東亞寫眞タイムズ

出入り

子供の頃、住んでいた家の近くに暴力団組長の家がありました。そこは県庁所在地の市と郡部を分けるバス通りの向こうでした。私は郡部の住人だったのです。この辺りの子供たちは学区が異なるので私たちと仲が悪く、いつも喧嘩ばかり。

ある日、川で釣りしてて因縁つけられ、暴行を受けた同級生の仕返しに、5人ばかりでバス通りを越えたのです。

手にはそれぞれお祭りで買った木刀や拾った角材、パチンコなどを持っていました。目指すは川べりの公園。やつらの遊び場です。 そこに行くには組長宅の前を通ることになります。武装した5人の薄汚い小学生たちに声をかけたのは、組長宅前に置かれた縁台にあぐらかいて仲間と将棋さしてた兄さん。ダボシャツに腹巻。角刈頭の鋭い目つき。「おう、お前らカチコミやるんかい?」と。私は「友達がやられたけん仕返しに行くんじゃ」と答えました。「おう、ほうかぁあ。ブチ回すんならカバチたれずにいきなりやれえよ。喧嘩はスピードじゃけえの。やったらすぐ逃げえ」とアドバイスをくれました。言われたとおりに3人の悪ガキを襲撃し、大成功を治めました。一人はパチンコで撃ったパチンコ玉が鼻に命中し、病院通いに。

 

しかし、やがて悪ガキどもの父兄から市立小学校を通じて抗議が入り、私たちは学校で廊下に立たされ、教師のビンタをしこたま頂戴。 それだけでは済まず、負傷者の親がゴネはじめ、賠償を要求してきたのです。母親に連れられて自称被害者宅に謝りに行く途中、組長宅前にさしかかりました。兄さんは縁台でタバコ吸いながら、「よぉ、坊主、どこ行くんない?」と威勢よく聞いてきました。私は小さい声で「謝りに行くんよ」と。すると兄さん「やられたけえやったのに手打ちならわかるが、何で親が詫び入れにゃいけんのなら?」と言い始めました。母は「まあ、ええですから、この子は手に負えんのです。」と、苦笑い。「お母さん、そりゃ違うで。ゴネよるなあどいつですか?」と、母から無理に名前を聞き出すと、私たちに帰るよう強い口調で言いました。 そして、その事件はあっという間に片付きました。謝罪なし。見舞金も治療費も不要。子供同士が和解することになっただけでした。驚いたのは教師たちが事件に一切触れなくなったことです。

 

実は兄さん、組長の次男坊でありました。通りの向こうに住む貧乏人の子供たちに代わって謝りに行き、治療費も払ってくれたのでした。いや、正確には払おうとしたのです。相手が受け取らなかった。芸術作品を閲覧した感動でお金は欲しくなくなったようです。「では、これで水に流して頂けるということで」・・・「もちろんですよ、子供同士の喧嘩じゃけえ、滅相もないことです」と、負傷者の親である水道工事屋はエビス顔で縮こまったらしいです。 この兄さん、その後も縁があり、私が社会人になった頃にはすっかり堅気。奥さんと一緒に食堂をやっていました。その奥さんの背中にも名画が存在すると、亡き母の証言があります。(銭湯で見た)

 

 

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