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Mature beauty

私が30才くらいの時のことです。仕事で取引先を訪問。用件を済ませ、帰ろうしたら、年輩の女性事務員に呼び止められました。「おたくの〇〇さんに部品を頼まれたから持って帰って」と。部品は倉庫の棚の高いところにあるので自分で取って欲しいとのこと。 案内されたところは木造のレトロな建屋。誰もいません。

棚に付いてる梯子を登り、部品を持って降りてきたら、女性事務員が微笑んでいます。おそらく当時50はとうに過ぎていました。ヘアは染めておらず、シルバーでしたが、小顔で酒井和歌子さんの目を少し細くした感じ。スレンダーで背丈もそこそこあり、なかなかの美人。何かがプツンとはじけ、気がついたら抱きしめていました。

 

「こんなとこじゃダメ」といいつつ、ディープキッス。「下着が汚れるから」と弱い抵抗。目はうっとり。 私は調子に乗り、タイトスカートのファスナーに手をかけようと・・・そこで我に返り、あわてて離れました。相手も「いやだぁ、恥ずかしい!」と顔を押さえ、服装を直しながら先に出て行きました。

 

それからしばらく経ったある日、その会社を訪れると彼女は辞めていました。母親の介護を理由に退職したのだそうです。私に書類を返しておいてくれと大封筒を後任者から受け取りました。中身はどうってことない仕様書でしたが、可愛いデザインの小さい封筒が入っていました。開けるとB5の便箋に「ありがとう。本当に短い時間だったけど、自分が女だったことを思い出せてうれしかった」と。 その女性、同じ職場に勤めていたご主人を40代初めに亡くされ、子も無く、再婚もせずだったそうです。その後はどうしておられるのか。どうかお元気でと願っております。

もう時効だから書きましたが、女性の魅力に年齢はまったく関係ないと、その時に気づいたのです。

 

 

 


東京サタデーナイト

香港映画「ファースト・ミッション」のエンディング曲「東京サタデーナイト」はジャッキー・チェンが日本語で歌っています。もう30年以上前の作品です。当時、日本は香港映画の大顧客でした。同じ東洋人が活躍するというところが共感を呼んだのでしょうが、それ以上にジャッキーが普通の日本人と背丈が変わらず、鮮やかなアクションに加え、フレンドリーで愛嬌もあって、大人から子供まで幅広く受け入れられたからだと思います。

映画のストーリーと曲は何の関係もないのですが、映画制作に日本の音楽関係者が幾人か参加しているようですから、日本市場に相当肩入れしていたことが伺えます。

 

最終便って、キャセイの香港行きでしょうね、きっと。 今は羽田から飛び立っています。

歌詞の内容からして羽田でないと絵になりません。 夜の羽田は私も好きです。空から東京の夜景を観たことは数え切れずありますが、国際線で夜飛び立つときは何か感じるものがあり、ついこの曲が口をついて出てきます。伴奏のアレンジも素晴らしいです。ぜひ聴いてみてください。

 

 

 

東京サタデーナイト

作詞、作曲 美樹克彦

編曲 竜崎考路

歌 成龍(ジャッキー・チェン)

 

東京サタデーナイト 小雨の空港
最終便が 今頃 愛を乗せて 飛び立つのさ
突然あなたは 背中を向けて 今夜発つと 小さく肩ふるわせた
空の上から 見えるだろう 涙のような 東京の街の灯が

東京サタデーナイト 嘆きのブルース
淋しく部屋の 片隅 夜空見上げ 口ずさむよ
胸の底から 込み上げてくる 恋の終わりを告げる 熱い想いが
叶わぬ恋と 知ったけど 運命のままに 流れていたかった

サイドシートが 冷たく光る 一人ぼっち あてもなく走るのさ
今夜の雨は 涙雨 心にしみる さよなら恋人よ

 

 

 

 


実話

妻のかつての友人の話。もう時効だから書かせてもらいます。その方に初めてお会いしたのは20年以上も前、当時アラフォーの小柄な美人でした。亭主と上手く行っておらず、離婚を考え、再婚相手を探しておられました。でも、それは男を探す口実だったようですが。彼女、見た目はしとやかな印象。でも、それは表の顔。 目をつけた男・・・特に高学歴に弱かったようで、医師や士業の男性がお好きでした。 

 

