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追憶

長い間ご無沙汰してます。

そろそろ妻撮り終わろうと思ってた頃の1枚を。

最近はカメラを売却して旅行費用に充てようと考えてます。

一人でバイクに乗って遠くへ行きたい願望が昔からありまして

余生も少なくなって参りましたので。ぜひ実現させたいと。


ロングブーツ

画像の赤いブーツは貰い物です。外に履いて行くのはやや勇気が要るみたいです。

一度だけ大阪のホテルのレストランで着用して食事・・・。 注目浴びました。

男たちの目線に晒され、落ち着かなかった私。本人は全然平気。見せびらかしモードでした。

妻の友人が男からプレゼントされて持て余していたのだそうです。脚が太くて入らないので「上げる」と。その代わりに着用写真くれと言われ撮影。それを男に送信したと。 


後悔先に立たず

画像投稿を始めたのは妻が50代にさしかかった頃で、それまでは考えたこともありませんでした。妻自身は30代から撮って欲しかったそうです。

たしかに30代の頃はよりセクシーだったと記憶しております。しかし、デジカメが普及したのが遅かったのでしかたないことです。

昔、ポラロイドカメラを買ってきて妻のヌードを撮ったことがあります。すぐに飽きましたけどね。全然つまらない。

ようやく買った最初のデジカメで撮ったのがノイズだらけの下の画像です。


Spring has come

大変ご無沙汰しております。

さすがにネタ切れで在庫画像も底をつきましたが、とりあえず春が来て我が人生もジョッキの底にちょっぴり残ったビールのごとく、捨てても惜しくない状態となりながらもなんとなく楽しい季節が始まりました。

かつて私の駄作撮りにしぶしぶ付き合ってくれた妻も還暦をとっくに過ぎ、最早撮影など考えようもありませんが、古い画像見ては「あの頃は」とか思い出を頭の中でリバイバル上映する日々です。

仕事はまだやっておりまして、何度も辞去を申し出たのですが、うれしいことにまだいて欲しいとか言われて「やっぱり俺がいないと」などと大それた妄想を抱きながら年金では足りない分稼がせてもらってます。


張形孝

中国の人名ではありません。ご存じの方も大勢おられると存じますが、英語ではDildo(ディルド)と呼ばれる男性器を模したご婦人の自慰用具でありまして、これは現実として必要なものではあるのです。江戸城の大奥のみならず、現代でも広い年齢層の女性の間で根強いファンが相当数存在すると聞いております。私の知る50代後半の飲食店経営者の女性も密かに愛用しておりました。

こういう道具を使用する際にはゼリーなど潤滑剤が必須なのですが、時折いきなり挿入しようとする間違った方もおられるそうで、賢明な皆様はくれぐれも用法を間違えぬようご注意を。そしてゆっくりと挿入の上、さらにゆっくりと出し入れを行ってください。けっしてAVの真似をしてはいけません。そこを丁寧慎重に作業することで必ずや腰を振り、頭を抱えて喚声を上げ、乱れる姿が・・。

写真の品物は女性同士で愉しむための道具です。


刺青あり

冗談で転写式の刺青シール貼りました。痒くなるそうで不評でしたが。

下腹部にも鯉の絵柄を貼ったことがあります。これは写真が残っておりません。

内股に牡丹もありましたね。いつかお見せしたいと思います。

本物は昔海水浴場で見たことがあります。ビキニで背中から下腹部に巻くように蛇と花の彫り物が。やや冷たい感じのいい女でした。もちろんその筋の方。

今だったら写真のモデルになってくれないかとお願いしたいところです。強面の兄さんと同伴だし当時は怖くて近寄れませんでした。そうは言っても一般人を威嚇するようなことは全然なかったのですが。


Tバック

私はTバックショーツのファンでして、妻には30代の頃から履いてもらってました。しかし、歩くと食い込むので肛門が痛くなるらしく、実用性は乏しいと。

とはいえ、夏の薄いワンピースやタイトスカートの時はTバックを自ら着けていました。

それで、撮影の際も自然とTバック姿が多くなりました。


ノスタルジー

これらの写真を撮ったのは14年前だと思います。あっという間に時が過ぎました。

もっときわどいのも撮っておけばよかったとか、紛失したデータなど後悔の念やまず。

今はPhotoshopを買ったので元データの残っていない下手に加工した縮小画像をサルベージしています。

時間が経てば経つほど、撮った写真に愛着が湧くのは私だけでしょうか?


土用

半分引退状態の今、鰻を食べる機会はほとんどなく、以前は会社の金で、顧客接待と偽って同僚たちと楽しく食べたもんですが、そのような立場から離れた今、自費でとなると年1回がやっとと言ったところでしょうか。私が好きなのは浜松駅前の某老舗と清水の小さな鰻屋ですが、どちらも遠いので行く機会がありません。

ところで、この写真は初代キャノンG7Xで撮影しました。おいしそうに見えるでしょうか?


続コンデジ考

いつも持ち歩いてるのはソニーRX100初代モデルです。2012年発売。今も新品が購入できます。RX100は最新の7代目が2019年発売ですが、24ー200mmズーム搭載にて至れり尽くせりの各種機能満載。14万円もする超高級コンデジに進化しています。当然ですが、私ごときには手が出る値段ではありません。

 

このRX100はたしか二年前に10000円程度で買ったように記憶しております。外観は新品同様、しかしセンサーにゴミが付いてて50mmを超えると写り込むという難有品でした。しばらく息子に貸している間に自然にゴミはとれたようですが、今度は「電源を入れ直してくさい」のメッセージ頻発。おまけに振動を与えると電源が落ちるという現象発生。修理に出すと高額(2万7千円)冗談じゃない。ネットで調べた結果、筐体をバラして基盤の銅ねじを締めたら治るとか。とりあえずやってみました。すると嘘のように回復。儲けた気分です。

1インチセンサーにf1.8スタート28-100の明るいズームレンズは非常に美しい画像が撮れます。

もちろん妻撮り投稿用にも最適。「投稿したいけどカメラが・・・お金もあんまり出せないし・・」と躊躇されてる方に強くお勧めです。中古2万円以下で入手可能。


軽井沢の思い出

もう9年も前、その頃はNIKON D200を使っていました。友人に金を貸したら、返せないのでカメラをと持ってきたのがD200。その頃にはもう十分オールドマシンでずいぶん中古価格も落ちていましたけど。

そのD200で夏の軽井沢を撮ったのがこの写真。レンズは安物の望遠だったかと。細かいことは忘れましたが、楽しい思い出となりました

近頃はビギナーズ一眼+キットの望遠レンズで街中をうろうろしてると疑いの視線を浴びるので、もし望遠使うならフルサイズ一眼+白筒、リュック背負って首から自作のIDカードでもぶら下げてないと怖くて歩けません。放送局でさえ街頭取材で偶然顔が映りこんだ人から苦情が寄せられるそうです。もっとも今はマスクだから問題にならないでしょうけどね。


下回り

近頃の現役女性はアンダーヘアを処理している方が多いそうで、ブラジリアンワックスと呼ばれる剥ぎ取りで毛を一気に抜く方法も好評らしいです。

妻は30代の頃水泳をやっておりまして、当時はハイレグの水着主流だったのでアンダーを処理しないとはみだしの危険。

方法は主に脱毛クリームと毛抜きでした。下回り全部取り除くと、大切な場所に汗が入るとかで、クリトリスのすぐ上あたりは残しておき、後は「蜜壷」の周りも綺麗に除きます。かかる部分は関係ないと思うのですが、見た目が猥雑だからついでにと。妻は元々体毛が薄いほうで、腋毛も一度抜いたら以来生えずで、アンダーも肛門付近まで及んでいませんでした。

そして、その除去作業は私の役目でした。

「蜜壷」の中にクリームが入らないよう慎重に塗り込み、太いのは毛抜きで。

足を立てて仰向けの妻の股間で私が四つん這い。なんとも滑稽な姿でありましょうか。当人30代半ばの女盛りですから感受性強く、だんだん蜜が溢れてきて、「中に触って」「ああ、もうダメ、来て!」とか・・・やむなく除去作業中断。

そんな楽しい思い出も風と共に去りぬ・・・です。


おもひで

私は後背位が好きです。少ない経験ではありますが、これまで交合のあった女性とはすべて後ろからがメインでした。胸のあたりまで突き上がってくるような衝撃が・・・とか何とか言われていい気になったり。若い頃は元気でしたからタンタンタンタンと腰が振れたもんです。まあ歳ともに間隔が長くなって、ターンターンと落ちて行きましたけど。高知の旅館の若女将(美人後家・・山本陽子風)と行ったことがあります。和服だったのでお尻をまくって後ろから・・・。「いかんちゃ!そんなことせられん」とか言いながら自分で着物の裾を持ち上げておられました。最後は「逝く逝く、逝くきに、あんたも一緒に!」と絶叫で終了。

私の妻は四つん這いで腰を高く上げ、猫のようなポーズで受け入れるのが上手でした。そう、過去形ですけど。今はもう現役を退いて相撲で言う「年寄」に。男性器が喉まで突き上げて来るような感触なんだそうで、より深く入るとのこと。そうか、俺のも捨てたもんじゃないなと有頂天。それはいいけど、妻の喘ぎ声が同居の義母に聞こえるのがねえ・・大きい声出すんですよ。

では、またまた妄想かと笑ってやってください。 


バイブレーター

バイブレーターで逝かなかった女性は、私のささやかな経験ではおりません。

男性が当ててあげる場合はできるだけソフトに。強く押し付けたり、いきなり最大発振にしてはダメです。最初は弱い振動で当たるか当たらない程度にて、下着の上からなでるような感じ。ずいぶん昔ですが、職場の女性にプレゼントしたことがあります。気が変になりそうだったとか。膝がガクガクになり、下着はびしょ濡れに。

いわゆる「おとなのおもちゃ」は電池式で振動が弱いですから、もし買い求めるなら100Vで動くハンディマッサージャーをお勧めします。非常に強力で、より速く絶頂に達することが可能です。2000円程度で売ってます。

「あ!逝っちゃう!逝っちゃう!」てな按配で、あっという間に果てることでしょう。


渡り鳥

小学生の頃好きだったのが小林旭の渡り鳥シリーズ。革ジャン着てギターを背にして、そりゃあカッコよかった。はっきり言ってあんなに黒の革ジャンが似合う日本人は他にいないと思います。

背が高く、腕っぷし強くて、やや吊り上がった目にあごがしゃくれた個性的なマスク。大陸的風貌でしたね。共演の女優さんは浅丘ルリ子とか中原早苗さん(当時はコケティッシュな美人でした)きれいどころばっかし。憧れましたねえ。

大きくなったら方々を流れ歩く渡り鳥暮らしをしようと本気で思っていました。しかし、よく考えたらどうやって生活費稼ぐのか? 映画の中のアキラは博奕や得意の歌で稼いでいたようです。そうするとギターが弾けて歌えないとダメだし、賭博の才能も必要です。それにモメた時の喧嘩も。そんなことを当時中学生の兄に言われてチョーがっかり。断念した想い出があります。

小林旭が出演した日活アクション映画をはじめ、東映のやくざ路線なども香港や韓国の映画人がお手本にしたそうです。

画像は本文と何の関係もないですけど・・・。


Memories

妻撮りをやってたのは2007年頃。すっかり想い出の中になりました。13年も経ったのですね。あの頃のお仲間はどうしておられるかなあって思ったりします。顔を一度も見ることなく記憶の中に埋もれて行くのでしょうね。どうか皆さん息災でと願うばかりです。

当時の作品を貼ってみました。この日はたくさん撮ったように思います。カメラはNIKON D40Xに18-55mmのキットレンズ。

今だから言えるのですが、この種の撮影は標準ズーム1本で十分じゃないかと。いろんなレンズ買いましたけど、ずいぶん浪費したなあっていうのが実感です。二度と新機種やレンズは買わないと心に誓っております。今持ってるソニーRX1を大切に使う所存です。

 


Bathroom

女性が用を足すところを見ることは近年ほとんどありません。私が子供の頃は大人の女性が屋外でお尻まくってやってる姿はふつうに見られました。21世紀になってからだと10年くらい前に登山中に見たのが最後でしょうか。それは30代半ばとおぼしき綺麗な女性でした。驚いたのはこちらで、慌てて逃げ出した思い出があります。膝までパンツ下し、樹木を背にして前屈中腰、後ろに向けて放水。私と目が合い「あっ」という表情でした。

それ以外は妻のおしっこ姿。こっちは何度も見ています。子供が小さい頃、家族キャンプに行くと、当時のキャンプ場のトイレはボットン式。汚い、臭い、怖いの三拍子にて夜間はとても行けないと。少し離れた誰もいない森の中で、私が懐中電灯持って横に立ち、妻がしゃがんで・・・。

画像は実際に用を足しています。フェイクではありません。本人酔っぱらってますが。


好久不見

お久しぶりです。コロナのせいでもありませんが、身辺何かと慌ただしく、ここに来る機会をついつい逸しておりました。飼い猫が1頭他界したこともあり、気持ちが若干沈んでいたのも手伝っています。

猫の旅立ちに立ち会って、魂が抜ける瞬間というのを実感しました。これは貴重な体験でした。我が子の様に可愛がっていたので、不覚にも涙が出ましたが、次に思ったのが、自分にもこの瞬間が必ず訪れるのだということです。その時が来たら、猫に笑われぬよう潔くこの世を去りたいと願う今日この頃であります。

とは言え、日常生活は続いており、家系は長生き、そう簡単に閻魔様から召喚命令は来ないような気がします。

 

 

 


Mrs. Robinson

「卒業」という映画をご覧になったことは? 封切りになった時、私は中学生でした。主題歌を「サイモンとガーファンクル」が歌って、これも大ヒット。主人公である頭脳明晰にて育ちのいいアイビーリーグの学生ベンをダスティン・ホフマンが演じています。その恋人未満のエレイン役はキャサリン・ロス。こちらもUCLAバークレー校に学ぶ才媛。でも、私は大人になってもう一度この映画を観た時に気づいたのです。エレインの母親ミセス・ロビンソンを演じたアン・バンクロフトのなんとセクシーなこと。ベンと不倫関係を持つのですが、ベテラン女優ですから演技力が違うのでしょう。若いキャサリン・ロスは食われていたように感じました。ま、詳しくはビデオで観てください。ポール・サイモンのギター演奏で始まる軽快な「Mrs.Robinson」も一度じっくり聴いてみてください。

 

なお、サントラ盤のジャケットに使われている「ダスティン・ホフマンがポケットに両手を突っ込んで佇む姿に被せて女の脚」のスチール。脚はアン・バンクロフトの美脚です。ついでに申しますと、中学の時は字幕を読むだけで英語は全然わからない。至極当たり前でしたが、大人になって少し理解できるようになったら、キャサリン・ロスとホフマンの会話が日本人にもわかりやすいきれいな発音の英語であることにも気づきました。ああ、これが米国の上流階級なんだと・・・。

 

 


春の日に

桜の季節も大方過ぎんとしておりますが、目下世の中は非常に混乱、私自身も非常勤の身ながら今後の出社は見合わせるよう会社から指示があり、当分サンデー毎日となりました。まあ、不要不急という言葉は私のような者にぴったりだとしみじみ・・。

 

ずいぶん昔の春の日に撮影した1枚をUPします。いつ撮ったか忘れましたけど、普段着にて顔が出てるので没にしていました。さすがに歳月も過ぎ、写真のままの姿には二度と会えないのでいいだろうと・・・。ちょっと寂しいですが。

 

 

 


古い写真

古い写真をUPします。この頃は投稿していませんでした。2003年頃のものと思います。デジカメは2台目でした。オリンパスのカメディアC2020Zが最初で、次に買ったのがニコンクールピクス5000でした。500万画素、値段は当時8万円も。

この写真はクールピクスで撮影。ここには出せない恐ろしいものもありますが、ともかくいろいろ撮りましたね。

今となっては懐かしきよき想い出となりました。もっとありますが、いっぺんに出すとネタがなくなりますのでちびちびと。

 


間男

今だから語れます。結婚前のことで23歳くらいでしたが、最初の職場を辞め、地元に戻ってしばらくアルバイトしてた時期です。小さな家電店でエアコン工事や白物の配送設置をやっていました。そのお店は店主が糖尿病で入院してて、奥さん(当時38歳)と高1の娘の手伝いで切り盛り。そこに期間限定で雇われたのが私。一応電気工事士の資格もありますので、それは重宝されました。

