイン」と呼んで、兵学校などの卒業式や艦の出航時に軍楽隊が演奏していました。 しばしばお別れの場に使われますが、正しくは見送りの曲と呼ぶべきでしょう。

 

旧友は忘れていくものなのだろうか 古き昔も心から消え果てるものなのだろうか 友よ 古き昔のために 親愛のこの一杯を飲み干そうではないか

 
   しかし、パチンコ店やスーパーの閉店時に流れる三拍子のメロディが多くの人の頭にこびりついているようです。実は私もその一人。
   「またのご来店をお待ち申し上げております。ありがとうございました。」 
   あれは「Auld Lang Syne」を戦後に米国でアレンジした「別れのワルツ」で、文部省唱歌の「蛍の光」ではありません。ちなみに原曲は四拍子。

年の終わりに歌ってみませんか? 朗々と正調「蛍の光」を。

 

蛍の光 窓の雪 書読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れゆく

 

皆様、よいお年を。

 

 

 


このページのトップへ


昭和の残影

昭和50年代、新卒で上京したばかりの私は寮住まいでした。賄いが廃止されていたので、近所の食堂で夕食を済ませていました。バツイチ三十代の綺麗なおねえさんが店を手伝っていて胸わくわく。 それはともかく、鯖の味噌煮が上手かったこと。経営者の故郷、新潟の米で炊いた飯も最高でした。

 

ここで、話は変わりますが、ある夜、そのバツイチ美人の元亭主が店にやってきて、こいつがすっかり出来上がった状態。嫌がるおねえさんの髪を引っ掴んで外に連れ出そうとしているではありませんか。横で飯を食っていた私、速攻で酔漢を制止。顔を殴られ、路上に出て取っ組み合いの喧嘩、最後は双方お巡りさんのお世話になりました。 酔いが覚めた元亭主、存外気の弱い、人のよさそうな男で、最敬礼で何度も謝って、すごすごと帰って行きました。彼もかつては食堂の客だったのです。お互い惚れあって結婚まではよかった。しかし、写真が趣味の彼、給料安いのに次から次へと高価な機材を購入、撮影旅行に仲間と出かけては散財・・・身に覚えのある御仁も、あるいはおられるかと・・・・結局、生活が破たん。美人嫁逃げるという末路を迎えました。  遠い昭和の思い出は食堂の懐かしい匂いとともに蘇ってまいります。

 


このページのトップへ


ブルースハープ

10ホールズハーモニカとも呼びます。これは息子が高校生の頃に吹いていた独ホーナー社製の「ブルースハープ」です。

年末の大掃除をやっていたら出てきました。 演奏を試みましたが、私には到底無理、未知の世界でした。

練習している時は、うるさいなあとか思っていましたが、ある日のこと、「北の国から」を完奏。心震わす切ない音色に胸がじ~ん。

もう一度聴かせて欲しいのですが、今は遠くにいて、家に帰ってくることはほとんどありません。

 


このページのトップへ


きんつば

きんつばが大好きです。子供の頃、近所の駄菓子屋で売っていたきんつばの形はサイコロを大きくした、完全なスクエアでした。10円玉握って買いに行ったもんです。 

写真は東京の花園万頭さんの栗きんつばです。新横浜駅で買ってきました。ほどよく炊いた栗が一個まるごと入ってて、甘過ぎない大人の味。 香り高い煎茶とともに美味しく頂こうとした矢先、予期せぬ飼い猫の襲撃。 不遜にも前足でこの高価なきんつばを踏み潰すという暴挙に。

現在、残骸を食すべきか否か、思案中です。 

 


このページのトップへ


小さなカメラで

いつもコンデジを持っています。駅、空港、ホテルのロビーで、何でも適当に撮ります。 もう少し綺麗な画像が欲しいので来年からはX-M1にパンケーキレンズ付けて、持って歩こうかと思っています。18mmF2が欲しいです。もっとも中古でも3万以上・・・しばし考え中。