会ったその日に股間に手を伸ばし、送ってもらう車の中でフェラ。なんでそんなこと知ってるのか? それは・・・・私もご相伴に預かったので・・・いいじゃないですか、まあ、それも時効ですから。 ともかく、荒っぽい手段で男を陥落させようと思ったのです。 寝た相手は数え切れず。でも、それはあらゆるところで裏目に。相手の男のほうが何枚も上手。 学歴を偽った男にただ乗りされるなど、問題多々。 どうしてもっと自分を大切にしないのか・・・叩けば埃の私が言えるセリフではありませんが、女性は蝶のように簡単に捕まえられないから魅力的なのだと知って欲しかった。 

 

結局、再婚相手が見つかるどころか、愛人にもなれず。未だに亭主とは別れていません。それどころか、同じ屋根の下です。 ある時、妻に再婚相手の候補を見て欲しいと誘い、行ってみたら嘘。質のよくない危ない合コンで、相手の男たちは妻を誰がヤるかで揉めはじめたそうです。妻は「喧嘩しないで~」とにっこり。トイレに行くふりして逃げだしたら、後で鬼電。「大恥かかせた」と。それでも根っから嫌いにはなれず、数年前まではつきあいがあったそうです。 私から見ると、綺麗で優しくてお人よし、よく気のつく女性でした。ランチバイキングで座ったまま、私に食べ物を集めろと堂々命じる妻とはえらい違いです。

 

 

 

 

 


鄧麗君

鄧麗君(テン・リーチュン) ご存じと思いますが、日本ではテレサ・テンとして有名な歌手です。

気管支喘息の発作が原因で世を去ったと聞いております。享年42歳。訃報を聞いた時、とても悲しい気持ちになりました。

彼女の曲で好きだったのは、母国語で歌った「何日君再来」と「月亮代表我的心」、です。日本語だと「ふるさとはどこですか」がお気に入りでした。ふっくらと愛くるしい顔だち。ビロードをこするような高音のセクシーボイスがたまりません。

 

「何日君再来」は中国語で歌えるようになりたいと思いましたが、発音が無理。フーリーチュンンツァイライと聞こえるのですが、知り合いの中国人の前でこのくだりを歌ってみたら「違う」と言われました。意気の吐き方、吸い方があるようです。

 

中国語圏はほとんど行きましたが、中国本土、香港、マカオ、シンガポール。それらの国々で鄧麗君を知らない者に会っていません。そんな大スターは亡くなる前年に訪日、NHK番組のステージに立ち、「夜来香」を歌唱しましたが、往年の輝くアジアの歌姫はそこになく、まったく精彩を失い、実際の年齢より10も老けて見え、声も全然出ていませんでした。そのショックは忘れられません。非常に個人的な意見ではありますが、日本に定住して活動していたら、彼女はもっと幸せで、長生きできたような気がします。

 

私はオールバックのショートヘアーにスーツ姿で歌う彼女が一番好きでした。また、「テレサ・テン」よりも「鄧麗君」という名のほうが、はるかに素敵だと思っています。

 

画像は本題と全然関係ありませんが、香港ノワールみたいな感じで。 

 

 

 


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When will you return?

何日君再来 亡き東洋の歌姫も素晴らしいですが、この歌はチョウ・シュアンという美人歌手が歌ったのが最初だそうです。写真も映画フィルムも残っていますが、とてもチャーミングな女性で、明星という言葉がぴったしあてはまります。

 

ところで、今日の画像はチャイナドレスです。元の写真は暗く、ノイズだらけだったので、ポスタライズしました。髪をハードなジェルでサイドバックに固め、香港の映画女優さんのようなイメージで撮ったつもりだったのですが・・・・。 

 

 

何日君再来

歌 鄧麗君        

 

好花不常开,好景不常在。  

愁堆解笑眉,泪洒相思带。  

今宵离别后,何日君再来?  

喝完了这杯,请进点小菜。   

人生难得几回醉,不欢更何待!