 

ここまで書くと大した説明は不要と思います。美人の奥さんのせいか店は結構繁盛。独身男性の客多し。ある日、娘が部活の合宿でいない日が。そして奥さんからじわっとアプローチ・・・そりゃもう気力体力充実していた年頃でしたから・・。

だんだんエスカレートし、自宅マンション(賃貸)ではなく終業後にお店のシャッター閉めて中で行うようになりました。

店の中は狭いので横にはなれず。緊急に備えて服脱がず、早い話が奥さんを立ったまま壁に手つかせ、スカートをまくって下着降ろして後ろからと・・。で、ある日、部活帰りに立ち寄った娘に現場を見られてしまったのです。もう覚悟しましたね。

この世の見納め、店主に刺されるかも知れないと。娘も時々配送助手やってて仲良くしてたのに、すごい目で睨み付けられました。でも、奥さんは店を辞めないで欲しいと。そりゃ困るでしょう。とりあえず配送や工事をする人間がいないと商売になりません。

 

そうこうしてる内に店主復帰。少し離れた場所にある喫茶店の奥に連れて行かれ、「いろいろ世話んなったのお。余計な世話ものお・・。娘に手え出されんかっただけましじゃが。」やや薄くなった頭、病み上がりの痩せた顔で寂しそうに呟きました。「すんません。今日で辞めます。」と、テーブルに額こすりつける私。店主は給料の入った封筒をテーブルに置き、「ちいと余計に入れてあるけえ、外でいらんこと言わんようにの。わしも忘れるけえ、あんたも忘れてくれえや」と。 奥さんとはそれっきり。

 

この奥さん、元来浮気性で、どうも常習犯だったようです。店主は自分の入院で問題発生は予測していたらしく、それでも別れる気はなく、穏便に済ませて元の生活に戻りたかったのでしょう。男好きなのを除けば、商売も上手で納品から代金回収まで管理がきちっとしていて賢い女性でしたから。 お店はとうの昔に廃業。ご存命であれば夫婦とも80才を超えておられるでしょう。遠い遠い昔の出来事でした。

 


Used car

最近のことですが、中古車を購入しました。この人生で新車買ったのは二度だけ。後は全部中古車です。しかし、最近の中古車は品質がよくなって価格も公正になりました。昔はとんでもないもんつかまされて泣いたもんです。私が中古車店を選ぶ時は故障の際にきちんと面倒みてくれることが第一条件。値引やおまけはどうでもいいので、主に車を使用する妻が一人でも困らないようにと願ってのことです。

 

ところで、中古車をどこそこでいくらで買ったと話すと「そりゃぼったくりだね。✕✕年式の〇〇〇〇がそんなに高いわけない。俺が知ってる店だったら2割は違うよ」などと揶揄する御仁が時折おられます。こういう人見るとなんと幼稚で不幸な人だと思います。

 

私は若い頃から中古車ばかり買って泣きも笑いも経験してきた男です。所謂筋金入り。車は値段なりと心得ております。

優良な業者ほど価格が適正で値引もしないし、強引なセールスも仕掛けてきません。ただ淡々と商談を進めるのみ。1円の単位まできっちり提示し、タイヤ1本おまけなし。それでいいのだ。私はそういう店で買いたい。

 


チンクチェント

FIAT500と日本で呼ばれていることが多いですが、正しいモデル名はNUOVA500です。4サイクルOHV2気筒479cc 15psのエンジンを搭載し、最高速は95㌔。1957年発売にてスクーター全盛だった時代から急速にモータリゼーションの進歩を促すべく、安くて扱い易い小型4輪車を開発したのだそうです。

 

昔、知り合いの飲み屋のママが持っていたのがこのチンクチェントです。写真と同じく赤のキャンバストップ。よく故障するとボヤいておりましたが、実際は車の扱い方が悪いだけ。私が運転すると音はうるさいですが、軽快によく走りました。左ハンドルで5速MT。キャンバストップをオープンし、横に派手な顔立ちのママを乗せて走ると気分はイタリアンでしたね。後に客の一人に売却したらしいですが、今思うと、買っておけばよかったかな・・・やや後悔。でも、チンクチェントに乗って、ついでにママにも乗せてもらったので「Buono!」と、言っておきましょう。

 

 

 

 


First post

2007年に某サイトで初投稿した時の画像はこれだったかなと思って貼ってみました。その後調子に乗り過ぎて妻が撮影に応じなくなったのは前にも書きました。やめときゃいいのに毎週撮ってたのがいけなかった。

 

妻はノリのいい方で、茶目っ気たっぷりの女ですが、短気で飽きっぽいという難点があります。ヤーメタヤメタと言い出したらおしまい。その後はご機嫌いい時に説得して撮影でした。しかし、次第に私も面倒になっていったん消滅。いっとき妻プロさんで復活したことがありましたが、長続きせずに終了。 今は残った画像をこうしてUPしております。


春天来了

春が来たというのに世間はコロナウィルスのせいで大変な事態となっております。これがいつまで続くのか見当もつきませんが、生産や商業活動への影響が拡大し、倒産、失業者増加、就職難等々の社会問題が発生する可能性もあり、不安が拡大しております。ともかく一日も早い終息を祈るばかりです。 (ちなみに1918年に世界で流行したスペイン風邪では1億人が亡くなったと言われています。日本でも39万人という大変な死亡者数でした。)

 

私は半分引退の身なので、不要不急の外出を避け、今は自宅でのんびりしております。しかし、どうであろうと仕事に出なければならない人も大勢おられると思います。どうか手洗い、うがいを励行して健康管理にご留意ください。

 

 


2020年の夢

2020年に入りまして初の書き込みですが、明けまして・・は、さすがに遅く、省略の無礼をお赦し頂きたく。

近頃は加齢のせいか、在宅が多くなり、読書や旧子供部屋を改装したホームシアターで映画を鑑賞するなどで過ごしております。

 

健康のためのアクティビティとして、近郊の低い山でも登ろうかと思いましたが、中高年登山者の道迷い遭難が多く、どうも世間は批判的です。自転車で北海道一周という案も立ててみましたが、人気のない夕暮れの原野の一本道を熊の恐怖におびえながらとぼとぼ走る自分の姿が浮かんで来て意気消沈。でも、今少し人生が残っている以上は何か新しいことにチャレンジしてみたいものです。

 

読書は登山や探検ものばかり読み漁っています。タイムマシンがあったらもう一度15歳に戻って岩登りを基本から習ってアイガー北壁に挑みたいところです。ああ、でも戻ったところで素質は変わりっこなく、鉄棒でさえ苦手だったのに無理ですよね・・・。

 


鵯越え

ひよどりごえ・・・英語ではDoggy style つまり犬の恰好。 私自身もこれはよく使った技です。非常に攻めやすく、軽快なピストン運動が行えます。ただ、腰を痛めやすい欠点もありますけど。若い時分はD51のごとく力強いピストンでしたが、さすがにこの年になりますと圧縮不足が目立ち、1分当たりの往復回数もめっきり少なく・・・というか最早公園に静態展示してある状態と変わりません。

 

記憶を辿りますと、挿入の瞬間に「嗚呼!」という悲鳴に近い声はどの女性も漏らしたような気がします。その後はひどく乱れ過ぎて抜けることがあり、その瞬間「いや~ん」と叫ぶ女性も。この状態にてストロークを長く短く、2-3-2-3みたいな感じで突くと気持ちいいらしいです。雁首が膣壁を擦るのがたまらないとか。 まあ、つまらん妄想はこのくらいで。

 

 

 


小さな巨人

またカメラを買ってしまいました。 「小さな巨人」ソニーRX1です。2012年発売にて7年経過しても中古価格は10万前後です。これを超えるコンデジは今のところないと巷の噂ですが、後継機種がやっと発売になって少し値が下がったようです。

私が買ったのは当然中古ですが、資金を得るのに以前より所有していたカメラとレンズ類を処分することにしました。

富士フイルムのXシリーズを7年ほど愛用してきましたが、レンズ交換が面倒だし、日頃のフォトライフを考えるとコンデジのほうが自分に合ってると思い始めた次第です。

 

RX1は、かのD800と拮抗するフルサイズの圧倒的な画質が売りになってますが、AF遅い、暗所で迷うなど弱点もあり、使える範囲は限られてきます。まあ、私は動きものを撮らないのでAF遅くても平気ですけど。

ともかく、この先はこのRX1とキャノンG7Xのみの運用に絞る所存です。ミラーレスも含め、もう一眼に戻ることはないと思います。

 

友人にリコーの単焦点コンデジしか使わない男がおります。GRDの最初のモデルから始まって、現在はGRⅢを購入したばかり。しかも、常時1台主義を貫いています。必ず古い機種は下取りに出す方針。昔はライカを愛用し、複数台の上級機種とこれまた高価なレンズ群をコレクションしておりましたが、ある日突然すべて売り払ったのです。撮影せずに置物と化しているのがほとんどで、いつの間にか収集のみが趣味になっている自分に気づいて非常に虚しくなったのだそうです。

小さなカメラはかさばらず、撮影の際も周囲を刺激せず、好きな物が自由に撮れ、写真の世界が広がるらしいです。それを聞いて、恥ずかしながら少しワクワクして来ました。

 

小さな巨人・・・ラグビーWカップご覧になったことと思います。私は南ア”スプリングボクス”のSHファフ・デクラーク選手に非常な感銘を受けました。背番号9はまさに小さな巨人です。

 


天変地異

続けざまの台風被害にて日本列島は大きな打撃を受け、報道によりますと、台風19号では犠牲者79名、未だ行方不明の方もおられるとのこと、非常に心が痛みます。また、被災された皆様の困窮、日々の苦労は想像を絶するものがあり、何か出来ないかと思うものの非力の私にやれることは少額を義捐金に差し出す程度でありますが、それでも私のような者が1000人、5000人と集まれば、まとまった金で被災地を支援することが可能になろうかと。皆様もぜひ小さな善意で静かなる支援にご参加ください。

 

台風には想い出があります。小学校3年生の2学期、その日は父兄参観にて給食のない日(親と一緒にお弁当開く)で、朝からやや吹き降り気味の雨だったのが、お昼頃には激しい風雨に。担任教師(男)は午前中の授業が終わると、「お弁当の無い人は家に帰って食べて、また戻るように」と指示。私は親も来ず、弁当も持って来てなかったので、傘も用無しの豪雨の中を歩いて帰宅。誰もいない家で一人で昨夜の残り物おかずに飯食って・・・でも、風雨は一層激しくなる一方。洗濯した着替えもなく、パンツ一丁になってそのまま寝転び、学校に戻りませんでした。風雨が収まった夜になって担任ではない若い教師が自転車に乗って訪ねて来ました。イーハトーブから出て来たような朴訥な農村青年風教師は「学校に戻らなかったと聞いて無事をたしかめに来た」とのことで、「よかったぁ~」と言いながら親に一礼すると笑顔で帰って行きました。

担任は私の不帰校を怒るだけで、悪天候の中を帰らせたことも川に落ちるなどの事故に遭う危険性もまったく頭になかったらしく、見かねたイーハトーブ先生が生存確認に。台風が近づくと思い出す、生涯忘れ得ぬ先生です

なお、今だったら大きな問題になりますが、当時は父兄や生徒の自己責任部分が大きく、中学では忘れ物を自宅に取りに帰る途中の女子生徒が踏切で列車に轢かれて死亡という事故もありましたが、それとても本人の不注意ということでおしまいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初心に帰れず

妻撮り初投稿から12年過ぎました。多くの方が経験しておられると思いますが、次第に撮れなくなります。モデルの加齢も当然ですが、アイデアが尽きてくることも否めません。私はせいぜいトータル2年でした。モデルの妻が嫌がり始めたことも大きな理由の一つです。しかし、撮っていた頃は毎日楽しく、夫婦で面白おかしく過ごしていたように思います。今は半分リタイヤの身にて妻とは最早親しい友人関係同然でしかありませんが、古い画像を見ては遠い日の思い出に浸っておる今日この頃であります。もう二度とこの姿の実物に会うことは出来ません。

 

ところで、仕事は非常勤となり、遊ぶ時間はたっぷり出来たのですが、いかんせん手元不如意。図書館で時間潰すかと考えたりしましたが、実際図書館に行くと朝から明らかに定年退職者と見られるおじさんたちが大勢・・・大抵は週刊誌の周囲に陣取っています。会社からは「もう一回フル勤務で来ませんか?遊んでてもしょうがないでしょう?」とか、親切だけど、いささか上からものを言われています。「おい、俺はかつてお前の上司だったんだぞ。言葉に気を付けろ」と、喉元まで出かかったのぐっと抑えて、笑顔と共に「いやあ、有り難いけど、いろいろ忙しいんでね」と、金も無いのに精いっぱい見栄張る俺はなんとつまらん男だと改めて認識。

 

 

 


舌技

この技を行うと首が痛くなるのは私だけでしょうか? 意外に忍耐力の必要な行為です。反応は女性によってまちまちではありますが、大抵は舐めるだけでなく、吸うことも要求されます。指先で陰核の皮をめくり上げ・・・けっして乱暴にやってはなりません。そっと、そっと。重要文化財レベルの大切な宝物に触れるような気持ちで。そして、ゆっくりと慎重に吸うのです。

英語では”Cunnilingus” 中国語では「口交」とか。 江戸時代は「舐陰」と呼んでいたらしいです。

 

私の少ない経験から申し上げますと・・・まあ、やめておきます。ついつい誇張が入りますので。 でも、知り合った当時は大学生だった妻に初めてかかる行為を実施したところ、思い切り頭を叩かれました。さすがにそんな経験はなかったようで、非常に驚いた様子でした。当然私は変態扱い。

 

写真は1/6の人形に出演してもらいました。中国製ですが、なかなかよくできています。また面白い遊びを見つけました。

 

 


Old camera

私は古いカメラが好きで、いくつか持っています。ただ持っているだけで撮影はしません。眺めて楽しむ・・・遠い昔を思い出して懐かしむ、と言ったところでしょうか。

 

写真のオリンパスTRIP35は昔、職場の先輩からもらったものです。使わずに放ってあったのでもらって帰りました。昭和43年発売だったそうですが、EEカメラと呼ばれる誰でも写せるオリンパスペンをフルサイズにしたカメラだと思っていいでしょう。固定焦点にて絞りが手動で変えられるようになっています。

 

本当はフィルム入れて実際に撮ってみたらいいのですが、現像に出さないといけないし、後が面倒なので、今のところやる気が起きません。面白いことに、こういったカメラが未だにヤフオクなどで取引されています。数千円で入手できますので好きな方は是非。でも、気をつけてくださいね。古いレンズシャッター機は大抵シャッター部にオイルが回り、粘りで開閉速度が遅くなってて露出オーバーの眠い写真になりがち。また、光漏れを防ぐモルトプレーンが劣化している場合も多々。レンズやファインダー内にカビが生えてたりもします。早い話、撮るのはやめといて飾るだけにしたほうが無難かも知れません。だから高い物は買わないこと。

 

しかし、TRIP35というネーミングは素晴らしい。頭の中に高原を行く列車が浮かびます。向かい合った座席で友人の姿や駅弁の中味、旅先での美しい風景等々、二度と帰らぬ日々の想い出をいっぱい収めて帰路に着いたことでしょう。そう考えると今のデジカメやスマホは夢がないですよね。

 

 


異国の街角で

もう7年も前になりましょうか。シンガポールに出張し、幸運にも当地の一流ホテルである” The Fullerton hotel Singapore”に宿泊することができたのです。これまでに海外は欧州とアジアのあちこちに行きましたが、最も好きになれたのはシンガポールでした。

 

どこに行っても清潔でガーデンシティと呼ばれるほど美しい街並、人々は穏やかで秩序正しく、日本にいるのと大差ありません。写真は当時所有していた富士フイルムのX10で撮影したものです。朝食後にホテルを出てシンガポール川沿いに散歩しました。のんびりとした南国の朝です。

 