 

旅先で何気なく押すシャッター。後で見ると、特に何年も経った時、懐かしさがこみ上げてきます。出会った人々、風景、その時々の様々なエピソード等々、いろんなことを思い出しながら、コーヒーカップ片手にしばしの感傷に浸る・・・・なんと贅沢な時間ではありませんか。

 

大好きな人は別として、一眼レフを持ち歩くのは重くて大変です。ン十万もするフルサイズ機を首からぶらさげ、それには、これまたン十万のF2.8通しの神と呼ばれるズームが付いてて、「いつでもどうぞ襲ってください」と言わんばかりに海外の危険地区を被写体探して歩いてる日本人のおじさん。見かねて注意して差し上げたことがあります。 

 

疲労と危険の心配なく、旅先で素敵な作品をどんどん撮りたいと思われるなら、私のお勧めはリコーGRです。これならジャケットの内ポケに何とか入ります。 旅先だけでなく、職場やさまざまなイベントでも、周囲の人々を刺激せずに手軽にシャッターが押せることでしょう。とかく批判の多い食べ物撮りだって素早くサッと。 

以前、リコーGX200,GRDⅣを使っていたことがあります。どちらも優秀なコンデジでした。欠点は暗い所がやや苦手だったことくらいと記憶しております。

 

その進化したモデルが単焦点のGRですが、すでにGRⅡが発売され、GRの中古価格も4万くらいまで落ちていますので、少しの努力で大抵の人に手が届く値段になりました。 多くの皆さんが「ズームが無いと不便」と思っていらっしゃるようですが、コンデジズームのテレ端は記録用写真にしかならないと、私は考えます。あっさり単焦点で勝負、ズームは被写体に歩み寄ることで代用と割り切りましょう。 GRレンズが生み出すクリアな画像はとてもとても魅力的です。 

 

リコーのコンデジ、金に困って2台とも売り飛ばしてしまいましたが、いずれまた入手したく、しかし、家族への説明にきわめて論理的かつ明確なプレゼンを準備せねばならず、目下懊悩に苦しむ日々を過ごしております。

 

GRDⅣで撮影

 

 


このページのトップへ


Myカメラ

皆さんはどんなカメラをお使いでしょうか? 私のカメラは富士フィルムのX-E2です。 35mmf1.4単焦点を主に使っています。

他にX-M1も所有していて、レンズは60mmf2.4マクロと55-200mmf3.5-4.8の望遠ズームがあります。

下の写真はX-M1+60mmマクロで撮影しました。 60mmはAF速度が遅く、慣れないと使いづらいです。しかし、本体の汚れやピントリングの細かいゴミまで写ってますね。 

私はカメラやレンズの手入れなどほとんどしません。撮影に支障ないからです。それよりも、細かいことを気にせず、裸で鞄に放り込んで、どこへでも持って行きたいです。  

 

カメラはこれまで何度も買い換えました。以前の主力はNIKONでした。結論から言うと、どれも一長一短。 結局どれでもいいんじゃないかと思ったりしてます。テクノロジーの進化が著しいので、ずっと同じカメラというわけにも行きませんが、上手に使えば、最初に買ったデジタル一眼のD40Xでも、投稿画像だったら、今使っても全然問題ないように思います。

 

カメラが無いので投稿は・・・と思っていらっしゃる方、2万くらいでも中古のレンズ付き一眼レフが入手可能ですから、ほんの少しの投資で済みますので、ぜひご一考を。 それから、撮り方に「こうでなければいけない」ということはありません。ご自身の感性で自由に撮られたらよいと思います。

 

構図やアングル、カメラの設定。そんな面倒な細かいことは考えず、ひたすら撮りましょう。難しいことは撮ってから覚えましょう。

 