 

 


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露営

以前、ちょくちょく低山ハイクに出かけていた頃の道具です。カメラはアクセントですから気にしないでください。

カップはシエラを使っていたのですが、どこかで紛失したので、キャプテンスタッグの物を撮影に使いました。

青いストーブはコールマンのピーク1です。おそらく90年代後期製品と思われます。友人からただでもらった時は錆だらけで点火もしませんでしたが、修復して元気な姿になりました。冬季でも、激しい風雨の中でも頼りになる相棒です。もっとも、重いので途中からイワタニのジュニアバーナーに代わり、引退しましたが。

水筒はミズノの1.5㍑のレア物で、ショルダーベルトが付いています。これは80年代に購入しました。

 

お弁当箱のような容器は飯を炊いたり、レトルト食品を温めるのに使っていました。小さい容器ですが、1.8合の炊飯が可能です。後はツェルトと寝袋があれば、冬季以外ならどこでも野営が可能です。ウォッカまたはウィスキーの小瓶と、湯を注ぐだけのドリップコーヒーもリュックに放り込んでおけば、ひとりぼっちの長い夜を楽しく過ごせます。それと、ヘッドランプとラジオは必須アイテムでした。これらがないと、怖くて眠れません。なんせあたりは真っ暗ですから。 闇の静寂の中、ラジオの漫才聴いて、一人でゲラゲラ・・・・異様な光景ではあります。

 

朝起きて、爽やかな微風の中、湯を沸かしながら7時のNHKニュースを聴き、クロワッサンにコーヒー、渓流で冷やしておいた夏ミカンの缶詰(380円もする)をゆっくり味わった後、マルボロを一服。至福の時間でありました。 皆さんにもお勧めしたい、お金のかからない私流のアウトドアです。

 

 

 


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Make a play

どこかで偶然出会った、きれいな女性を口説いてみたことはありますか? 私はそんな勇気はありません。

こんな冴えないおっさん絶対もてるわけないと自覚しています。 ただ、若い時分の経験では女性といろんな関わり方がありました。

しかし、口説こうとしたわけではなく、下心は皆無でした。結果として関係が生じたり、それに近い出来事があっただけです。 

年輩者によく見られる、女性にまつわる武勇伝、簡単に言うと自慢話。床物語詳細を延々語るあれです。

これはご自分が為し得なかった夢を話しておられるのだと解釈することにしています。実際にそのようなことをやっていたら、とても他人に話せません。

どうしてそんなこと断言できるのか?・・・・語るに落ちるのでここらへんでやめておきますね。 

 

 

 

 


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ハイヒール

床がやや汚く見えますが、拭いてもこれ以上きれいにならないのです。先に言っておきますね。

ところで、私はハイヒールとフレアスカートの組み合わせが最もセクシーに感じます。タイトスカートも恰好がよいと思いますが、フレアのような危なっかしさには欠けます。 昔、よく遊びでやったのが、フレアのミニワンピースにノーパン、ハイヒールサンダルで夜のドライブに出かけるというやつで、今考えると、事故にでも遭って病院に運ばれたら大変でした。「おい、履いてねえよ」と救急隊員の声が・・・それより前に他の通行車両から丸見えの可能性だってあり得ます。

 

そういう恐ろしいことはやめましょう。よゐこは真似してはいけません。

 

なお、時々ブログを削除することがありますが、顔のはっきり見える写真を使ってる場合は、短期間で消すことにしておりますので、どうぞお赦しください。

 


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Tバックショーツ

 Tバックショーツに惹かれたのは米映画「氷の微笑」でマイケル・ダグラスが女性のドレスを捲り上げ、Tバックショーツを横にずらしてエッチするシーンを観てからです。

それからすぐに、五反田のランジェリーショップでブラ、ガーターベルト、Tバックの3点セットを購入、妻に贈りました。歩くときに違和感があり、長時間着けているのは無理だとの感想でしたが、夜、出かける時はそれでもよく着用していました。 そういえばバレエのインナーショーツは昔からTバックです。あれは痛くないようですね。

なぜ、知ってるかというと、以前にこのブログで書きましたように、若い頃少しの間つきあった年上の女性がバレエやってて、稽古用のインナーをよく部屋の中に干していたからです。ただ、その頃は「変なパンティだな」と思った程度で、それ以上の興味は湧きませんでした。 

 

これは友人の経験ですが、知り合って間のない恋人をホテルに誘い、彼女のTバックを脱がせたら××××にあたる部分に〇〇〇が付着していたのを見て瞬間に萎えたそうで、まあ、このような事故もありますから、ご留意のほどを。 大変失礼しました。

 

 

     

 


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The darkness in Asia

昔、よく聞いたセリフで、「香港かマカオに売り飛ばしたろか?」というのがありましたが、実際、日本から売り飛ばされた女性がいるのかどうか疑問です。 香港は何度か訪れましたが、魔窟のような場所は九龍城が解体されて以来、無くなったようです。