お金があれば老後をシンガポールで暮らせたら最高ですが、まあ、私のレベルだと宇宙に行くくらい困難です。聞くところによると、フィリピンやマレーシアに移住しても日本と同じような暮らしを望めば同じくらい生活費を要するそうで、ボットン式トイレをものともせず、サバの缶詰とご飯だけで夕食を済ませるような強者でないと移住のメリットはないらしいです。ああ、余計ですが、サバ缶に残った煮汁は飲み干すのだそうです。これは実際に東南アジアに住み着いた元同僚が言っておりました。

 

 

 

 

 


SM風

皆様、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。毎年同じですが、お正月にやることは雑煮食べて近所のお宮に参る程度。新年の誓いは「今年こそタバコやめるぞ。」健康に悪いからじゃないです。価格が高騰し、私の少ない収入ではまかない難くなったので。

 

ところで、ここに貼る写真もだんだん無くなって来ました。で、いろいろ探しておりますと、SM遊びをやってた頃のものが出てまいりました。やり方として縛りとか逆さづり、ローソク等々いろいろあると思いますが、いずれも準備が大変だし、後片付も然りで、とても夫婦だけでやれるもんじゃないです。それに大層危険でもあります。私らの場合は手錠、足錠を使って手軽に遊んでいました。

 

ボールギャグと呼ばれる道具で口を塞ぎ、よだれを垂らすというのもトライしてみましたが、苦しいから嫌だと怒られて中止、なんだかんだで写真の程度になりました。これでもおしっこに行かせろとか、喉が渇いた、なんか食べたくなったとか中断ばかり。とうとう面倒くさくなって終わりとなった次第です。

 

 

 

 


よいお年を

今年もあっと言う間におしまい、時は容赦なく過ぎて行きますね。 この人生で悪しき思い出もずいぶんありますが、同じくらい良き思い出があります。その一つが妻の姿をいろんな趣きで残せたことでしょう。また、同じ楽しみを持つ多くのお仲間に出会えたことがさらにもう一つ。ネットでしかお会いすることが出来ませんが、皆様の来年一年のご多幸を心からお祈りする次第です。

 

では、よいお年をお迎えください。

 

 


イタリアンスクーター

ひょんなことからVespa 200ccを入手しました。「探偵物語」で「工藤ちゃん」こと松田優作さんが乗っていたモデルです。

おそらく1985年頃のイタリア生産でしょう。ドラマのイメージと違い、重くて操作性が悪くブレーキが甘い、後ろに重心が偏っていてリヤブレーキでないと止まらず、スリップしやすいです。コーナリングも難しく、立ち上がりが不安定。従って高速道に入るのは相当勇気が必要かと。

 

このVespaを自宅前に停めていると「ローマの休日」に出て来たスクーターだと、通りがかりの人などに言われます。

たしか10数分間の登場だったと思いますが、映画に出た車種は125と呼ばれた文字どおり125ccのモデルで、フロントフェンダーにヘッドライトが設けられ、飾りっ気なしの鉄パイプハンドルにて非常に武骨な印象を受けた記憶があります。

 

邦題「さらば青春の光」という79年制作の映画では主人公がイタリアンスクーターを乗り回す「モッズ族」でした。米軍放出のフィールドコートをスーツの上に着用、ランブレッタの後ろに恋人を乗せてロンドンを走る若者。麻薬に溺れ、破滅する青春を描いた衝撃作です。当時の人気ロックバンド「ポリス」のベーシストだったスティングが演じるモッズ族の頭が派手なデコレーションのVaspaをトレンチコート姿で粋に乗りこなしていました。

 

私が乗ると「古くてうるさいスクーターに乗った変なおじさん」にしか見えないと思いますが、知らない人には奇異に映る旧車、完全に自己満足の世界です。2サイクルの臭い排気煙も嫌われますし、早朝や深夜のエンジン始動は憚られる状態です。

率直に申し上げますと、国産スクーターの125ccクラスのほうが安全で速くて扱い易いです。30年前のレベルでも国産にまったく勝てません。でも魔訶不思議。なぜか乗ってて楽しいのです。

 

 

 

 

 


3rd Anniversary

このブログを掲載させて頂くようになってから今月で3年になりました。歳月雲往くが如し。あっという間です。さすがにネタも少なくなってきましたが、いろんな写真を交えて今後も続けたいと思っております。日頃読んで頂いてる方がどのくらいいらっしゃるのか皆目見当もつきません。しかしながら、たとえ少数でも読者の皆様には厚く御礼申し上げる次第です。

 

ところで、先日開催されました当サイトの写真展も盛況と聞き、非常に喜ばしい限りです。拙作を気に入ってくださった方も複数おられたとのことで、大変ありがとうございます。 また次回の開催も協力させて頂ければ幸いに存じます。と言っても在庫の写真が無いですねえ。本当にもっと撮っておけばと後悔至極であります。

 

 

 

 


忘れていた朝

70年代フォークを懐かしまれる方はここにも多くいらっしゃるかと存じます。私は「赤い鳥」が好きでした。

潤子さんは声がきれいでしたが、容姿も美しかったですね。最もお気に入りは「忘れていた朝」。 歌詞を載せると著作権法に抵触するらしいので、どうぞネットでご覧になってください。あの頃の私は某国立学校に在籍してて、日々シゴかれまくっておりました。

 

巷では成田闘争や連合赤軍事件、自衛隊機と民間旅客機の衝突事故とかいろいろあって騒然としていた記憶があります。

あれから47年も経ってしまいました。貧乏暮らしから抜け出し、いつか家を建て、空調の効いた部屋で好きな音楽を聴き、

ガレージにはドイツ車が置いてあるような生活したいなと夢見たことが中途半端に実現できた今日。空調を備えた持ち家と、

その横には中古で買った国産小型車が鎮座しております。

 

しかし、70年代がとても懐かく偲ばれます。女の子たちはミニスカートかピチピチのパンタロン。下着はナイロンの「スキャンティ」と呼ぶ超ビキニでした。初めて社会へ出たのは70年代半ば。就職して上京、同期の仲間と歩いた新宿や渋谷が夢の世界のように感じたもんです。あの新鮮な驚きとともに現在の東京や横浜を眺める感性が自分に残っていないのが残念。

 

 

 


健さんのバラクータ

「スウィングトップ」と言えばどなたもご存じかと。秋葉原の部品屋さんとか問屋街で働く人たちの仕事着を連想する方が多いと思います。「スウイングトップ」は和製英語でして、たしかVANの石津謙介氏が命名されたとお聞きしております。ゴルフのスウィングが由来だとか。原型は英国バラクータ社のG9で、戦前にゴルフウェアとして発売され、現在も英国で製造されています。ちなみにかの地では「ハリントンジャケット」と呼んでいるそうです。

 

20歳の頃、「理由なき反抗」の赤いジャケットに憧れました。で、あれはマクレガーの製品だと聞いて、あちこち探し回った挙句、あるデパートのテナントで「これがジェームス・ディーンのだ」と、騙されて買ったのが赤いスウィングトップ。ずっと後でわかったのですが、ジェームス・ディーンが着ていたのはマクレガーの「アンチフリーズ」というモデルでナイロン製でした。まあどうだろうと、ジェームス・ディーンになれるわけはなく、ある日スーパーで買い物してたら客のおばちゃんに店員と間違えられ、「あんたレジに入りなさいよ!こんなに並んでるのに!」と、怒鳴られてすっかり意気消沈。以来、赤はやめました。

 

高倉健さんが映画の中でしばしば着用していたジャンパー、それがバラクータのG9だったのです。すごくいいなと思って、最初に買ったのはもう30年近く前かと思いますが、現在3着目を使用しております。ああ、もちろん長身にて筋肉質、男前の健さんと背丈170そこそこ、小太りの私では比ぶべくも無き事十分承知しております。(若き日の私は非常にスリムでした。念のため)

 

上手に着こなさないと仕事のユニフォームにしか見えない難点もありまして、家人によれば、私がG9を着ていたら家電店の親父さんか町工場の社長に見えるそうです。それでもこよなく愛するG9。値段は高いですが、機能的で着心地よく、耐久性に優れていて、大切に扱えば10年以上使えるでしょう。

定価で5万くらいでしょうか。中古品も結構出回っているようです。マクレガーでも類似型の商品を2/3くらいの価格で出していますから、こちらでも十分価値ありかと思います。しかし、マクレガーだったらスウィングトップじゃなくて、「ドリズラー」が欲しいですね。そして、スクーターに乗る時だけでも赤を着たいと思っています。

 

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一期一会

もう10年以上も前に撮影した1枚。夏の日の遅い午後、誰もいない競技場でした。自分で撮ったので、これは妻であるとわかっておりますが、もしも他人が撮っていたら気づかなかった。つまり他の女性だと認識したでしょう。長年共に暮らしていて気付かなかった妻の別な一面に出会ったのです。この時は何枚も適当に撮ったのですが、その中に混じっていたのをPCで再生してから見つけました。

しかし、二度と会えない「瞬間の姿」でもあります。再び相見えんと試みたものの、駄作を量産したに過ぎず、本人に嫌がられる結果となった次第です。

 

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出入り

子供の頃、住んでいた家の近くに暴力団組長の家がありました。そこは県庁所在地の市と郡部を分けるバス通りの向こうでした。私は郡部の住人だったのです。この辺りの子供たちは学区が異なるので私たちと仲が悪く、いつも喧嘩ばかり。

ある日、川で釣りしてて因縁つけられ、暴行を受けた同級生の仕返しに、5人ばかりでバス通りを越えたのです。

手にはそれぞれお祭りで買った木刀や拾った角材、パチンコなどを持っていました。目指すは川べりの公園。やつらの遊び場です。 そこに行くには組長宅の前を通ることになります。武装した5人の薄汚い小学生たちに声をかけたのは、組長宅前に置かれた縁台にあぐらかいて仲間と将棋さしてた兄さん。ダボシャツに腹巻。角刈頭の鋭い目つき。「おう、お前らカチコミやるんかい?」と。私は「友達がやられたけん仕返しに行くんじゃ」と答えました。「おう、ほうかぁあ。ブチ回すんならカバチたれずにいきなりやれえよ。喧嘩はスピードじゃけえの。やったらすぐ逃げえ」とアドバイスをくれました。言われたとおりに3人の悪ガキを襲撃し、大成功を治めました。一人はパチンコで撃ったパチンコ玉が鼻に命中し、病院通いに。

 

しかし、やがて悪ガキどもの父兄から市立小学校を通じて抗議が入り、私たちは学校で廊下に立たされ、教師のビンタをしこたま頂戴。 それだけでは済まず、負傷者の親がゴネはじめ、賠償を要求してきたのです。母親に連れられて自称被害者宅に謝りに行く途中、組長宅前にさしかかりました。兄さんは縁台でタバコ吸いながら、「よぉ、坊主、どこ行くんない?」と威勢よく聞いてきました。私は小さい声で「謝りに行くんよ」と。すると兄さん「やられたけえやったのに手打ちならわかるが、何で親が詫び入れにゃいけんのなら?」と言い始めました。母は「まあ、ええですから、この子は手に負えんのです。」と、苦笑い。「お母さん、そりゃ違うで。ゴネよるなあどいつですか?」と、母から無理に名前を聞き出すと、私たちに帰るよう強い口調で言いました。 そして、その事件はあっという間に片付きました。謝罪なし。見舞金も治療費も不要。子供同士が和解することになっただけでした。驚いたのは教師たちが事件に一切触れなくなったことです。

 

実は兄さん、組長の次男坊でありました。通りの向こうに住む貧乏人の子供たちに代わって謝りに行き、治療費も払ってくれたのでした。いや、正確には払おうとしたのです。相手が受け取らなかった。芸術作品を閲覧した感動でお金は欲しくなくなったようです。「では、これで水に流して頂けるということで」・・・「もちろんですよ、子供同士の喧嘩じゃけえ、滅相もないことです」と、負傷者の親である水道工事屋はエビス顔で縮こまったらしいです。 この兄さん、その後も縁があり、私が社会人になった頃にはすっかり堅気。奥さんと一緒に食堂をやっていました。その奥さんの背中にも名画が存在すると、亡き母の証言があります。(銭湯で見た)

 

 

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生活の垢

近頃は高価な洋服などは買わなくなりました。いつもユニ〇ロです。古いコートやスーツは捨てて、身軽になろうと努めています。そのあたりは妻も同様で、靴やバッグなどもずいぶん処分したようです。妻撮りをやってた頃に使用した洋服や下着、ハイヒールは撮影用に買った安価な品物でしたが、これらも皆不燃ごみ等に出しました。車も新車など金輪際買う気なし。今乗ってる古いコンパクトカーが壊れたら、また10年落ちの中古車を探すつもりです。出来るだけ何も持たない生活に切り替えて行く所存であります。

 

断捨離と呼ぶそうですが、不用品をどんどん処分、そしてこの世を去るときに備える。実にすがすがしいではありませんか。

そう言いながら、最近老朽化したエアコンや家具を買い替えてしまいまして、貯金がずいぶん減ったのを気にしているところです。

 

消費は生活の垢を増やすだけだと、学校の先輩に諭されたことがあります。慶弔の出費さえも渋るほど、ケチで有名な人でした。

 

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同窓会

数年前ですが、中学の同窓会に出席しました。と言っても隣のクラスの同窓会です。「まあ、知らん仲でないし、お前も来いよ」と声をかけてくれる友人がいて、飛び入り参加となりました。かつての少年少女たちも皆年齢を重ね、職業や境涯も様々です。

この同窓会に出席した理由は一つだけ。小学校からの幼馴染だったS子に会いたかったからです。会場となったホテルの広間を眺め、その姿を探しましたが、どうもよくわかりません。顔の特徴でわかった元学級委員の男に「S子はどこ?」と聞いたら、「あそこにいるよ」と手で示しました。その手の先に口開けて大笑いしている訪問着姿のおばさん。でっぷり肥えて貫禄十分。

私はそっと横に座り、「お久しぶり」と声をかけてみました。「あっらー!〇〇〇くん!」と、驚きの大声が。S子は地元旧家の三女で、頭がよく、ピアノが上手でした。顔だちは上品で切れ長の目が特徴の優しい女の子だったのですが、目の前にいる彼女はどう贔屓目に見ても海千山千の厚かましいおばさん。

 

私は彼女が大学に進学した年までつきあっていました。清い交際です。しかし、彼女の母親は貧しい家庭育ちの私とつきあうことに大反対。すっかり疲れた私のほうから交際をお断りした経緯がありまして、青春の蹉跌として心にずっと残っておりました。しかし、それはこの同窓会ですべて解決。あの時交際を続け、万が一結婚に至っていたら、私はずっとあの不愉快不躾な笑いとマシンガントークに悩まされたことでしょう。いつも囁くように話し、私のために「アーニーローリー」を弾いてくれたあの素敵な少女は幻だったのです。

 

それで、帰りに気の合った者同士でお茶をしたのですが、その中に高校までS子と一緒だった級友女子がいて、話してくれたこと、それはS子の実像です。私が知るS子はしとやかで賢い女の子でした。でも、実際は普通の女の子とひとつも変わらないし、旧家といっても、ただそれだけ。遠い昔は金持ちだったけど、戦後は没落。父親はサラリーマンだし、娘三人もみんな普通のサラリーマンと結婚。どうしてあんなに母親がタカビーなのか意味がわからないとのこと。おそらくはアメリカ帰りの祖父が建てた大きな家に住み、洋風の生活してたので上流気取りだったのでは?と。そう、私の勝手な思い込みに加え、S子の意識しない演技に悪く言えば騙されていたのです。後から聞いたのですが、S子はお開きの後で私を探していたそうです。しばらく経ったある日、S子のやってるピアノ教室から演奏会の招待状が届きました。金額は申しませんが、10%引きの優待券が・・・。

無言で破棄したのは言うまでもありません。

 

 

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名器

電気くらげとかミミズ千匹という語句をご存じの方もおられると思いますが、要するに名器であるという意味で、挿入したらすぐに強烈な快感が襲い、時を経ずして射精に至るとか・・・。本当に存在するんでしょうか?