DSCF7359.jpg


このページのトップへ


孤高

「孤高の人」という小説があります。学生時代に読んで感銘を受けた本のひとつです。 

32歳の若さで北アルプスに散った市井の登山家、加藤文太郎の生涯を描いた名作です。著者の新田次郎は元気象庁職員で、富士山測候所に勤務していた当時、加藤に会っています。

 

「韋駄天の加藤」の異名を持つ彼は、もの凄い速度で富士山頂へと登ってきたそうです。 またの名を「単独行の加藤」と呼ばれ、常に一人で山に挑みました。しかし、最後は厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根にて遭難。それは、はじめて仲間と二人で組んだ山行でした。

 

御殿場に商用があり、通った道すがら、手持ちのコンデジで冬富士を捉えました。

DSCF8200.jpg

 


このページのトップへ


銀河鉄道

先ごろ、ドイツを訪れる機会を得ました。 フランクフルト中央駅のプラットフォームには巨大な天井が被さっていました。 隅っこに古い駅の建物がくっついているので、ずいぶん後に設置したものと思われます。 

 

夜、異国の停車場でひとり列車を待っていると、とんでもない想像が頭を駆け巡ります。 まさかここは銀河鉄道の始発駅ではないか?・・・・そうすると列車はあっちの世界へ? 「まだ早いと思うんだけど・・・」 そんなこと考えている間にICE(都市間特急)が滑り込んできました。 目的地デュッセルドルフまで2時間近い旅となります。

 

ドイツの鉄道では改札がありません。うまくやればただ乗りできます。しかし、車内検札で見つかると、問答無用で正規料金以外に40ユーロの罰金を請求され、払わないと警察に引き渡されるのは当然の処置です。 ローカル線では買った切符をプラットフォーム上のスタンプ機に通しておかないと不正乗車になります。

 

少しだけでもドイツ語を覚えておくと交通機関を利用するのに便利です。 Flughafen(空港) Hauptbahnhof(中央駅)・・・hbfと省略。

空港はフルークハーフェンと発音します。中央駅はハウプトバーンホフ。 これだけわかっているだけでも、知らない言語の不安からかなり解放されます。

 

テロ事件で欧州旅行を控えておられる方も多いと思いますが、見どころ多く、食べ物が美味しくて比較的安全、やや無愛想だけど、サービスがしっかりしているドイツは日本人にとって快適に過ごせる国のひとつです。 是非一度訪れてみてください。 

 

余談ですが、日本人女性の集団がホテルの朝食の「バイキング」を何皿もてんこ盛りでテーブルに並べているのを見かけたことがあります。一度ではありません。

欧州では基本的に一皿をテーブルに置き、食べ終わったら次をとりに行きます。そして、とった食べ物は絶対に残してはいけません。それがマナーです。 

 


このページのトップへ


モーニングコーヒー

最近アマゾンで買ったイタリア軍のコーヒーカップ。ずっしり重くて頑丈。胸章(たぶん)がプリントされています。重いカップで飲むと、ひと際コーヒーが美味しく感じられるのは私だけでしょうか? 

 

イタリア軍から連想するのは「コレリ大尉のマンドリン」というニコラス・ケイジ主演の映画です。相手役がペネロペ・クルスだったかと。 ストーリーは1943年にギリシャの美しい島で起こった事件をもとにしていて、内容がやや厳しいので、ここで語るのはやめておきます。

 

そこからさらに連想、古い思い出に行きあたりました。

新卒で配属された部署の先輩が某大学マンドリンクラブ出身で、ある日、母校の定期演奏会を聴きに行かないかと誘ってきました。当時は日曜日が暇だったし、断る理由もなく、都内の古いホールで観賞させて頂きました。 その時の演目で印象に残ったのが 「無線電信第一連隊」。明るくて軽快なイタリア軍の行進曲です。マンドリンのために作られた曲だそうで、コレリ大尉もきっと演奏したことでしょう。 朝のコーヒーでも楽しみながら一度聴いてみてください。その日はとても楽しい気分になれるかも知れません。 