あるいは香港島のどこかにそんな怪しい場所がまだあるのかも知れませんが、危険な印象は微塵も感じられず、神戸や横浜を歩いているのと同じような感覚に陥ります。 時と場所は申し上げられませんが、その昔、知人が新婚旅行で訪れた東南アジアの某都市で、新妻が行方不明になる事件に遭遇しております。

僅かな品物を買いに、ホテルから数十m離れた商店に出かけたまま、忽然と姿を消し、以来30数年経った現在も消息がわかっておりません。 彼女はアジアの闇に吸い込まれてしまったのでしょうか。 

 

こういうケース、国内で起こったとしても、警察の捜査対象になるのは困難なように思います。身代金要求があったり、血痕や争った跡など、具体的証拠がなければ警察は動きません。それでなくても失踪人は大勢いるのですから。 現地警察は「見つかったら連絡するので、日本の連絡先をここに英語で記入して」とだけ言い、それ以上はとりあってくれなかったそうです。

 

真実は永遠に闇の中。 どこかで平和に暮らしておられることを祈るのみです。

 

 

 


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太陽はひとりぼっち

アラン・ドロン主演1962年の映画「太陽はひとりぼっち」のイタリア語の原題は”L’eclisse”となっており、「日蝕」と訳すのが適当かと思います。 

人生の翳りを表現しているのかもしれません。共演はモニカ・ヴィッティという、イタリアの美人で賢そうな女優さんです。映画は不毛の愛を描いています。 

学生の時に場末の三流館で初めて観ましたが、もっと大人になってから観たほうが、ストーリーをより深く理解できたことでしょう。 

しかし、テーマ音楽はリズム感に溢れたかっこいい曲でした。あれから何十年もずっと耳に残り、今もギターとアルトサックスの音色が頭の中を駆け巡っています。 

ところで下の画像ですが、かつてモデルの同意が得られず、投稿不許可となった作品です。今回ポスタリゼーションにてブログ掲載可となりました。 

生画像をお見せできず、大変残念です。

 


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家撮りのすゝめ

連休だというのに、こうして家にいてブログ書いてます。どこか行けばよいのですが、並ぶのが嫌いだし、金使って疲れるのが嫌で・・・・早い話、金が無いだけですけど。(早く言えよ!)

 

今はもう投稿画像の撮影は行っておりませんが、過去の画像の多くは自宅撮りでした。 ホテルで撮影するのもよいですが、いろいろ荷物も持ってかなきゃいけないし、準備が大変です。それにお金かかるのがいけない。 

たしかにホテルの調度品はおしゃれな物が多く、ベッドも美しく整えてあります。でも、はずれも結構あって、がっかりしたケースも多々あります。パンフレットの写真をうかつに信じてはいけません。

 

そんなこんなで家撮りがほとんどになりました。 写真は写る範囲だけしか背景が要りませんので、じゃまな物をどけるだけですぐに準備完了です。 私はそこまで考えが至らなかったのですが、ホテル代を払う代わりに花を飾ったり、おしゃれな小物を買ってきてアクセントにしたら、素敵な写真が撮れそうな気がします。 連休はどこも行かない、あるいは行けない方、ぜひ家撮りで遊んでみてください。 浮いた費用で牛肉買いませんか?


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撮影の心得

各掲示板に日々投稿される作品の数々、どれも素晴らしく、センス、技能ともに優れた方が次から次へと・・・それに比べて私の写真は進歩がないこと・・・・いやはや赤面しきりです。 それでも毎回見てくださってる方がいらっしゃるとお聞きしまして、大変うれしく、改めて厚く感謝申し上げる次第です。 

 

さて、その進歩に乏しい私が撮影の際に心がけているのは、短時間で済ませる(最大1時間。それ以上かかると、モデルはいつの間にかテレビの前にどっかり。)と、1度にひとつのテーマ(欲張らない。企画倒れになるだけ) モデルに指示、命令するような言動はしない。(低姿勢でお願いしないと、怒って即時撮影中止になるので)の3点です。

 

特に三つ目ですが、以前、街の大きな公園の片隅で、明らかに投稿用撮影を行っているご夫婦(子連れ)を見かけました。ボディコン+ハイヒールサンダルの奥様を、でかい声で「そうじゃないって!」と怒鳴ってるご主人。不安な表情の子供。奥様の表情は困惑と怒りに・・・・。 三脚とアルミケースに、たぶんEOS5D。相当気合い入ってましたが、しかし、怒鳴ってまで写真を撮る必要が・・・。 