私は若い頃からそういう名器に出会いたいと願っていろいろ試しましたが、挿入してすぐに強烈な快感に襲われるような経験はありません。ひょっとして早漏だったらそうなるかもしれませんね。友人のひとりは早漏に悩まされ、奥様と営む時はゴムを2枚重ねで装着していました。

 

亡父の遺した話によると、嫁選びは顔よりもお尻を見ろと。でかいお尻の女がいいのだと。そういうものかと聞き流しておりましたが、案外それは名器と関係あるのかも知れません。私の妻が名器かどうかは誰か第三者に試してもらわないとわかりませんが、今となっては遅きに失した感があります。やっぱり夫婦交換をやっておけばよかったですね。

 

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萌えろいい女

古い画像があったので貼ってみました。2007年頃のものです。カメラは当時持っていたニコンの500万画素コンデジ。

この頃は元気が残っていたので撮影+お楽しみタイムでした。

 

撮影したホテルのレストランで食事をしていると、近くでその筋の方と思しきグループが複数の派手な女性を交えてテーブルを囲んでおられました。その中の一人で60才くらいの男が、妻がトイレに立った隙に近寄ってきて、小声で話かけました。

「あんた、ええ女連れてるな。」と。「あそこの具合ええやろ?腰つきと身のこなし見たらわかるんや」

私は笑いながら「そんなん、よぉわかりませんよ。僕ら夫婦なんですわ」と。少し驚いた表情の男は続けて「おお、そら失礼なことゆうたな。ごめん」と、男はグループに戻って行きました。彼らのほうが先に出て行きましたが、男が去り際に「奥さん大事にせえよ」と私の肩をポンと叩いて行きました。その後、食事を終え、レジに向かうと「先ほどの方が払って行かれました」とのこと。

 

うちの奥さん、案外いい女だったのかも・・・と、改めて感心。 しかし、生活に追われていたら気づかないもんです。

それに夫婦だからお互い細部までわかります。悪いとこもいいとこも。寝起きの顔だって知っているのですから。

 

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愛人

愛人のことを昔はお妾さんとか二号さんと呼んでおったそうです。しかし、それは本妻も認める立場の人が多く、たとえば主人が病に倒れたら看病を。運悪く亡くなれば葬儀にも堂々参列。その後の生活にと、まとまったお金が本妻から渡される・・・

まあ、そうでない場合も多々あったようですが。

 

下の子供が中学に入ると大して手がかからなくなって私と妻の二人での外出が増えました。その時によく間違えられたのが愛人。いくら「夫婦ですよ」と言っても信じてもらえません。愛人というのは生活費全般を見て頂くことが条件にて・・・

でも、月5万円というのも聞いたことがありますけど。相場で言うと月額30万円にてマンション付きらしいです。よくあるパターンはパパの会社の幽霊従業員。マンションは社員寮扱いでタイムカードは古手の事務員のおばちゃんが毎日押すという。

 

本当に愛人やってる女性から聞いたことがあるのですが、最も脅威に思っていることは「飽きられる」だそうです。だから一緒にいる間は徹底的に演技。声の出し方まで変え、相手に尽くす。洗練されたファッション、髪型は当然のこと。SEXも男を喜ばせることに徹し、けっして退屈させないこと。しかしながら、私が子供の頃、近所にあったお好み焼き屋の女将は土建屋兼町会議員さんの愛人と聞いていましたが、うちの母よりも太めにて著しく品のないおばさんでしたけどね。土建屋の若い衆が夜やってきて飲み会開催。そのツケを早く払ってくれと電話でどなり散らしていたのを見たことがあります。たぶん電話の相手は議員先生だったのでしょうね。

 

 

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展覧会の絵

妻プロオーナーさんが写真展を開催されたいとのことで、非常に喜ばしい限りであります。私もお目汚しに参加させて頂ければとは存じますが、まあ私の作品、皆様ご存じのようにワンパターンにてろくな写真がなくて本当に目汚しです。目下そんなことで悩んでいるところなのですが、妻撮りの楽しさを多くの人にわかってもらえることは実に素晴らしく、有意義と思っております。意欲的な投稿者の皆様、是非奮って参加を。

 

こんなこと書いてたらムソルグスキーの「展覧会の絵」が頭に浮かんでまいりました。私の古い友人に画家がおりました。

と言っても絵では生活できないので私立高校の美術教師やりながらです。まだ私たちが新婚の頃ですが、招かれ、夫婦で彼の自宅を訪れたことがあります。郊外の古い大きな家に両親と二人で住んでいました。結論から言うと、そこで頼まれたのが妻のヌードをデッサンしたいと。私は難色を示しましたが、妻はそうでもなさそう。しかし、その日は早々に辞去。

 

その彼が世を去ったのが一昨年。後から聞いたので自宅に弔問。その折に未亡人から見せて頂いたのが・・・何と、妻の裸像デッサン。「ええええ?」と驚く私。要は私が出張で留守している間に描いたのだそうです。つばの広い帽子を被り、薄いレース様のブラウスの前をはだけ、立っている姿。もちろんアンダーヘアーまで微細に描いてありました。いやあ参りました。

妻に「恥ずかしくなかったのか?」と聞いたら「脱ぐ前はとても躊躇したが、決心して脱いで、デッサンが始まったら全然平気だった」とのことです。

 

友人は私に黙って妻をモデルに描いたことを少し気にしていたとか・・・。まあ古い昔のことですから。でも、描くなら現場に私を呼んで欲しかったけど。常々「騒がしい男だ」と私を評していたので無理でしょうね。やっぱり黙って描いたのは正解でした。

 

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切ない思い出

中2の春に隣県から転校してきたMちゃんという女の子がおりました。バレーボール部で活躍し、学業成績もよく、高校は県下きっての進学校へ。当時の身長167cm、小顔でいわゆる八頭身にて目元涼やかな美人。級友男子諸君の憧れの的でしたが。私などは「気持ち悪いチビ」とか言われてまったく相手にされず。最終的に170cmは超えましたが、中学までは160cmにも届かない小柄で薄汚い子供でした。

 

そのMちゃん、なぜか高校卒業後しばらくで結婚。これは驚きました。そして20年近い月日が流れた、ある冬の日。お昼休みに職場近くの食堂へ行ったらMちゃんの面影が残る女性とその夫と思しき男が食事をしていました。夫の方は防寒コートの建設作業員風にてガタイよく傍若無人な感。女性は古びたジーンズにブルゾンで傷んだ髪。一目でいい生活をしていないのが見てとれました。当然ですが、私は素知らぬ顔。男が不意に「M、お茶注いでくれ。気がきかんのぉ、お前は」と声を発したので確信しました。あの美人だったMちゃんが・・・非常に切ない思いに駆られた瞬間でした。それきり会うことはありませんでしたが、俯いて丼物を食べるMちゃんの疲れ果てた横顔は忘れることができず。美人で成績よくスポーツ得意だったら必ず幸せになれるわけではなく、出会う男次第だと痛感しました。この話を妻にしたところ、「まったくその通り。私もついてないわ」と。%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%97%e3%83%ab%ef%bc%91

 

 

 


機密漏洩

これは知人の話ですが、まだ長女が小学生中学年の頃、夫婦の行為を見られたそうです。皆様の中にもそういう経験おありの方いらっしゃるんじゃ? ふつうは夜中だと思いますが、知人の場合は真昼間。夜勤だったので起きたのが午後3時頃。

それからすぐに始めたのですが、音楽教室に行ってるはずの長女が突然帰ってきたのはちょうど四十八手で言う「立ち花菱」の真っ最中。異様な光景と激しい奥様のよがり声に驚いた、いたいけない少女はそのまま屋外へ逃走。大事には至りませんでしたが、おしゃべりで陽気な娘だったのにその後は当分寡黙が続いたらしいです。 大人になったらどうせわかることと言ってもねえ・・・。

 

私の場合は子供ではなく、同居していた義母に「まあ、あんたら毎晩仲ええね。娘があんなに可愛がってもろてうれしいわあ。」と言われ、赤面絶句。眠ったふりして耳ダンボだったのでしょう。妻の絶頂の声までしっかり聞いていました。

「私もあんな風になってみたかったわあ。羨ましい~」。なお、毎晩というのは誇張です。また、この話は妻に伝えていません。ずいぶん前に故人となりましたが、義母は新珠三千代さんを彷彿とさせる綺麗な人でした。

 

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チャコ

チャコ・・・飯田久彦さんってご存じですかね? ビクターでピンクレディのディレクターやって、社長にまでなられた人ですけど、元はチャコのニックネームで呼ばれた人気歌手でした。

 

小学校の低学年だった頃、銭湯のテレビで歌番組よく観ていました。米国曲のカバーばかりでしたが、独特の高音とファルセットに惹かれました。昭和40年代にはもうテレビ出演がなかったように憶えています。

短く刈ったヘアースタイルにスマートなアイビーファッション。いかにも都会育ちの快活で洗練された若者は60年代初頭の女の子たちをめちゃくちゃシビれさせたそうです。

 

20代の頃、Vネックセーターにボタンダウン、チノパン、ローファー、髪を短くしてチャコのスタイルを真似してみましたが、まったく及ばず。あれは教養とか育ちが伴わないと形にならないですね。

 

その飯田久彦さんも70代半ばを過ぎ、すっかりおじいちゃんになりました。同時に自分も老人の仲間入りですが・・・。

九ちゃんと同じで、一度聴いたら忘れられない声の持主です。30代の頃、テレビから某マヨネーズのCMソングが流れてきて、その懐かしい歌声はチャコでした。ノスタルジイに胸がキュンとなりましたねえ。

 

♪ 街角で別れた あの子は今 どこにいる~

 

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もうひとりの俺

♪夜更けにひとりでぇ~思い出す今もぉ~  これを聴くと何と申しましょうか・・・遠い過去に旅してる気分になります。

永ちゃんのシブい声だからそうなるんですけどね。 遠い過去でもないですが、毎日のように妻撮り画像をあるサイトにUPしていた頃が懐かしいです。もう10年以上過ぎました。あの頃の自分は「もうひとりの俺」でしたね。ここでもそうかもしれませんが。

 

しかし、モデルの妻も「もうひとりの私」でした。本物とは全然違うキャラクターが写っていたのです。写真のモデルには二度と会うことができません。写真の中だけの女なのです。もう一度トライしてみたいと思ったこともありますが、「あんな風に写るのは無理」との妻の言にて、きっぱり断念しました。以来撮っていません。

 

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大地回春

光溢れる春がやってまいりました。世の中の景気もいいようで、人手不足の業種もずいぶんあると聞きます。少子化の時代、このままで行くと定年を延長して熟練の労働力を確保しておく必要が出てこようかと思います。ということは70才定年もそう遠くない未来に実施ですね。40年近く昔、オースラリアにしばらく居た頃、シドニーのデパートで60才を超えた女性が店員として働いておられたのに驚きました。そんな光景はざらで、航空会社や他のサービス業でも多くの年輩女性従業員を見かけました。若者文化の花盛りだった当時の日本では考えられないことで、30才を過ぎると男性でさえ転職が厳しかったのです。

女性は結婚退職当たり前、年齢が高くなると居られなくなるのが日本の企業社会でした。21世紀に入って18年経ち、世の中は大きく変わろうとしています。私も引退したいところですが、継続勤務を要請され、この調子ではお迎えの前日まで出張していたということにもなりかねない状況です。

 

ところで、定年後は毎日遊んで暮らすというのはよほどの粋人でないと無理だそうで、遊び慣れない人がいきなり永久休暇をもらっても半年程度で飽きるらしいです。私も似たようなことになりそうなので、生涯現役を誓い、今の職を辞しても仕事は何か続けようと考えているところであります。皆様はいかがでしょうか? 友人は渓流釣りに没頭できると喜んでおりましたが、数回の単独釣行の後、山深い渓谷での贅沢なひと時は忙しい毎日の狭間にある気分転換だったから楽しかったことに気づいたそうです。旅と同じで帰る日常があることが前提の非日常だったのでしょう。

 

 

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Buon giorno

古い50ccのVespaをただ同然で入手しました。とっても長い間眠っていた79年製のイタリアンスクーターです。エンジン不動。塗装も褪色進み、錆びた個所も散見され、あちこち壊れています。これからゆっくり直して乗ろうかなと思っておりますが、エンジンもボアアップするつもりなので、たぶん10万くらいの投資が必要かと。拙宅の小さな庭が解体屋の様相となるのも時間の問題です。

 

日本では未だVespaのビンテージモデルがマニアの間で人気のようですが、イタリア本国ではほとんど見かけないそうです。

そう言われれば20年余り前にミラノを訪れましたが、その時代でもまったく見かけませんでしたね。「あんな古めかしいかったるいスクーター、乗る奴いるの?」と、イタリア人が言うそうです。

驚くのは部品が豊富で、現在に至るも国内で何でも簡単に入手可能な点です。たとえば日本の60年代の二輪車の部品が入手できるかというと、そう簡単ではありません。私は以前ホンダCB72の65年モデルの不動車を無償で譲ってもらえるチャンスがあったのですが、故障個所多く、部品入手に難があり、気が重くなって断念したことがあります。

 

去年は、やはりただで譲り受けた不動のスーパーカブを再生しました。こちらは最終的に85cc、マニュアル4速となり、日常に欠かせぬ足として元気に働いております。

 

Primavera・・・春になったらVespaで「この世界の片隅に」の街を訪れてみようと思います。

 

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一 盗 二 婢 三 妓 四 妾 五 妻

性行為で快感のランキングを表す中国の成句が「一 盗 二 婢 三 妓 四 妾 五 妻」であります。

1.人妻 2.使用人 3.娼婦 4.愛人 5.自分の妻 この順序で気持ちがいいのだそうです。

ただ、1と4は同じ場合もあるでしょうが、一般的に愛人は独身女性を指すと思います。それで、最もスリリングで燃えるのは人妻であるという点に異論を唱える方はほとんどおられないと確信するところです。しかし、危険度は非常に高いです。

知人は船員の奥さんに手を出し、大変な目に遭いました。もう少しで岸壁から冬の海に投げられるところを金で命拾い。お蔭で愛車のBMWを手放しました。

 

2の使用人というのは現代で言えば部下とか従業員でしょう。そのケースはざらにありますね。昔、小さなレストランを経営していた父方の叔父はウェイトレスの女の子に片端から手をつけていたらしいです。あきれてものが言えませんが。

その中の一人が結婚して不遇な目に遭い、生活に窮して叔父を頼ってきたのには面食らっていました。食事を出し、数枚の聖徳太子を渡すと泣いて抱きついて・・・。当時の大卒初任給が2万弱ですから、叔父は女の子に今の3、4万円程度の金を渡したのでしょう。そのシーンを目撃したのが、小学生だった私。叔父の鷹のように鋭い視線が「他言無用」と語っておりました。

 

3の娼婦。これだけは私の経験にありません。4も同様。囲うような財力がどこにあろうか。金とは縁遠い、実にストイックな人生でありました。

 

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Netofficials さんの投稿 2022.10.17

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แทงหวยไทย さんの投稿 2022.11.29

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qooh.me さんの投稿 2023.02.28

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אתר הבית さんの投稿 2023.04.08

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slot gacor さんの投稿 2023.05.08

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オリンパスペン

このコンパクトカメラは57年も前に製造されたオリンパスペンSというモデルです。当時20代半ばだった米谷美久というエンジニアが設計しました。すでに故人となられておりますが、国内だけでなく、世界の写真関係の人々に広く知られた米谷氏が展示会に行くと各国の雑誌記者やカメラファンに囲まれ、サインを求められる等、まるで俳優のごとき人気者だったそうです。

 

オリンパスペンに憧れ、何度もカメラ店のショーウインドーを見に行った小学生の頃。もちろん貧しい親が買ってくれるはずはなく、当時の子供たちのほとんどがカメラに触ることなどない時代でもありました。時が流れ、自力で買える年齢に達した頃には固定焦点のハーフサイズなど見向きもされなくなっていましたが、私の心の中でオリンパスペンは今も世界一のカメラであり、写真への興味の原点でもあります。

 

固定焦点はピントが甘いという先入観が多くのユーザーにあったようですが、距離をきちんと測って撮影すると、解像度の高い綺麗な写真が撮れます。しかし、所詮ハーフは玩具だとの悪口が多かったこと。ハーフサイズにした理由はフィルムが高価だったから。しかし、庶民が買える安価なカメラは中高生の修学旅行や家族のレジャー用に普及し、写真業界に急激な発展をもたらしました。驚異の低価格で発売した小型カメラ。何と機能美に溢れた素晴らしいデザインでありましょうか・・・。

 