 


このページのトップへ


リコーオートハーフ

リコーオートハーフをご存知の方も多いと思います。 25mmf2,8 簡単操作のカメラです。

小さくて、女性のバッグにしのばせて、好きな時にさっと取り出せる。とはいえ、300gを超える重量ですから、今の基準だと少々重いですね。

ピント操作がなく、距離指標を合わせ、目測で適当に撮る。つまり「写ルンです」と同じ。性能は「写ルンです」が、かなり上です。

されども、このオートハーフ、中学時代の憧れでした。デザインがとてもモダンで、見てて飽きません。

60年代の日本は世界水準に追いつくべく、各業界とも必死の努力で製品を開発、驚異的な速度で優れた技術を生み出しました。

その代表選手がカメラです。ベトナム戦争の時には米軍の報道班もニコンを使用していたそうです。

 

写真のモデルは65年頃のものかと思いますが、機械としての作りはしっかりしていて、組立精度の高さに感嘆します。

この頃は中卒の女子工員さんたちがラインに並んで組立てていました。金の卵と呼ばれた集団就職の時代です。

そう、喫茶店やレストランでも中卒の女の子が働いていたし、誰もかれもが高学歴の今とはずいぶん違います。

長い間に労働者の年齢層が大きく上にシフトした感があり、やはり高学歴化と高齢化のダブルの影響でしょうか・・・。

 

レストアして撮ってみようと思いましたが、実用にはなり得ず、あまり意味のないことで、このまま棚に飾っておくことにしました。

眺めながら、日本人が全力投球した、あの遠い時代に想いをはせるのもまた一興かと。 

 

                   DSCF6750.jpg


このページのトップへ


ミラボー橋  

Le pont Mirabeau ミラボー橋

ミラボー橋の下、セーヌは流れる
そして私たちの愛も流れ去る
辛い思いの後にはいつも愛の喜びが訪れたことなどを
思い出して何になる

 

シャンソンが好きです。遠い郷愁を感じるのです。拙者、さては前世は仏蘭西人であったかと勝手な空想。

実はそうではなかったようで、7歳上の兄の証言によると、幼少の頃、隣家に住んでいた女子大生がいつもレコードでシャンソンを聴いていたそうです。

それがボロ家の薄い壁を通して聞こえて来て、いつしか頭の中に焼き付いたのでしょう。 記憶に最も残っているのがミラボー橋。

5歳の子供だった私はこのフランス語の詩を耳で完全に覚え、しかも巻き舌で歌えたらしく、その女の子を無茶苦茶に驚かせたそうです。

もちろん、今は完全に忘れています。 それどころか、フランス語など皆目わかりません。 隣の家族は私を神童と呼んでいたらしいのですが、

私の母は「んなわけないだろ!」とバッサリ。  母は間違っていませんでした。 

 

鐘が時を告げ、夜が訪れても
日々は過ぎ去り、私はひとり残される

                  


このページのトップへ


Good-by morning

ああ、褪せた夕陽に包まれて 今 昔の僕を捨てよう 雨に濡れて届いた手紙も 愛した人さえも・・・・

この曲はサンディーという女性歌手がソロで歌ったのが最初です。 ハーフの綺麗な女性で、サビの部分、英語のくだりは発音が正確でした。

素敵な声で、甘く切なく歌うので、すっかり虜になったのを憶えています。

90年代にBB・クイーンズの房之助さんとMikeの敬子さんがデュエットでリメイク。こっちはヒットしましたね。

この曲聴くと、どうも反省モードになります。 「ごめんね。苦労ばかりさせたね」・・・・・絶対に言わないぞ。なめられたらおしまいだ。

君に告げよう Good-by morning

 

                                                                                       

 

 

 


このページのトップへ


COCO

 

 