 

それから、屋外で撮るとき、もし最適なロケーションが見つからないなら、あっさりやめることにしています。遠出した時でも同じです。天気が悪かったり、思ってたのと違った、つまらない場所だったり。やたら人が多くてチャンスが無かったり。そんな時は「何か食べて、お土産買おうか?」で、おしまい。 投稿のために撮るんじゃなくて、いいのが撮れたら投稿ということにしていました。 以上、何かの参考になれば幸いです。

 

 

 


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若葉の頃

「若葉の頃」という、ビージーズの名曲がありました。原題は「First of May」 歌詞もメロディもすごく繊細で美しい曲です。ビージーズ、ギブ三兄弟の双子の弟たちはすでに他界し、長男のバリー・ギブだけになりました。長い時を経てなお、彼らの歌は私の心を揺さぶってくれます。少しも古さを感じさせません。たしか、バリー・ギブのヴォーカルと思いますが、素晴らしい美声と歌唱力に感嘆します。 まだの人はぜひ聴いてみてください。

 

それから、この写真ですが、ずいぶん前の若葉の頃に撮影しました。カメラは何を使ったか忘れました。

これもまた遠い思い出になりつつあります。

 


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願望

和装の女性って素敵ですよね。去年だったか、京都へ出張した折に近鉄京都線の車内でお見かけした着物姿の若い女性。いやあ、マジで撮らせて頂きたいと思いました。もっとも、近頃は挙動言動に注意しないと、あらぬ疑いをかけられますので、断念したのは言うまでもありません。

 

それで、和装へのあこがれの根底には、たとえば裾を捲り上げて・・・などと不埒な発想があるわけで、それは皆さん同じと思います。美しいものを蹂躙する悦びとでも申しましょうか。尊敬する団鬼六先生の作品に描かれるようなセレブ奥様の乱れた姿が浮かんできますね。 しかし、実際には着物を脱がせるのは結構大変で、汚してはいけないし、皺になっても困るので、展開スペースの確保も求められ、非常に面倒な作業になります。髪の毛をセットしていたらもっと大変です。 ラブホでは着付けしてもらえるところがあるようですが、シティホテルでは普通は無理な話。知人のホテル支配人から聞いたのですが、デイユースでやってきたカップルから頼まれて、着付け専門の人を外から呼んだことがあるそうです。女性は某有名企業の美人重役だったとか。

 

もし、幸運にも和装の女性と性交するような状況が生じたら、小用を足すときと同じように丁寧に裾を捲り、立ち姿勢にて後ろから攻撃のみとしたほうが無難です。くれぐれも汚さぬよう気をつけてください。

 

 

 

 


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自粛は美徳?

被災者の皆様に遠慮して、いろいろな楽しみを自粛することが美徳か礼儀のように考える人が結構おられます。日本人の多くが仏教徒だからかもしれません。ずっと前から計画していた家族旅行をとりやめたとか、レストランでの贅沢食事会を中止など。さらにはテレビの漫才番組が不謹慎だとか。消費を控えたら経済活動の停滞につながり、ひいては被災地への支援に必要な資金を調達できなくなるおそれもあるし、被災者の皆さんもテレビやラジオで震災関連の報道や特番ばかりだったらうんざりでしょう。

笑いも届けてあげたいと思いませんか? 人の生活には潤いが必要です。ここに投稿することもそのひとつではないでしょうか。 現地ではすでにネットが復活しているようです。安否がわからず、心配していた知人からメールの返事が来ました。

 

皆さん、「妻をプロデュースする」を楽しみに観ている人々が被災地にもきっとおられると思います。

災害がもたらした不便な生活に、あなたのヴィーナスが小さな花を落として、被災者や関係者を元気づけて差し上げることがあっても、不謹慎な行為では絶対にありません。ぜひ続けての投稿をお願いします。 自粛は支援、応援とは逆の行為というのが私の持論です。

 

 

 


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震災によせて

熊本の震災で亡くなられた皆様に心から哀悼の意を捧げます。

災害列島日本は過去、地震、火山の噴火、台風、津波。豪雨等々で多くの犠牲者を出しています。

そのたびに見知らぬ人々同士が助けあって困難に立ち向かってきたのです。

 