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Les Feuilles mortes

紅葉見物に自宅から車で1時間余りの峡谷へ行ってきました。燃える秋がそこに・・・と言うわけにはいかず、今年は気温が高いせいか、今一つでした。思い出すと、山全体が赤と黄に包まれる季節は山の空気も冷たく、シャツにスゥイングトップだけでは寒く感じるのがふつうだったかと。また今月の終わりに訪れてみたいと思います。でも、いつだったか、11月下旬に行ったときは樹々の葉が褐色に変わっていたこともありました。 X-E2に18-55ズームを付けて出かけましたが、どうもやる気が湧かず、適当に撮っておしまい。

 

この峡谷の長い遊歩道を少年時代から幾度となく訪れ、その時々に共に歩いた人々が、今とても懐かしく心に浮かんでまいります。シャンソンの名曲「枯葉」を口ずさみながら、遠い昔に想いをはせ、しばしの感傷に浸った次第です。

 

 

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時光流逝

10年前に妻撮り投稿を開始した頃の画像はNIKONクールピクス5000というコンデジで撮っていました。

その頃はデジカメの扱い方もいまいちわかっておらず、まあ適当に撮っておりました。ただ、非常に楽しかったです。

2年も続きませんでしたが、撮った画像はよき想い出となっております。

 

時々しまったなと思うことは、妻が最もsexyだった30代後半から撮っていればよかったなと・・・。でも、その頃は仕事と生活に追われてて、全然余裕がありませんでしたし、銀塩時代ですからいちいちDPEに持って行かなきゃならないし、横着者の私には無理だったでしょうね。

 

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Encounter

最近、職場のアラフォー女史(シングルマザー)から聞いた話。彼女は新たな人生の伴侶を求めて婚活中。幾人かの候補者とコンタクトしました。その中の40代男が大卒にて中堅企業勤務。収入安定、親の介護義務負わずという好物件。

順調に何回かのやりとりの後で「会いたい」と言って来ました。しかし、仕事と子供の世話で時間がとれません。「そのうち時間空いた時に」と断ったら、しつこく誘って来るようになり、日に何度もLINE。「しつこいようだが、明日はダメ?」と言ったような感じ。不安になった彼女は私に相談。

 

どういうつもりなのか?・・・ヤリたいだけだよ。と、回答。 しかし、拙劣な口説きです。ふつうの女性とお付き合いしたかったら、ヤリたいモードは厳禁です。あくまで紳士を装い、性的な興味はおくびにも出さず、清廉潔白+器の大きな男を演じることです。話題は趣味や旅のこと、最近観た映画等々。そして何より大切なのは忍耐。ヤリたい気持ちを抑え、機が熟すまでじっと我慢。断っておきますが、これらは有識者からの受け売りです。くれぐれも誤解無きよう。

 

それから、もし幸運にもデートにこぎ着けたら、身なりを整えて出かけ、出費をケチらない。特にお金に関しては、相手が割り勘にしようと言っても譲らないこと。フードコートやファミレスでの食事は避け、中クラス以上のそれなりの店を予め探しておきましょう。一番嫌われるのがケチ、その次が不潔、ダサい服装と続きます。 これらも有識者からの受け売りです。

 

では、素敵な出会いがありますように。dscf5415

 

 

 

 

 

 


おんなの朝

♪朝が来たのね~・・こんな歌が40数年前にヒットしました。美川さんがあの低音で歌っておられましたね。

今も口ずさむことがあるくらい、わかり易くて親しみ易い曲です。 ラブホテルで迎える朝の情景を歌っています。

当時は少年だったので、いまいちピンと来ませんでしたが、大人になったら激しく共感を覚えたのは言うまでもありません。 この歌が巷に流れ始めたのは冬の季節だったかと。

 

ラブホテルを平日昼間に利用する客の大半は不倫らしいです。友人に興信所の所長がおりますが、不倫の証拠を抑えるときは作業服来て軽トラックに乗り、工事人のふりしたり、原付に乗った信用金庫の外回り等になりすましてラブホの出入り口付近に張り込むのだそうです。身に覚えのある方は気をつけてください。人生の明暗を分かつ決定的瞬間を撮られないように。

 

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ハイヒールパンプス

ハイヒールは7cmが実用レベルにて、見た目も自然で、女性の脚を品よく美しく演出するのだそうです。

私がハイヒールに憧れたのは10代の頃ですから、その道では筋金入りと言っても過言ではないでしょう。梶山季之先生の作品に触れたのがきっかけでした。もっとも、私の青春時代はごつい踵の靴が主流でして、女の子たちもブーツやコルク底のサンダルを履いていました。10cmを超える異様に高いヒールの華奢なパンプスが現れたのはバブル以降のように思います。

 

ピンヒールで踏みつけて欲しいという願望を持つ御仁もおられるようですが、私は痛いのお断り。あくまで見て楽しむ派です。

 

軽い生地で出来た膝丈のプリーツスカートが風で少し舞い上がって、美脚が太腿まで露に・・・でも下着は見えない。足元はエナメルのハイヒールパンプス。当然ポインテッド・トゥに決まってる。 こんな瞬間を撮ってみたいと切望しながら時は過ぎて行きました。dsc_0009

 

 


懐かしき日々

10年も前の1枚を貼ってみました。写真で見るとすごく長身に感じると思いますが、実物は165cm程度です。

買ったばかりのNIKON D40Xのキットを持って某空港ホテルに泊まり込み、楽しく撮影した記憶があります。

うまへたはとりあえず置いといて、こんな写真は二度と撮ることができません。実に残念であります。

 

最近は写真の趣味の方向性が変わり、別な物撮っていますが、もし人生がやり直せるならもう一度妻を撮ってみたいと願う今日この頃です。もっとも妻の方では人生がやり直せるんだったら、私と一緒になるのは金輪際お断りらしいですけど。

 

 

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レンズ沼

一眼レフ持ってると、どうしてもレンズが欲しくなります。私自身もずいぶん散財した口です。買っては売り払い、また買っての繰り返しにて、現在所有しているのは18mmF2  35mmF1. 4  90mmF2 の単焦点3本と18-55mmの標準ズームです。これだけあれば私の写真遊びには事足ります。 本体は富士フイルムX-E2の1機種のみ。友人には200万以上カメラと交換レンズに注ぎこんだつわものもいます。もっともカメラ類の場合は転売が比較的楽ですから極端な損にはなりませんが、保管に注意しないとカビだらけで価値を失います。遺品整理で出てくるカメラ、レンズ類の多くがカビていて転売困難にてただ同然になると聞いております。良品でもフィルムカメラだったらライカ以外は数千円とか・・・。真偽のほどは不明ですが・・。私も手持ちの機材を遺品になる前に処分しておくべきかと思案中です。

 

以前は望遠にこだわっていた時期もあって、富士フイルムに替えてからも55-200mmを購入、所有しておりましたが、重いので持ち運びが苦になり、使う頻度が下がったことや金に困ったのもあって売却しました。余談ではありますが、望遠はフルサイズに白筒500mmとかでないと面白くないようで、本格的なでかい三脚に据えて・・・しかし、何を撮るんでしょうね? 結局はテーマが見つからないのです。

 

今は引退後の生活も考える必要が出てきて、老後破産回避のためにも浪費は慎まねばなりません。家電量販に勤務する知人によると、定年退職金で高級機と高級レンズを購入する方が多いそうです。私には到底無理ですが・・。

 


友達の母

保育園から小学校まで一緒だった友人がおりました。お父さんは病院職員で上品な紳士でした。それで、同じ病院の看護師さんだったお母さんは非常に美人であったと記憶しております。今の私だったらストライク。すらっと背が高く、とってもセクシーな厚めの唇から柔らかい笑みこぼれる涼しい目元のナース。大昔のことながら概ねこの描写は当たっていると確信するところです。

 

当時は病院の職員宿舎に住んでおられたので、お母さんのナース姿はよく見かけました。白いワンピースにナースキャップ。

皆様憧れのあれです。今もその姿はD800+大三元で撮影した画像のごとく、記憶の中で非常に鮮明であります。

当該友人とは互いに成長して行く過程で道が分かれ、すっかり疎遠となりましたが、東京の大学に進んだ彼が帰省してきた時に駅で偶然再会したのがきっかけで、短時間ですが、自宅に招かれたことがありました。当時40代前半だったお母さんはまだ十分に美しく、仕事も現役でした。ちょうど兄のN360を借りて乗っていた私は、看護学校の同窓会に出席するお母さんを街まで送って行きました。ベージュのタイトスカートから覗く美脚にすっかり目を奪われた私。あろうことか、うっかり手を・・

しかし、さすがは昭和のお母さん、少しも騒がず、「あらあら、こんなことしちゃ・・」と言いながら自分の手を添えました。すぐにシフトレバーの操作が必要になり、手を離した私。「ごめんなさい。今のはなかったことに」と懇願。涼しい目が笑っていました。すぐに目的地に着き、N360は繁華街の入り口で停止。お母さん、降りる直前にその綺麗な顔を突然寄せてきて、「汚くて全然可愛くなかった坊主頭の子がずいぶん男前になったわね。」と囁き、私の頬にキッス。後しばらくは煩悩に捉われました。

 

その後は縁が途切れ、友人とも会うことはありませんでしたが、東京で就職した彼は30歳前にUターン。地元企業で定年まで勤めたと人伝てに聞いております。最近、彼の家族が夢に出てきたので文にした次第です。樹木に囲まれた暗赤色の瓦と白い壁の家。ハワイに移住した叔父さんから送られた、たくさんの米国製玩具。私にとっては、その美しい母親と共に宝石のような想い出です。

 

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引き際

知人の一人が先頃自営の事業を閉じました。彼は8年前に父親から引き継いだ問屋業を父親の他界と同時に清算を開始。負債を遺すことなく終わらせました。数人の従業員は多めの退職金を払って解雇。会社を利益を出していましたが、近年インターネットの発達で、誰もが必要な品物を必要な数量にて適切な価格で即日入手できる時代となり、自分たちのような形態のビジネスは役目を終えたのだと。近く、資産を整理換金し、老母を連れて奥様の故郷の地に移住するとのことです。

 

その昔、不肖この私も、当時働いていた小さな会社の後継者に推挙されたことがありました。

亡くなった父親の代わりに急きょ社長に就任していた娘との結婚が条件。私より2歳上、ウルトラセブンのアンヌ隊員によく似た美人にて向こうも乗り気だったので心動いたのですが、つきあい始めの現妻のこともあり、猛烈に悩んだ挙句、丁重にお断り。正直アンヌ隊員を食べたかったけど・・・。社員20名くらいの企業でしたが、売り上げの90%以上が1社の下請けで植民地状態、そして、アンヌ隊員が元請先のえらいさん推薦の男と結婚したのを機に私は退社しました。しかし、アンヌ隊員は不運でした。夫となった男はただのバカ。「これが帝王学だ」と従業員を見下してこき使い、外車をせびり、会社の金をごまかして飲み歩くだけでなく、自社の女性事務員に言い寄るなどもあり、数年で離婚に。

 

時代の変化か、会社はすでに廃業して影も形もありません。私がアンヌ隊員と一緒になっていたら今も存続していたはずと当時の仲間は言います。でも、これでいいのだと思っています。その後、1社を経て、友人と起業しましたが、考え方の相違大きく、これでは共倒れと8年後に解散、勤め人に戻りました。そして人生の引き際を間もなく迎えんとしておるわけです。金も名誉も遺恨も残さず美しく。

葬式代くらい置いてけよと息子らに怒られそうですが。。

 

アンヌ隊員は従業員だった男と再婚。男の実家である瀬戸内海の島でレモン栽培に励んでいるらしいです。

 

 

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真夏の夜の夢

同僚に初めて連れて行ってもらったスナックでアルバイトのミステリアスな上品熟女に一目ぼれした知人A。店に通い詰め、とうとうデートに成功。女はバツイチ39歳にて昼間は英会話学校の事務やってて、子供は東京の母親に預けているとのこと。その子と一緒に暮らすのが夢だと。元は国際線の客室乗務員で米国の航空会社に勤務。機上勤務中に知り合った商社マンと結婚したが嫁姑問題がこじれて協議離婚という触れ込み。まずはこの辺でおかしいと気づくはずですが、免疫のない独身50男はすっかり信じ込み、長い黒髪をアップにまとめ上げ、白いブラウスにブルージーンズ姿で英字新聞を読む女の姿に奥深い教養と文化の香りを・・・。

 

そして、週1ペースで関係が続く中、最初に来た金の無心。娘に有名私立中学進学を希望している。成績はいいんだけど、とても無理と泣き始め、ここで男になろうと決意したA、翌週150万円をポンと。「え?冗談じゃないわ!そんなことやめて」と押し返す女に「いいから!」と怒鳴って押し付けた。18の時から工場勤めで酒、たばこ、女遊びもギャンブルもやらずにこつこつ貯めた金はダムが決壊したように流れ出したのです。この後、母親の入院費だ、娘の夏季留学費用だとか、1年以上に渡ってずるずると絞りとられながら、ある日女から提案。「東京に戻って中古マンションを買ってA+子供と一緒に暮らしたい、私は外資系銀行に就職できそうだからあなたは働かなくても」と。

 

Aは工場を退職し、女と物件探しに東京へ。最適物件が見つかりましたが、世事にうといA、彼女を全幅信頼し、定期を解約した全額を預ける。「いったん戻ってアパートを引き払って来て、私は母のところに行ってるから」と言われ、帰る。当然その後はなしのつぶて。件のマンションは他の人が契約済。

母親の家は嘘の住所・・・そこは有料駐車場だった。ここでやっと目が覚めたAは警察へ駆け込み、被害訴えるも犯罪とするには証拠不足。が、警察が教えてくれた女の正体は詐欺、恐喝など前科3犯のつわもの。実年齢は58歳。子供は40歳の長男がいて、暴行傷害罪で服役中。

 

「でも、一緒に寝た時気づかなかった?年齢に」と、刑事さん。そういえば、ブラウスは「恥ずかしい」と言って絶対脱がず、下半身だけスッポンポンだったのです。

女性経験の乏しいA、性行為というのはそういうもんだと思い込んでいました。

写真で見せられたすっぴんの顔は初めて見るもので、気の荒そうなふてぶてしい表情のおばさんが写っていました。メイクにすっかり騙されたわけです。ただ、女性経験があれば年齢詐称はすぐ見抜けるレベルだったようで、Aに女を婚約者だと紹介された古い同僚は、安易に決めず、女の身元を調べるよう説得を試みたそうですが、まったく聞く耳持たず。身寄りもなく、有り金ほとんど失ったAは元の会社に契約社員として舞い戻って黙々と働いています。

 

 

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ハリマオ

Harimau マレー語で「虎」のことです。日本では「怪傑ハリマオ」で有名です。

ハリマオは実在の人物にて、日本名「谷 豊」といい、第二次大戦におけるマレー半島進攻作戦遂行の陰の功労者でした。

 

福岡県に生まれ、幼時に一家でマレー半島に移住、徴兵検査で帰国しましたが、丙種合格、言い換えたら不合格。しかたなくゴム工場に勤務するも、マレーに残った妹が華僑系暴徒に殺された事件をきっかけに再びマレーへ。

現地の若者たちと盗賊団を組織。華僑相手に暴れまくっていた谷豊に帝國陸軍作戦司令部は特務機関を通じて接触。進攻作戦の準備工作に協力を求めました。彼らの最大の功績は英軍の要塞「ジットラ・ライン」建設工事の妨害でした。

しかし、シンガポール陥落後、マラリアに侵された谷豊はモスリムの掟にこだわり、投薬を拒否して衰弱。ついに波乱の生涯を終えます。享年三十歳。

横暴な英軍と不良華僑集団に苦しめられたマレーの民衆にとって谷豊は英雄でした。敬虔なモスリムでもあった彼は「ハリマオ」と呼ばれ、伝説の男となったのです。

残された写真を見ると、虎と呼ぶのも憚られる、非常に繊細な印象の美男子であります。

 

♪真っ赤な太陽燃えている 果てない南の大空に~

テレビドラマのハリマオはガッチリした男前の俳優さんが演じていました。

しかし、あれはあれで大したもんで、乗馬もできるし、身のこなし軽く、殺陣も上手でした。

 

香港映画は日本の映画やドラマをずいぶんお手本にしているそうですが、そう言われてみると共通点が結構ありますね。なお、ハリマオの実話に沿った映画は89年に陣内孝則さん主演で制作されています。