ココの香り、男心をくすぐりますね。 彼女の薄いフレアスカートが揺れるたびに、ふわっと鼻腔を襲うココ・シャネル。 成熟したアンニュイな女性に似合いそうです。

ご存知の方もおられると思いますが、パルファムを使う時は両方の内腿に。 やがて体温で温められた狂おしい香りが立ち昇ってまいります。

背徳の香り漂う中、せりあがるような波が押し寄せ、女の絶叫とともに果てる。 夢は尽きません。 

                

                     DSCF6674.jpg


このページのトップへ


砂に埋めた涙

冬の海岸でカメラを拾ったことがあります。 遠い遠い昔のことです。 フィルムが入っていたので、行きつけの写真屋で現像を頼みました。

カメラはオリンパスペン。 写っていたのは明るい表情の綺麗な20代後半とみられる女性と、やや野暮ったい、ずんぐりした無愛想な青年でした。

三脚が無かったようで、お互いに撮りっこしたようです。 その写真を友人の一人に見せたら「俺この人知ってるよ」と。 彼の勤務先の先輩でした。

女性も同じ職場でつい最近まで勤務していた人で、結婚退職されたのだそうです。 でも、そこには悲しいドラマが・・・。

 

ずんぐり男、その女性に恋い焦がれ、求婚していたそうです。女性のほうも悪い気はせず、デートの誘いに応じていたと。

しかし、女性に見合い話。相手は国立大卒にて自動車メーカー勤務+長身の男前。 負けました。 それで最後のデートをとずんぐり君に懇願され、海岸へ。

当時、「つきあう」というのは大抵の場合、清い交際でした。当然彼らも手をつなぐのがやっと。 その話をしてくれた友人によると、「あの女は男を見る目がない」と。

 

時が経ち、そのずんぐり君は住んでたアパートの大家さんの娘と結婚。そして、現在は当時の勤務先だった中小企業の社長を務めているそうです。

女性のほうはご亭主が脱サラで始めた事業が一時は軌道に乗ってルンルンだったようですが、不況の波に襲われ倒産。 亭主は従業員の女と不倫。

離婚して健康食品のセールスレディになった女性がしょっちゅう会社や自宅を訪ねてくるので、ずんぐり君は辟易。最後は毅然とお断りしたそうです。

あんなに好きだったのに? 時は何もかも風化させ、熱も奪い去るのです。  ずんぐり君、魅力的な笑顔の向こうの打算を見抜く理性は備えていました。

 

蛇足ですが、カメラを届けたお礼は田舎から送ってきたみかん一箱でした。瀬戸内海の大長みかん。とってもおいしいですよ。

            DSCF3687.jpg

このページのトップへ


ブログを開設しました

10169341945426d04fbbe04

 

「妻をプロデュースする」ユーザー様へ

 

こちらのページでは ユーザー様へお知らせする情報や 運営委員会が選んだ「お気に入り作品」等を掲載しながら サイトへの思いなどを綴っていこうと思っています。

しばらくの間 テスト的な投稿となりますがご了承お願いします。

   (゜))<<

 

歌詞の内容は、イーグルスのメンバーで当時29歳だったドン・ヘンリーが友人に宛てて書いたものだそうです。

映画は西部開拓時代の孤独なギャングを主人公にしたものでした。 この曲の主人公も、孤独で、刹那的に社会に背を向けている。そして、歳を重ね時代が変わり、否応なく社会とのかかわりのあり方を再考する時期に直面していきます。

イーグルスはこのような優しい目線で歌う曲が多いですね。

        (゜))<<


LOTUS さんの投稿 2015.03.24

これは、大変なことになりましたね。あの公安局長さんの奥様がブログになるとは。過去にあれだけ素晴らしい肢体を晒された奥様を、また拝見できるのは大ファンとして途方もない幸運です。期待いたします。

このページのトップへ




ブログ・お知らせ

リンク

リンク