災害が起こるたびに、公平でない被災者支援や迷惑ボランティア、役に立たない支援物資の山が問題になります。これらはすべて偏った報道のせいだと思いますし、他人の困りごとへの意識の低さも関係するかもしれません。 水や食料はお金を出せば買えます。物資不足に陥っている原因は品物があるところまで行くことができないということです。 阪神の震災の時は勤務先の指示で神戸の同僚たちに支援物資を届けました。そこで気づいたことは、隣の明石市は無傷で、まったく普通にコンビニもレストランもGSも営業していたのです。 単にひどい交通渋滞と規制のためにそこまで行くのが容易でないということでした。 災害は破壊だけでなく、人と物の移動に大きな支障を与え、日常生活を危機に陥れます。

 

救出作業や倒壊家屋の撤去、道路、施設の修復はプロでないと無理ですが、個人が収入の一部を義捐金に差し出すことは非常に簡単です。それは、何をしていいかわからない状態で現地に向かうよりはるかに賢明な行為です。私はTポイント、クレジットカードのポイント全部を寄付しました。週末には改めて募金に行こうと思っています。皆さんもぜひ昼食1回分あるいは居酒屋1回分ご寄付の検討を。

 

 

 

 


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スカートの奥

胸ときめくスカートの奥。私の場合はハイヒールパンプスとセットでないと、ときめきません。これは学生の頃に梶山李之先生の作品を読んでフェティシズムに目覚めた時からずっとです。 

 

20数年前のことですが、出張中に南海高野線のとある駅で、反対側のホームにいた、30歳くらいと思しき赤いハイヒールの美人、ベンチに腰かけて見事な美脚を組んでいました。夜遅くて他に誰もいなかったこともあり、お調子者の私は「とてもお綺麗な脚ですう!」と大音声で呼びかけました。すると彼女は、はにかんだ笑みを浮かべ「脚だけぇ?」と、高くよく通る声で応じてくれました。

「いえ、もちろんお顔は脚以上です!」。 そこに電車が入ってきたので、彼女は「ありがとう」と口を動かし、手を振って見えなくなりました。 

 

 

 


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外国旅行

皆さんの中には、遊び、仕事を問わず、しゅっちゅう海外に行かれてる方がいらっしゃると思います。私もずいぶん海外に行きましたが、そのほとんどが仕事。しかも長くて2週間の短期滞在です。ひどい時は3日というのもありました。遊びで行ったのは最初の海外旅行で、オーストラリアでした。40年近く前のことです。今はどうだかわかりませんが、当時のオーストラリアは古い車がたくさん走っていました。農作業用のトラックなどは戦前の物も使われていて、親から譲り受けて大切にしている印象でした。 日本車でよく見かけたのはマツダでした。カペラが多かったように思います。タスマニアでヒッチハイクして乗せてもらったのがファミリアX508。 

 

当時の日本はすでに消費大国でしたから、家電やモータリゼーションの普及に関しては非常に進んでいました。デパートの品ぞろえも問題になりません。衣食の豊富さは今でも日本はトップレベルだと思いますが、ともかく、オーストラリアは質素な国という印象を受けました。ただ、住宅事情だけは完全にあちらが上でした。日本では汲み取り便所が当たり前で、下水道の整備は大都市だけ。きれいなおねえさんがトイレ臭漂う木造アパートの四畳半一間から都心のオフィスに通っていたのです。初めての外国旅行で南半球の農業国を訪れ、我が国の「見せかけの繁栄」を痛感した次第です。 

 

帰国して、東京駅八重洲口近くの店で食べたカレーライスが美味かったことを今でも覚えています。「海外に住んだら、こんなの食べられないな。やっぱし日本がいいや」とつくづく思いました。

 

 

 

 

 


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想い出のコールマン

以前、コールマンの502というガソリンストーブを所有していました。それは、20年前に粗大ごみ置き場で見つけたものです。本を読みながら自分でレストアしました。工具とパッキンを自作し、燃焼部の真っ赤な錆は「ナイス」というトイレ洗剤で落とし、ようやく点火に漕ぎつけた思い出があります。美しい青の焔に感動。それがきっかけで、508や小型のピーク1、2バーナーの413などの中古を次々と入手、すっかりはまってしまいました。最近まで持っていたのですが、もう子供もいないし、キャンプなどやらないので、思い切って売却したものの、時折後悔の念が頭をかすめております。

 