 

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グロリア

1980年制作の米映画「グロリア」を久しぶりに観て感動しています。

当時50歳のジーナ・ローランズがマフィアのボスの元情婦を好演しておりまして、とってもかっこいいのです。後にリメイクでシャロン・ストーンが同じ役を演じましたが、まったく問題になりません。金髪、大柄で肩幅広いジーナ・ローランズ。

私が子供の頃から抱いていた米国人女性のイメージそのまんまです。

映画の宣伝に使われた有名なスチールは、追ってきたマフィアの手下どもめがけて発砲するシーン。堂に入っております。35年以上も前に映画館で観た時は単に「怖いおばさん」という印象が強かっただけでしたが、改めて今観るとなかなかの美熟女。しかも美脚。足首がとても細く、ピンヒールサンダルが、やや下品なフレアーのドレスと相まってよく似合うこと。

 

ジーナは俳優兼監督業のジョン・カサベテスの奥さんでして、彼の監督する「グロリア」に奥さんを出演させたのです。低予算映画で、無名の俳優さんばかり集め、おそらくジーナはノーギャラだと思います。

街中のシーンでは通行規制がかけられなかったと見え、通りの向こう側の人々が歩くグロリアをずーっと見ていたり、タクシー乗車中もカメラに向かって近くにいた子供がふざけたポーズをとっていることに今回改めて気づきました。警察官が出てくるシーンも非常に短かいものでしたが、米国では警察が交通規制も含め、撮影に協力する場合、警官の人件費、車両費などを請求されるそうで、ともかく余計な出費を抑えたのでしょう。

 

また、風体や習慣、住居の様子を見せて、大した説明もなしに各役どころの人生や背景を観客にわからしめる優れた演出に感心します。ここで詳しく描くのも何ですから、興味のある方はDVD借りてぜひ一度観てください。舞台はNY。逮捕歴ある裏街道の女、生きて行くのに何でもやってきて汚れまくった女が愛を見つけ出す素晴らしいストーリーです。

 

ちなみに、劇中に何度も出てくるNYのイエローキャブ、”チェッカー・マラソン”のでかいことに驚きました。82年まで製造され、99年までNYを走ったそうです。

 

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妄想に耽る

美脚に憧れて半世紀というと大げさですが、私にとって女性の脚は非常に重要な要素です。

下世話な話ではありますが、行為の際はハイヒールパンプスを履いた脚を高く上げてもらって突撃すると、あっという間に果てます。ただ、これが可能な女性は非常に少なく、体操などのスポーツでもやっていないと難しい。まず、まっすぐ脚を上げること自体困難です。

 

また、日本舞踊をやっているとあそこの締まり具合がよくなると亡き叔母から聞いたことがあります。筋肉が発達するのだそうです。それだったらバレエやダンスでも同じかも知れませんね。

 

キュッではなくキュキュッと何度も締められると暴発しそうになります。

ご婦人方はこれを練習してみてください。バナナを切れるようになったら一人前だと、ストリップ嬢のねえさんがおっしゃってました。

ちなみに、妻は高校生まで体操やっていました。身体は今でも非常に柔軟です。

あそこは他の女性と比べてどうかなどと、ここにはとても書けません。

 

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非情のライセンス

野際陽子さんがお亡くなりになりました。それなりの高齢だったとは言え、とても残念です。あのように年を重ねても聡明でセンスのよい素敵な女性に憧れておりましたのに。 私の妻もあんな風であって欲しいと願ってます。もっとも女優さんと一般人では比べるべくもありませんが。せめて心意気だけは野際陽子さんで行ってくれ。

 

キイハンター、毎週観ておりました。陽子さんは当然ですが、キュートな大川栄子さんも大好きでした。

男前の千葉真一さん、ガタイいいからピエール・カルダンのスーツが似合うんだ。派手なアクションにも憧れましたね。極真に入門したかったくらいです。

あの頃はパンタロンが流行してました。あれは所謂股上が短くて、腰のところはピッタリ。下はスキャンティと呼ぶ超ビキニの薄いパンティを着けるのが定番だったようです。なぜ知っているのか? 叔母の家に泊まった時、当時20歳のOLだった従姉が着替えるのを偶然見たからです。従姉に頭を叩かれましたが。

 

野際陽子さんのやや低い声も好きでした。「非情のライセンス」をじっくり聴いてみようと思います。

 

 

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雨月物語のような

40年も前のこと、当時の職場で親しかった同僚に誘われ、短い夏季休暇を利用して彼の実家を訪れました。坂道で有名な瀬戸内の街です。坂道の古い大きな家に、ご両親と妹さんが住んでおられたのですが、お父さんは電力会社勤務にて山陰地方に単身赴任しておられるとのこと。 同僚は私に妹さんを紹介したかったようでした。さほど美人ではありませんが、テニスが趣味の活発な子で、地元の船会社勤務。私はすっかり彼女と気が合い、付きあってもいいかなと。

 

しかし、実際には父親は赴任地で別な女性と暮らしておりまして、同僚も実家に戻る気がさらさらなく、できたら私に実家を継いでもらい、自分は県庁所在地で起業したいと思っていたのです。それは私も半分同意しておりましたが、問題はお母さん。

関係者存命に付き、詳しいことは控えるとして、大変社交的な人で、「お師匠さん」と呼ばれる職業を持っておられた彼女。しかし、いわゆる「多情女」。

養子だったお父さんが戻って来ないのもそれが原因のようでした。

 

当時40代半ばと思しき熟女は、娘とつきあう予定の私にさえちょっかいを出してくる始末。泊めてもらった翌朝、私の布団に手を入れ、股間を掴まれた時は無茶苦茶に驚きました。「まあ、お元気ねえ」と、笑いながら・・・・しかし、お嬢様顔のスレンダーな美人ではありました。スレンダーな割にはお尻が大きくてプリっと。

薄手の綿のワンピースの下はノーパンにて繁みが見え隠れ。その後どうなったかは想像して頂くとして、これが原因で妹さんと付き合えなくなったことは当然の結末。

 

職場を変わってから同僚とは疎遠となったので、二度と会うことはありませんでしたが、近年かの地を訪れた時、記憶を頼りに家を探し当てました。そこには無人のあばら家が残っているだけ。

 

夢まぼろしのような出来事でありました。

 

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夏は来ぬ

卯の花の匂う垣根に~で始まる懐かしい唱歌。小学校で習いました。この「卯の花」、私はオカラのことだと解釈しておりましたが、ごく最近「ウツギ」という花の別称であると知り、改めて自身の無学に気づいた次第です。

最近は勝手に歌詞を載せると面倒なことになるらしいですから控えますが、格調高い日本語で書かれた詩と情感豊かなメロディはいつまでも心に残っています。

 

3番、4番の歌詞の中に水鶏(くいな)という言葉があります。小さなうずらのような飛行能力のない鳥で、かつては故郷の川辺の草むらにも生息しておりました。この「くいな」を当時中学生だった兄が捕らえてきて飼っておりましたが、ある日逃亡。とても残念だった想い出があります。

 

話が少々飛びますが、若い女教師のスカートの中を覗いたのもその頃でした。ま、大したことではありませんけど・・・。概ね女性は子供に対して無防備です。

 

 

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Fresh green

新緑の季節となりました。GWは9連休がとれましたが、さりとて海外旅行など出来る資金もなく、近場で適当にと考えております。大きなイベントといえば、老舗の鰻を食べに行く予定があります。ああ、それからカブでツーリング。こちらのほうはオーバーヒートの問題があり、まだ調整が必要なので。長距離はやめとこうかと思ったりしてます。いずれにせよ、せっかくのお休みですから、ぜひカメラ持って出かけたいですね。

 

ところで、下の写真は10年前のものです。GWの小旅行で撮影。 パンティラインが見えないのは着けていないからです。

パンストの直穿きでした。 同じホテルに泊まっていた某航空会社のスッチーの皆さんに注目されたこのワンピース姿。

今はすっかり思い出になりました。またどなたか綺麗な女性を撮ってみたいと切望する今日この頃であります。

 

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カブに乗ろう~続き

ただでもらったスーパーカブはボアアップしたものの前後タイヤは限界、点火系統も不調。ヘッドライトも点灯しない状態でした。概ね修理を終えましたが、結構お金が消えて行きました。それでもお店で中古車買うよりは安いとは思うんですけど。

試運転してみましたが、とてもパワフルでした。しかし、まだまだ問題ありで、今少し調整が必要です。

GWに300㌔程度の日帰りツーリングを計画しております。

 

それから、近いうち役所に行って原付二種登録してこようと思ってます。さすがに制限速度30キロはつらい。二種だったらタンデムシートとステップを追加して、妻を後ろに乗せるのも可能ですが、それはきっぱり断られました。「ツーリングは一人で行って来い」とのこと。 お仲間がいたら楽しいかも知れませんね。 カブのツーリングクラブは全国各地にあるようですから。

 

私がカブを使って訪ねたいのは中国山地の限界集落や廃村です。その節はぜひここでリポートしたいと思います。

 

 

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カブに乗ろう

友人から不用になったスーパーカブを譲り受けました。しかし、50ccのカブエンジンは力がありません。街を走れば軽自動車に煽られ、端っこに追いやられて危険すら感じます。家の前は急坂なので、こちらも登りが難儀です。そこでボアアップ、つまり排気量を増やすことにしました。通販で75ccシリンダー、ピストン、ガスケット類を購入、これだけでは回転が上がらないので、ついでにカムシャフトも交換です。

 

こういうことを行うときは時間目標を定め、効率よく作業すればよいのですが、お金をもらえるわけではないので、ついつい休憩が多くなります。電装にも修理を要する箇所があり、試運転までにはしばらくかかりそうです。すべて終了したら原付2種登録して林道散策や写真撮影に行こうと思っています。

 

スーパーカブは1958年の発売だったと思いますが、最初はOHVエンジンでした。若き日の兄がOHV55ccのスポーツカブを通勤に使用しており、軽乗用車を購入した後は放置してあったので、自動二輪免許取り立ての私が下駄代わりに使用。今でこそ希少価値があり、法外な高値で取引されておりますが、70年代初頭の当時は時代遅れのポンコツ扱い。ずいぶん笑われました。とかく古き良き時代を懐かしがる60年代、70年代が青春時代だった人々。大量消費の時代に古い製品をバカにして、新しい技術、新品を無条件に賞賛してきたのも同じ人々だったのです。

 

65ccのカブからSOHCに変わりました。65ccのカブのリヤフェンダーに2年間5万キロ保証のステッカーが貼ってあったのを思い出しました。それにしても21世紀まで生き延び、今なおブランドは健在ですから驚きです。工業国日本が世界に誇れる技術は数あれど、スーパーカブと軽トラは群を抜いていると確信するところです。

 

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仁義なき・・・

東映映画「仁義なき戦い」の舞台となったのは呉市です。広島市と勘違いされる方が多いのですが、それは2作目の「広島死闘編」からです。そこから関西の組織も関係し、大きな抗争に発展していきます。

故松方弘樹さんが演じた坂井鉄也のモデルとなったやくざは仲間の衆から愛称「てっちゃん」と呼ばれ、呉の繁華街である中通り近くの川べりに事務所を構えていました。鋭い頭脳と度胸を備え、喧嘩は無敵だったそうです。37歳にて事業を複数経営し、伸び盛りの真っ最中に、写真中央、マクドナルドの少し先を右に入った狭い通りで、ビリヤード場から出たところを二人の組員に襲撃され、アーミーコルトの銃弾6発を浴びて死亡しました。昭和34年の事件ですから、私はまだ小学校に上がっていない頃です。

 

現在はれんが通りと呼ばれ、歌にもなりましたが、時代の変化には勝てず、シャッターの目立つ閑散とした商店街に。地域の皆さんが再生に尽力されているようです。昔は枝の路地に飲み屋街があり、海上自衛隊員や造船所の工員たちの遊び場所でした。私は最終学校が呉だったので、この場所は学校帰りによく立ち寄りました。当時は角刈、ダボシャツに雪駄履きの兄さんも歩いていたりして怖い印象はありましたが、街は活気があり、栄えていたように思います。正直言って、少々危ないほうが楽しかったような気もします・・・。

 

なお、広島と呉では若干方言が異なりまして、文太兄ぃや松方さんが劇中で使っていた「〇〇しちょるんか?」などの言い回しは呉地方の方言です。呉は旧海軍鎮守府がおかれていた街ですから、各地の方言が混じったのかも知れません。ちなみに、広島育ちの私は「〇〇しとるんか?」と言います。

 

今もよく、休日にここを訪れ、フライケーキを買ったり、お好み焼きを食べたりしています。ふと路地を見やると廃業したスナックの看板。ドアが突然開き、極太ストライプのスーツに身を包んだ強面の大男がエナメル靴を鳴らして出てきそうな錯覚を覚えることがあります。私が想像するその筋の人は故阿藤快さんのような感じ。超リアル、ド迫力があると思いませんか?

 

最後に映画の中の名セリフをより完全な呉方言に。

「おやじさん、云うとってあげるが、あんたは初めから、わしらが担いでる神輿(みこし)じゃないの。
組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。神輿(みこし)が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみないや、
のう!」

「おやっさん、ゆうちょったげるがぁ、あんたぁ初めからわしらが担いじょる神輿じゃあないの。組がここまでなるのに、誰が血ぃ流しちょるんや。神輿が勝手に歩けるゆうんなら歩いてみないや。のぉ!」

巻き舌で、アクセントを頭に置き、語尾を下げて発音するとパーフェクトです。

 

 

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カメラ泥棒

修学旅行は中三の春だったように思うのですが、記憶が曖昧です。行先は南九州でした。

喫煙、喧嘩など、何かと小さな事件もありました。何人かは地面に座らされたり、教師に殴られていたのを覚えています。

同じクラスの女子生徒はカメラを盗まれました。前にもこのブログに書いたオリンパスペンEEという当時人気のあったハーフサイズのコンパクトカメラでした。 ご存知の方も多いでしょう。

 

阿蘇の草原で休憩、カメラをテーブルに置いて級友たちと談笑していたら、いつの間にか消えていたのです。その後はパニック。泣き出す女子生徒。周りの同級生たちは必死で捜索。結局行方はわからずじまい。でも、そのカメラ、なぜか近所に住む同級生K君の手に。早い話、下手人は彼でした。いわゆる出来心というやつ。「拾ったことにして返せ」と悪知恵を授け、一緒に女子生徒宅まで届けに行きました。性格のきつそうな痩せぎすの母親はひったくるようにカメラを取り上げ、「ありがと!」と一言だけ。

 

この後、件の母親にチクられ、学校で取り調べ。「拾った」で押し通しておしまい。自慢するわけではありませんが、「基本的人権の侵害である」と共犯扱いされた私が唱えたために、左翼系の社会科教師が取り調べ中止を要求したせいです。

余計なことですが、当時の教師の多くは人権という意味がよく理解できておらず、今なら考えられないような無茶苦茶なことを結構やっていました。宿題忘れただけで「いいというまで駆け足でグランド周回」とか、真夏の体育の授業中に水飲んだ生徒を並ばせてビンタとか。

 

なお、カメラ盗んだK君は地元で公認会計士事務所を開き、「先生」と呼ばれています。

 

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The photographer

少年時代に憧れていた仕事は画家とか写真家。今考えると、どっちも才能はないのですが。

父と親交のあったフリーの写真家がいて、その人を訪ね、「どうしたら写真家になれるか?」を聞いたことがあります。

当時16歳、高校中退して彷徨っていた頃。

 

50歳くらいの大男で、ミッキー安川さんのような風貌、元陸軍の報道班員。少し危ない地域の小さいボロ家に独り住んでいました。「写真家になりたい? 金が欲しいならやめとけ。それでも好きで、真剣にやる気あるなら俺のところに来い。給料は払えん。手弁当だ。その代わり、写真のいろはから叩き込んだる」と、両切りのピースをくわえ、薄ら笑いを浮かべながら。

そして、きれいな中国娘の写真を見せてくれました。着衣、半裸、全裸の順です。「未成年の君には見せられん写真もある。これは大陸で撮った娼婦の写真だ。おじさんは戦後、食うに困ってこんな写真を売り歩いていた。夜の街でだ。」

 