なお、極寒や強風の中ではガソリンストーブは非常に頼りになる相棒ですが、反面でガソリンの取扱いには気を遣いますし、パッキン類の不良で燃料が漏れ、点火した途端、一気に燃え上がって火傷という事故もあったりして非常に危険です。もし小さい子がいる家族で使用されるなら、カートリッジガスストーブやカセットコンロをお勧めします。安全確実、そして手早く調理が可能です。 炊いたご飯の味が違うという御仁もおられますが、はっきり言って変わりません。むしろガスのほうが焦げないでおいしく炊けるような気がします。

 

ついでに申し上げておきますが、山好きの友人がその昔、テントの中でガソリンストーブを操作し、メインバルブを開けるとボォッと霧が発生。そこに別な仲間がいきなり点火、テントは一瞬にして火に包まれ、1名がひと月以上入院する結果となりました。

 

もうひとつ余計ですが、近頃はアルコールバーナーが見直されております。しかし、アルコールは火が点いていても透明の炎なので、わかりにくく、気が付いたら衣服に燃え移っていたという事故もあります。ともかく液体燃料の器具を扱うときは十分ご注意を。 

 

 


tuma_pro さんの投稿 2016.04.07

コメントは不可設定ですが・・・
これにはoutdoor大好きな私もウズウズ反応してしまいました^^
火器類についてはコールマンマニアでランタンをはじめストーブのコレクターです。
502はマニアが多くて 私もバースデイストーブをゲットできた時は嬉しくて嬉しくて^^
火力調節が微妙でメンテナンスを繰り返し 立派に生き返りました。私の歳と同じ502も見てください^^

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お彼岸

お彼岸のおはぎ。 お彼岸でなくても、おはぎは大好きで年中食しております。 60mm f2.4マクロで撮ってみました。美味しそうに見えるでしょうか? 

 

少し湿っぽい話になりますが、おはぎを見ると亡き家族を思い出します。父母と弟です。お皿に盛ったおはぎを家族みんなで食べた日の思い出。弟は小学校に上がらないうちに世を去りました。おはぎを手づかみで食べ、あんこだらけになった幸せな顔を今も忘れることができません。

 

6人家族は半分になり、またそれぞれ家庭を持ちました。 いろんなことがあり、波乱万丈の人生にはなりましたが、元気でまっとうに生きていることが亡き人々への供養であり、ご先祖の恩に報いることだと・・・・「バカタレ!そんなのどうでもいいから、さんざん迷惑かけたみなさんにお詫びしろ!」と、母の怒声が聞こえてまいりました。 あの世で会ったら、懐かしの顔面平手打ちを食らいそうで怖いです。(痺れるような痛みが当分残ります) というわけで、あの世には行きたくありません。 合掌

 

 


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草莓

いちごは中国語で草莓(チャオメイ)と言います。どちらも可愛い呼び名ですね。ロシア語だとклубника。

クルゥヴニーカと読むのだそうです。フランス語ならla fraise(ラ・フレーズ) 女性冠詞が付きます。まあ、どうでもいいことですけど。 

 

私はコンデンスミルクをかけて食べるのが好きなので、葉っぱをとってお皿に盛ります。 

 

 

 


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最近観た映画

この週末に「ブリザード」という映画を観に行きました。夕刻の109はガラガラの客席で快適でした。

1952年に米国東部の大西洋で実際に起きた遭難事件を映画化したもので、原題は「The finest hours」です。 3Dで観賞しましたが、強烈な嵐の中、タンカーが真っ二つに折れ、後ろ半分だけで漂流する30人余の船員たちを救助せんと、怒涛の海に小さな艇で出航する4人の沿岸警備隊員、現場を知らない司令官の無茶な命令。その司令官に抗議する主人公(艇長)の婚約者。 この女性、ホリデイ・グレインジャーという英国人の可愛い女優さん。日本人好みだと思います。 

 

押し寄せる巨大な波浪、船の沈没シーンや船内の状況など、非常に迫力ある映画でした。 また、時代考証もしっかりしていて、50年代のファッション、電話や自動車、通信機など正確に再現されていました。邦画によくありがちな適当さはそこにかけらもありません。 

 

それと、改めて驚くのは50年代のアメリカで、若い女性が通勤に自家用車を使用していたことです。日本で自家用車が普及し始めたのは60年代半ば以降であったかと。 女性ドライバーを見かけるようになったのも、その頃。やはりモータリゼーションを含め、近代文明ではあちらが遥かに先輩だと、つくづく思った次第。 

劇中でダンスパーティのシーンがあり、ジャズバンドをバックに女性シンガーが「Vaya con dios」を歌い、若い男女が踊ります。こんな素晴らしい時代がかつてあったのだと・・・。