戦後に雑誌の元モデルと結婚したのだそうですが、せっかく就職した地元の新聞社を喧嘩してすぐに退社、フリーに。しかし、その日暮しの生活に耐えられなかった奥さんは映画館経営者の二号に鞍替え。その映画館経営者をタコ殴りにして逮捕された時の身元引受人が私の父でした。

 

写真家になりたい希望はそれで雲散霧消。気ままな職人だった父と少しも変わらない人種、母を苦労させた男と同じようになりたくないと思いました。

 

写真家は数年後に他界しました。肝臓を患っていたようです。「見せられない写真」を見せて欲しかったのに・・・・。

ところが、それは父に譲渡されていたのです。父が他界した時、遺品整理にあたった堅物の兄が「猥褻図画」と決めつけ、あろうことか焼却処分。残念至極。写真を全部見た兄、「あんなもん、くだらん。」と一言でバッサリ。なんとも面白くない男であります。

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オイルライター

皆様の中には煙草を吸わない方も多くいらっしゃるでしょう。私は喫煙者です。16歳からやってますから筋金入り。 やめる気など毛頭ありません。父も叔父も喫煙者でしたが、長寿でした。叔父は酒も大好きで、ウィスキーをストレートで毎晩飲んで90歳過ぎで肝臓がんを患い、余命宣告・・・これにはあきれました。

 

ところで、私が使っているライターは日本製のペンギン。デューク1というモデルです。耐風でもなく、片手で扱うのが難しいライターですが、機構がしっかりしているので気に入っております。以前はジッポーを使ったこともありますが、重いのと、ローラーの感触が好きになれないし、オイル充填も面倒なのでお蔵入りとなりました。 ペンギンライターは重量も適切、小ぶりで邪魔にならないので愛用しています。 尺取り虫みたいな点火機構が秀逸で、ついつい用もないのに火をつけてしまいます。

 

写真は先頃購入したG7Xで撮影。少しだけ加工しております。

 

 

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お尻

 

配偶者以外のお尻に不用意に触るとセクハラです。でも、許可を頂いたら問題ありません。

もう時効だから書けるのですが、以前勤務した職場の研究部門に国立大工学部卒の若い女性がおりまして、当時25歳くらいでしょうか。

教育者の家庭で育った一見地味なお嬢さんでしたが、整った顔立ちで、少しお化粧して、髪をいじれば美人の部類に十分入れるレベルでした。スレンダーで細面、礼儀正しく、優しい女性だったと記憶しております。彼女とは同じプロジェクトで協力関係にあったので、顧客の工場に同行することがたまにありました。

 

ある日、どちらも離れた場所の2社を続けて訪れることになり、やむなく1泊。当然、部屋は違います。「少し街を歩きませんか」と彼女から誘われ、散歩に出ました。いわゆる小京都と呼ばれる場所で堀川のほとりを歩きましたが、ほとんど人影がないので、急にいたずらっ気がムラムラっと起きた私。 「お尻触っていい?」と聞いてみました。すると、彼女は意外にも「いいですよ。でも、掴まないでね」と。

ゆっくりと、やさしく撫でてあげました。こんな奇跡があるでしょうか・・・。彼女曰く。男性経験はない。声をかけられないことはないんだけど、興味が湧かない。私のことは好きだけど、結婚してるので対象にならない。自分だけ愛してくれる人とSEXして、ずっと一緒に暮らしたい。 ああ、わかりました。そうゆうことですねと手を引っ込めました。でも、きゅっと持ち上がったいいお尻でした。後ろからやったら、さぞいいだろうなあと不埒な妄想がムクムクと。

 

でも、この後があります。彼女の希望。固くなったモノに触ってみたいと。ああ、それならお安い御用と、ベンチに腰掛け、ズボンの上から触らせてあげました。最初は撫でていたのですが、握り始めたので中止を宣告。 それで終わりにしました。ヤッてはいけないのです。底なし沼にはまった哀れなおじさんたちを何人も知っていますから。 付け加えますが、彼女は40代半ばに達した今も独身です。そして二度と会うことはありません。

 

 

 

 

 


君に会うまでは

腕組み歩くよ 夜の街二人・・・・後はネットで拾ってください。ブログに歌詞書いただけでも著作権法に抵触するとかで、どうもやりにくい世の中になりましたね。 それはともかく、私は浜田省吾のこの曲がいたく気に入っておりまして、何回聴いても胸にグッと来るものがあります。 私も20年ほど前までは妻と腕組んで歩くことがままあったのですが、近頃はさっぱり。腕組もうとしようもんなら、「やめようよ、その顔じゃ似合わないよ」と、あっさり拒絶。 たしかに私は品のいい顔ではありませんので、返す言葉もないわけで・・・。 これでもドイツの入管で「ドクターか?」と尋ねられたこともあるのですよ。

 

下の画像は、失敗作品をポスタライズしてみました。 酔っぱらってふざけている妻の姿です。

船内パーティーを楽しんだ後、デッキを散歩。まるで映画のようなひとときでありました。。この後、部屋に戻ると、隣室からアノ声・・・・

翌朝ドアを開けたところで出くわした隣室の女性は、なんともコケティッシュなアラフォーと思しき美形。続いて、立派な髭をたくわえた恰幅のいい50男が出てきました。いやはや、昨夜は「太い、太いわ!ああん、いい~」とかなんとか喚きながら、何度も絶叫。私はそっちに気をとられ、その夜妻とは何もありませんでした。

もっとも、船の客室は狭く、ベッドも小さいので行為には向きません。彼らはおそらく立ちバックで行っていたのでしょうね。それしか考えられません。

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Dancer

小学校高学年の頃、町の公民館に大阪から舞踏団がやってきて公演。いつものように入場料払わず潜り込んだ私は、スタイルのいい綺麗なおねえさんたちが網タイツ姿で踊るのを観て、めちゃくちゃ興奮したのです。

それで、悪ガキどもと企んで楽屋を覗きに行こうと、外側の職員出入り口から地下室へ侵入。ステージの直下にあった楽屋というか更衣スペースを道具棚の陰から見物しました。 楽屋ではみんなスッポンポンか近い姿。金色のドレスで踊っていた主役級のダンサーがドレスを脱ぐと下は何も着けておらず、白い裸体のまま、木製の丸椅子に腰かけ、脚を組んで瓶ジュース飲みながらタバコ吸っていました。まるで銭湯のような有様です。ただ、違ったのは、ダンサーのおねえさんたちの股間は茂みが薄い・・自分らの母親に比べて。 まあ、それはともかく、大柄なダンサーたちの裸体は迫力満点でした。 美人で定評の学校事務員K女史が次の日からショボく見えるようになったほどです。

 

その当時は何も知らなかったのですが、やってきた舞踏団はいわゆる二軍で、自分たちの給料をねん出するため、ドサ回りで稼いでいたのです。 夜は呼んでくれたスポンサー(町の有力者)の酒の相手もあって大変だと、母が言っていたのを思い出しました。 当時の世相を考えると、小規模の地方巡業は大変だったと思います。

と、いうわけで網ストを見ると、踊るおねえさんたちのたくましい姿が浮かんでまいります。

 

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真冬の帰り道

「真冬の帰り道」は同名の曲があり、古い方はザ・ランチャーズ、新しい方は広瀬香美さんが歌ってます。

で、私がよく知ってるのはGSの先駆け、ザ・ランチャーズ。喜多嶋舞さんのお父上、喜多嶋修氏がメンバーでした。当初は若大将のバックバンドがメインだったようです。全員お揃いの上品なIVYスタイルのスーツで演奏する姿は都会を感じさせ、田舎もんの私は「中学出たら絶対東京に行くぞ」と誓ったものです。実際に東京に出たのは成人後ですけど。

 

しかし、あれから50年経ったなど、とても信じられません。若々しく軽快な旋律は何度聴いても飽きないものがあります。

当時「キイ・ハンター」というテレビドラマがあり、ソニー千葉氏や憧れの野際陽子女史が出演しておられましたが、一度だけ、劇中でこの曲が流れたのを憶えています。 ミニスカートの野際陽子さん、とっても素敵でした。

ネットで簡単に拾うことができますので、是非曲名をヒットしてみてください。夢多かりし60年代に会いに行きませんか?

 


昨日に逢いたい

「昨日に逢いたい」 あまり有名ではないですが、たしか、67年頃のザ・ワイルドワンズの曲です。当時のオールナイトニッポンで初めて聴いたような気がします。たぶん植田芳暁さんのヴォーカルでした。 ドラム叩きながら歌う植田さんの姿に中坊だった私はたいそう憧れたもんです。 昨日に逢いたい・・・私も是非逢いたい。 妻撮りしてた頃が懐かしくなってます。

 

ところで、写真はNIKON D40Xに55-200f4.5-5.6Gというレンズで撮影しています。5月中旬の遅い午後、某所にて。 今はもっと高画素数で性能のいいカメラと明るいレンズを持っていますが、この時ほど楽しく撮れることは最早ありません。

 

昨日に逢いたい

 

作詞 万里村ゆき子

作曲 加瀬邦彦

唄: 加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ

 

いとしい人のその声を

かんじてめざめた夜明けには

忘れた歌をうたうように

忘れたふるさとよみがえる

夕陽の中で愛をたしかめ

二人でひとつの朝を迎えた

昨日に逢いたい おまえに逢いたい

 

 

 


街を撮る

街を撮ると必然的に往来する人々も写ります。 また、人々がいるから街と言えるのです。しかし、近頃は肖像権、人格権がうるさく言われるようになってまいりました。人の顔も個人情報であると主張する方もおられます。法律上はどうかというと、他人の姿を勝手に撮影しても刑事罰の対象にはなりません。盗撮行為として取り締まられているのは、女性のスカートの中やお尻ばかりを狙って撮るとんでもない人たちですが、これは立派に猥褻行為に準ずるとして、都道府県で定める迷惑防止条例違反にて軽犯罪被疑者の部類に入れられます。ニュースで取り沙汰されることが多いので、重罪のように思われるでしょうが、拘留および罰金はあっても、懲役に行くまでには至りません。ただ、会社クビになるのと、妻子が去る可能性は大ですが・・・。

 

たとえば、道往く和服姿のきれいなおねえさんを無断で堂々正面から撮影、驚いたおねえさんが警察に通報しても逮捕はされません。

やって来た警察官は、通行人同士の些細なトラブルとして仲裁に入り、「嫌がってるからデータを消してはどうか?」と勧告するのみです。

もし、他人の姿を無断で撮ってはいけないという法律ができると、公共の場での自由な撮影は非常に難しくなります。

修学旅行生が東京駅で級友と記念写真を撮ることさえも憚られることになり、報道や国民の各種文化活動にも大きな支障をきたすことになるでしょう。

 

米国では、はっきりと、肖像権よりも表現の自由が優先されることを法律に定めているそうです。 つまり、街中で撮った写真や動画に見知らぬ人が写っていても、それをネットで公開するだけなら何らの咎めも受けないということです。ただし、商業利用する場合は、無断だと民事訴訟の要因となる可能性がありますが、これは「儲けるなら分け前出せ」ということです。

日本でも、ほぼ同じと考えてよいのですが、道徳的見地から他人の姿の無断撮影をするべきでないという認識が世間に浸透する過程で、無断撮影=違法行為という誤った解釈にすり替わったのだと思います。 戦時中の敵性語使用禁止と同じく、国家の発令だと、多くの人が思い込んでいたが、実は民間で勝手に発生し、広まった社会運動に過ぎなかった・・・これとよく似ています。

 

もちろん無断撮影を奨励しているのではありません。ただ、街の光景をカメラに収めたとき、そこにいる人々が写り込むのは当たり前のことです。その人々のすべてから許可を得ないと撮影してはならないという法律ができたとしたら、どうなると思いますか?

私はこの国にそのような間抜けな法律ができたら、他国へ移住するつもりです。

 

 


続・コンデジ考

それで、結局新しいコンデジはキャノンG7Xに決定。ネットオークションでの購入はやめて、マ〇プカメラに注文いたしました。

一応申し上げておきますが、ネットオークションでのカメラ購入はけっして安くはありません。保証もないし、専門家による点検もやっていないので、リスクが大きいと思います。苦い経験を申しますと、私がつかまされたRX100は再生品でした。分解してみて判明したのです。

落札履歴を辿って、相手の評価を詳しく見るとRX100の取引数が多く、他機種も含め、コンデジばかり取引した形跡があり、おそらくは若干の技術があり、ジャンク同然の品物を捨て値で購入してきては簡単に直して売っている転売屋なのでしょう。評価数の多い出品者には特に気をつけてください。

 

なお、一眼レフ用レンズも同様で、オールドレンズは特にご注意を。遺品整理で処分されたカビだらけのレンズを分解清掃して売っている輩がいます。サービスセンターとは技術的に雲泥の差がある素人に毛が生えたくらいの者が適当にやっているわけで、当然光学試験機も持っていないですからいい加減至極。そういうレンズはコーティングが傷んでいるのでまともな性能は期待できません。ついでに申し上げるとレンズの分解はそう難しくありません。全部で5千円くらいの工具類があればできます。私もガラクタで買ってきたカビだらけのオールドニッコールを分解清掃して使っていました。フレアがひどく、現在のデジタル用レンズとは比較にならないので結局捨てました。

 

カメラは今週中に届く予定です。主に撮りたいものは街の光景。G7Xは夜景に強いと聞いているので楽しみです。 いい写真が撮れたら皆様にお見せしたいと思います。

 

 

 

 


コンデジ考

私事で恐縮ではありますが、近々にコンデジを再び購入することにいたしました。 昨秋、RX100が故障。「コンデジはもう二度と買わない」と皆様の前で申し上げましたが、ふだん持ち歩くに、ミラーレス機はいささか重いし、鞄に入りづらいので、今一度コンデジをという結論に達した次第です。

 

世の中のいろんなものを撮って歩くのが趣味のひとつなので、カメラは常時携帯が私の習慣です。そこで、候補に挙がったのが、ソニーRX100M2とキャノンG7X。どちらも中古が4万程度で入手可能で、このあたりが出せる資金の上限です。絶大なる人気を博している単焦点28mm 、APS-Cセンサー搭載のリコーGRも考えたのですが、現在中古価格が高騰気味、4万では程度のいい個体が入手できません。それで、今のところはG7Xに傾いております。バリアングル液晶タッチパネルと望遠端の開放値f2.8というのが魅力です。24mm広角端での歪曲がひどく、多くのユーザーからダメ出しされているようですが、どうせ画を切り抜いて使うので問題じゃありません。

 

余談ですが、このクラスだと投稿画像の撮影に使用されても十分美しく精緻な画像を得ることができるでしょう。 それに動画機能も高度なので用途が広がります。小さな三脚と共に手軽にホテルに持ち込んで、撮影が終わったら、ご夫婦の行為を収録するのも楽しいじゃないですか。 一度検討の価値はあるかと・・・。

 

そんなわけで、またもや散財。我ながらあきれたものです。

 

 

 

 


百代の過客

新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

 

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 皆様ご存じとは思いますが、念のため読みを・・。

つきひははくたいのかかくにして、いきこうとしもまたたびびとなり

松尾芭蕉の「おくのほそみち」序文の冒頭一節であります。 この後に文が続きますが、そこは引用されることが少ないようです。

舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす

 

一休宗純が詠んだ、門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし こちらは中学の時に国語の老教師から教わりました。

当時はなんとふざけた歌だと思いましたが、さすがにこの年になると実感が湧いてまいりました。

 

今年も健康維持に努め、次の一里塚まで元気よく一緒に歩きましょう。

 


Gone with the wind

寒風と共に2016年は去って行きます。 来年は初投稿から10年になります。前に申し上げましたが、ずいぶん前から投稿写真は撮っておりません。今はすべて思い出の中です。 その思い出を折々に皆様に見て頂いております。まだまだ未公開の写真が残っておりますので、これからもお見せできると思います。 これまでに撮った面白い物や風景なども順次UPして行きたいと考えております。

 

大変お恥ずかしい話ですが、大晦日だというのに、自分の部屋の片付けが済んでおりません。ガラクタでいっぱい。気が遠くなりそうです。

 

では皆様、よい年をお迎えください。

 


スカートの奥

スカートの奥を覗く行為はよくないことですが、偶然見えてしまうことはよくあります。たとえば、客室乗務員の方とか。グレーの制服の某大手航空会社のCAはよく通路でしゃがむ姿勢をとられますので、たまに見えたりします。見えてもいいように黒のパンスト履いておられますけど。後は電車の中で居眠りしてる女性。靴屋の店員さんとかも。

それで、見えたからと言って、どうってことはないのです。大抵下着は普通のやつですから。 日本人女性は下着が見えるのを極端に嫌がるし、男性もパンチラなどと大騒ぎしますが、たとえばオーストラリアでは大して気にしてなくて、薄い生地のサマードレスが風で舞い上がって派手なパンティが見えても、「ワオ!」くらいでおしまい。恥じらいはほぼ無かったように思います。

 

妻は、私と出会った頃、小麦色の肌・・・端的に言うと真黒。おまけに色褪せたTシャツ、ジーンズというスタイルにて、色気とはほど遠い容姿だったのですが、意外に足首が細く、美脚であることがわかったのは「いかがわしい行為」をしてからです。

しかし、結婚してからは生活に追われ、30代半ばまで大変でしたが、ある日、街に買い物に出た時、膝上10cmのミニスカートを購入。

早速着用させると結構イケてる。で、後で入手の7cmヒールのグレーのパンプスと合わせたら無茶苦茶そそる。その恰好で街を歩くと道往く男性諸氏の視線ギラギラ。 髪をショートにしたのもその頃でした。銀のピアス。首にはストールを巻き・・・・すごく懐かしくなりました。

当時の妻は青いパンティをよく履いていたように思います。誰か知らない男性に覗かれたことがあるかも知れませんね。それもまた楽しからずや・・です。

 

この回から画像に「東亞寫眞タイムズ」の文字を入れます。

 

 

 

 


クリスマス・イヴ

今日はクリスマスイヴ。 でも世の中は相変わらず忙しく動いております。 クリスマスケーキの投げ売りが始まるのは25日の夕刻らしいですが、その日中に売れなかったら廃棄だそうです。なんともったいない話です。

 

我が家ではクリスマスケーキを買いません。夫婦二人で食べきれないからです。大抵は小さなケーキを2個買います。今年はセブンイレブンのザッハトルテでした。ほんの少しですが、会社から賞与を頂いたので、晩御飯は国産牛のサーロインステーキになりました。

ポタージュや前菜、デザートのフルーツでもあれば完璧ですが、うちではこの皿にライスが付くだけです。ステーキは180g程度ありますから、これでお腹いっぱい。 でも、こうして美味しい物が食べられるのも、この歳になっても働く場所があるお蔭です。これまでの人生で出会った人々への感謝と共に有り難く頂きました。

 

 

 

 


涙の季節

新卒で就職した年のクリスマスイヴは、東京のはずれの宿舎におりました。といっても旧陸軍の建物で、年代物。幽霊が出そうな場所でした。

 

宿舎にいる先輩、同僚たちとともに、クリスマスパーティーを計画、食べ物やビールを調達する軍資金は現場で出た廃材、残材を勝手に売り飛ばした代金。現場近くで無断伐採してきたモミの木に飾りを付け、立派なクリスマスツリー完成。・・・こんな作業は速攻。チームワーク抜群でした。 誰かがいつまにかサンタの帽子も入手していました。

ちなみにパーティー会場設営の総指揮を行った先輩は後に代表取締役に就任しております。泥棒集団のリーダーだったのに。

 

理不尽な先輩に、「男ばかりじゃつまらん。女の子探して連れてこい」と強要され、夕暮れの街へ。 思いついたのが、某電気メーカーの女子従業員寮。帰ってくる女の子たちに片っ端から声をかけ、無視されたり、断られたりした挙句、やっと応じてくれたのが九州出身の22歳。ちょっとポチャだけど、今陽子さんのような印象の目鼻立ちがきりっとした大柄な娘でした。彼女の仲間も数人参加してクリスマスパーティー開始。先輩自慢のサンスイでレコードをかけ、ダンスなど楽しむうちに、最初はしとやかだった女の子たちも、酒が進むとだんだん陽気になり、宴もたけなわの頃には本性が・・・。 酒に弱い私は隣室の破れたソファーに沈んでいました。 そこに陽子さん(仮名)が入ってきて、寝ている私に乗りかかり、冗談半分で腰を振り・・・彼女はレザーのスカートを捲り上げていました。もちろん真似だけで、実際に行為はしていませんが。体重がぐっとのしかかり、酒と女の匂いにクラ~っと来ましたね。パンストを通してぼんやり見えたビキニパンティは淡い紫色だったような気がします。

 

陽子さんとはよき友人となり、その後も交流がありましたが、いかんせん出張の多かった私はデートの機会をしばしば逃し、ついぞ疎遠になってしまいました。 しばらくして、彼女は職場結婚。しかし、1年余りで離婚して帰郷したそうです。早口の九州弁が可愛い、おしゃべりでよく笑う女性でした。今頃どうしてるのかなあと思うことがあります。幸せであって欲しいです。

 

 

 

 


浴衣

昨年冬からブログを掲載させて頂き、1年が過ぎました。拙文を読んでくださっている皆様に厚く御礼申し上げる次第です。 いろいろと書きたいのですが、ものを書くにはネタが必要です。それには体験が求められるわけで、旅行とか最適と思うのですが、行ったら行ったで存外つまらなかったりです。楽しみ方を心得てないせいかも知れません。

 

話は変わりますが、浴衣の似合う女優さんを挙げるとすれば、私は高峰秀子さんかなと思ってます。

木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」という映画で、離島の小学校の運動会のシーンにデコちゃんが浴衣姿で登場します。

これがすごくセクシーでして、おそらくは監督の計算づくだと思いますが、匂わんばかりの色気が伝わってきます。この時34歳。女盛りでありました。あの浴衣の下は絶対何も着けていなかったと確信しております。

 

私の妻も浴衣に限らず、和装のときはパンティなどという無粋なものは着けません。これは若い頃からの習慣です。娘がいないので、着付けを教える相手もいませんが、もしいたら、きっと、ノーブラ、ノーパンを勧めることでしょう。 どうでもいいけど、浴衣のお尻をクルッと剥いて、後ろから襲いかかるなんて、考えただけでもワクワクしませんか? でも、そこにパンティを脱がすという余分な工程があったら興ざめですね。私の場合。

 

 

 


散財

最初に買ったデジタル一眼レフはD40Xのダブルズームキットでした。18-55と55-200が付いておりました。

今考えると両方とも優秀なレンズでありました。 投稿画像には十分過ぎる性能であったのに、物欲にかられ、どんどん機種が変わり、ずいぶんな散財をしてしまいました。 もったいない話です。

変遷を経て、現在は富士フイルムのXシリーズに落ち着きましたが、その頃にはモデルが引退。撮る相手もおらず、写真は風景や街のスナップに移行してしまいました。どなたかモデルになってくれる女性はいないかと切望しておる昨今ですが・・・なかなか。

 

なお、購入した機材の数々は面倒なので省略しますが、最も気に入ったNIKONのレンズは35mmf1.8Gでした。この一本のみの使用でもNIKONを1台残しておけばよかったと後悔しております。

 

下の画像はD40X+18-55で撮りました。 元データは紛失。小さい画像しか残っていませんでした。改めて眺めてみると、結構きれいに撮れています。

 

 


旗袍

チャイナドレス。中国ではチーパオと呼びます。 元々はセクシードレスではなく、下にズボンを履いて着用していました。馬に跨るために裾が割れていたのだそうです。現在のような形は西洋人が考え出したもので、戦前の上海などのキャバレーで働く女の子たちにハイヒールと合わせて着用させたのだそうです。そういえば、ベトナムのアオザイもよく似たデザインで、下に薄くて軽いズボンを履いています。

 

また昔の話になりますが、国内のある地方都市に出張したとき、現地のお客さんに誘われて行ったラウンジというかクラブのようなお店はママを始め、女の子たちはみんなチャイナドレスでした。驚いたのはママ。素足にピンヒールのサンダルでしたが、チャイナドレスの下は何もつけてなくて、茶目っ気たっぷりにパッと一瞬前をめくって見せてくれたのは黒々としたデルタ地帯。

しかし、普通に歩いても絶対見えないのだそうです。事実、お客さんを見送るのに外へ出ていましたが全然平気のようでした。

パンティのラインが不細工なので履かないとのこと。 数か月後、一人で再訪したのは言うまでもありません。

もちろん、もっとゆっくり拝観させて頂きました。

 

 


日本では単純に「ホーム」と呼んでいますが、正確に言うと、「プラットフォーム」・・・台とか基盤という意味です。大勢の客を安全に早く乗せるために考え出されたそうで、特に通勤利用にとても役立つ存在です。

 

ところで、松本清張の「駅路」という小説をご存じでしょうか?ドラマにもなっています。 文庫本のあとがきに、旅先の駅の立ち食いうどんが美味いのは帰る場所があるからだ・・といったような記述がありました。 流れ流れて、あてどのない放浪者にそんな感慨は湧かないらしいです。 さて、その「駅路」の主人公は定年を迎えた銀行員で、妻を捨て若い愛人と残りの人生を楽しく過ごそうと計画の上失踪。しかし、悲しい結末が待っているのです。

 

清張先生の小説の多くは、ある種紀行文の趣があり、ずいぶんと旅情をかきたてられたものです。ほとんどの作品は10代の頃に読み倒しましたが、当時すっかり引き込まれてしまい、社会人になってからも、一人で鉄道旅行に出かけては旅の感傷に浸っていました。 何十年も前、北国の寂れた駅のプラットフォームにリュックを背負って立っていた若者の私。

 

あの頃は塗装の剝げた汚いPENTAX  SPを首からぶらさげておりました。会社の備品だったのですが、露出計が作動せず、重くて操作が面倒だと皆から嫌われて放ってあったので、私が拝借。辞める時に返却しようとしたら「ガラクタ置いて行くなよ」と課長が笑って言ったので、有り難く頂戴。50mmF1.8が付いていましたが、それも現場用には使いづらかった原因のようです。「ガッチャ」というシャッター音が今も耳に残っています。

 

写真は北陸本線の小さな駅で撮影しました。初冬の遅い午後でした。

 

 

 


哀愁のドイツ

少し間が空いてしまいました。海外出張もあり、しばらく忙しかったのです。

ところで、先頃、愛用のコンデジが故障。 ソニーのRX100を使用していたのですが、突然ブラックアウトになりました。修理に出すと莫大かかるので、このまま廃棄する所存です。中古2万で購入、半年の命でした。「安物買いの銭失い」の見本がここにおります。

出張先のドイツに持って行く途中だったので非常に残念でした。 しかし、もうコンデジを購入するのはやめておこうと思っています。

代わりに、手持ちの富士X-M1に単焦点18mmのパンケーキレンズを取り付けて持ち歩き用にする予定です。

それはともかく、結局カメラなしの外国旅行となり、写真はスマホのみ。大したことないと侮っていましたが、私のサムスン・ギャラクシーは結構優秀でした。(もちろん話題のノート7ではありません)

 

そのギャラクシーで撮ったのが下の画像。 デュッセルドルフ空港近くに宿泊しましたが、周辺は街中心部から離れた閑静な住宅地で、森の中の小川に沿って遊歩道が巡らされており、散策には最適の場所でした。 その遊歩道の脇にこの先生がおられました。

身長はジャイアント馬場より高く、こちらに歩み寄ろうとする姿に一瞬ギョッとしました。もし夜中に出会ったら腰を抜かすでしょう。

こういうセンス、我々日本人には理解し難く、国内でこんなもの道端に設置したら苦情が殺到するかも知れませんね。

 

気温は4℃。空は灰色。でも、日曜日の昼下がり、哀愁漂うドイツの晩秋をゆっくり楽しむことができました。誰もいない遊歩道、大音声で、バカの一つ覚え、シューベルトの「菩提樹」の一節をドイツ語で歌っていたら、散歩中の老人がいつの間にか後方から・・・。

にこやかな表情で後半を一緒に歌って頂きました。 「発音がいまいちだけど声はいいね」と、流ちょうな英語で寸評を頂戴。

握手と共に「ドイツを楽しんでください」と、おっしゃって去って行かれました。

 

Der Lindenbaum 菩提樹

 

Am Brunnen vor dem Tore,      市門の前の 泉の側、
Da steht ein Lindenbaum,      そこに一本の菩提樹が立っている。
Ich träumt’ in seinem Schatten    僕はその木陰で見たものだった、
So manchen süßen Traum.                     とてもたくさんの甘い夢を。

 

 

 


Mademoiselle de Paris

「パリのお嬢さん」というシャンソンの名曲があります。誰もが一度ならず聴いたことがあるかと存じます。メロディ聴いたらすぐわかるでしょう。ジャクリーヌ・フランソワがオリジナルを歌いましたが、私はジュリエット・グレコが好きです。 でも、残念ながらパリには行ったことがありません。シャルル・ド・ゴール国際空港で乗り継ぎしただけ。もう20年前のことです。 エール・フランスの地上職員がとても親切だったことを憶えています。ちょっと驚きましたけど。 とかくフランス人は意地悪と聞いていたので・・・。

大昔、初めて東京に出た時、「なんと東京者は意地悪で冷たいんだろう」と思いました。それとよく似てるかも知れません。南フランスの地方都市で暮らしたことのある人に聞いたことがありますが、人々は皆素朴で親切だったそうです。

 

それはともかく、まだの人はぜひ聴いてみてください。出だしはスローでやや哀調を帯びていますが、途中からパッと明るくなります。

パリで働く若いお針子さんのことを歌っています。おそらくは地方の出身なんでしょうね。昔、日活で和泉雅子さんが演じたような働き者の可愛い素朴な女の子が連想されます。 もっとも和泉雅子さんは江戸育ちですが。

 

パリのお嬢さん 訳詞

彼女はパリのお嬢さんと呼ばれている
暮らしぶりは僕等とたいして変わらない
行きつけの場所はリボリ街
デザイナーを目指しているのさ
まだ見習いだという話だし
一人前じゃないけれど
僕等が通る道に
花束や花飾りをたくさんまいてくれたっけ


異邦人

欧州では難民受け入れ問題が日々深刻になっているようです。移民の青少年犯罪は非常に多いそうで、暴力犯罪の多くは移民2世の不良少年集団によるものだと。 ドイツでは未成年の犯罪の多くに罰はなく、親が警察に呼び出され、引き渡して終わりらしいです。日本のように家裁送致、鑑別所、少年刑務所行きはめったなことではならないとのこと。 コンビニに押し入って店主を暴行し、現金を奪ってもです。

このような状況で移民受入拡大政策を打ち出して窮地に陥っているの今のドイツです。北欧の国々も似たようなものです。 ただ、まっとうな人も多くいて、何度かの欧州出張で利用した空港や交通機関、ホテルなどで親切にして頂いた多くの人々が有色人種だったように思います。

 

コペンハーゲンで一度、夜の街を歩いていたら、アラブ系の若い男二人組が近寄って来て、内一人が私の肩に手を回してニタニタしながら「どこ行くの?え?心配しないでいいよ。何にもしないから」と抜かしたので、睨み付け、「おい、汚い手で俺に触るなよ!」と怒鳴ったら、速足で去って行きました。さすがに肝が冷えましたが、ここで臆病な態度をとったり、懐柔しようと愛想笑いでも見せると相手の思うツボになります。彼らの目的は財布の中身です。皆さんも海外旅行に行かれた節は注意してください。当然、夜歩かないのが一番ですが、昼間でも遭遇することがあります。でかい声で応酬すると大抵は逃げますので、勇気を出して叫びましょう。もう一つの手は100ユーロ程度の金を渡してお引き取り頂く・・・しかし、これはさらに要求してくる可能性が高いのでお勧めしません。

 

写真はケルン郊外の街です。晩秋の日中ですが、どこか北海道帯広に似てるような気がしました。

 

 


食べ物写真

食べ物写真はしばしば批判の対象になりますね。「写真撮らずに早く召し上がってください」とか、某ラーメン店では注意するそうです。

私はどこでも撮ります。でも、一応断ってからにしています。料理にも著作権が存在しますので。

 

昔、イタリアのレストランで撮ろうとしたら、「ちょっと待って。料理長呼んでくるから」と・・・結局、料理長、ウエイター、近くの席のお客さんたちと料理が載ったテーブルを前に「ハイ、チーズ」。

 

これはオマール海老の何とかです。国内のホテルのレストランにて撮影しました。

 

 

 

 




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