 


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Time will tell

73年の米映画”アメリカン・グラフィティ”の中で、高校の文化祭のシーンがありました。あちらでは「ジュニア・プラム」と呼ぶそうですが、プロのバンドを呼んで高校生たちが派手に踊りまくると・・・やはりアメリカは自由な国です。 そのシーンに出演していたのが「フラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・キッズ」でした。 ビーチボーイズのコピーのようなグループですが、彼らよりも、もっと砕けたイメージで、映画の中ではお揃いの赤いジャケット姿で「At the hop」をかっこよく演奏していました。元祖の「ビル・ヘイリーとコメッツ」よりノリがよかったように思います。 ついでですが、この映画に出演していた俳優で、後に有名になったのがハリソン・フォードとリチャード・ドレイファスです。 学級委員の優等生を演じたロン・ハワードは映画監督になりました。

 

その「フラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・キッズ」のファーストアルバムに入っていた1曲が「Time will tell」。 60年代ポップスのスタイルを踏襲していて、コーラスが秀逸です。 「時が来たらわかるさ」 この曲を初めて聴いたとき、私は20代前半の若者でした。

 

たしかに、すべては時が教えてくれます。意地悪ですね・・・過ぎた後に笑って教えてくれるだけ。

 

 


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あの人

ザ・ワイルドワンズのシングル「青空のある限り」のB面に収録されていました。加瀬邦彦さんの12弦ギターによるイントロが心を震わせます。湘南サウンドと呼ぶのはこんな曲でしょうか・・・。 鳥塚さんの抜けるような高音はこの曲によく合ってて、とても爽やかです。

 

この曲の最後は「好きだから僕はもう会えない あの人に僕はもう会えない」で終わります。きっと自分から別れを告げたのでしょう。 胸がキューンとなりそうな甘酸っぱい歌詞は、青春時代の爽やかな感傷を呼び起こしてくれます。ネットで探すのは難しいですが、機会あらば一度聴いてみてください。きっと、遠い過去に置き忘れてきた何かを思い出させてくれることでしょう。 

 

あの人にさよならとくちづけした 

街角の空を風が吹く 

あの人の幸せを祈りながら 

帰る街角に風が吹く

みんな知らないで僕を見て 

どうしたの どうしたの 泣いてるのかい

あの人は優しくて素敵だった 

透き通る朝の星のように

 

作詞 岩谷時子 作曲 加瀬邦彦

 

 


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初めての

ブログを書かせて頂くようになってから2か月以上経ちました。文を考えるのは苦でなかったのですが、話題を思いつくのは結構大変です。掲載してから1日経って自分で面白くないなあと、削除したことも数回。昨日書いた分もそうでした。 「だいじょうぶだ、誰も読んでないから」との声がどこかで・・・でも、そんなことおっしゃるあなたはしっかり読んでますよね。 

 

ところで、突然ですが、初体験の相手はどんな人でしたか? プロ、初恋の人、はたまた行きずりとか、いや、俺は妻一筋だとおっしゃる方も当然おられるでしょう。

 

友人には叔母だったというやつもいます。別な友人は教師。この方、私も英語を教わったのでよく存じております。おしゃれで長身の美人でした。 私は近所のお姉さん。

バレエやってて、ややきつい感じのする美形。多くは語りません。なぜなら、記憶は都合よく編集されるものだからです。 そのお姉さん、やがて良縁がまとまり、嫁いで行かれましたが、その少し前に、駅ビルのレストランでカレーライス食べてたら、お二人が少し離れた席で楽しくデート中。

 

「あっ」と思った瞬間、お姉さんと目線が合ってドキッ。目礼し、あわててカレー皿に視線を戻し、一心不乱に食ってたら、そばに人の気配。

「××君!」と彼女が立っていました。やや顔が引きつっています。私も立ち上がり、「結婚されるそうですね。おめでとうございます」と頭を下げました。 少し離れて立っていた相手の男性も答礼。ところで彼女、「家族の皆さんはお元気?」から始まり、ずいぶん饒舌。おいおい近所に住んでるのに知らないわけないだろう・・。

 

ここですべてを悟った私は「ごめん、飯食ったら約束あるんで」と会話を打ち切りました。彼女は気にしていたのです。私とのことを。「お願いだから胸にしまっておいて」と目が語っていました。 もちろん、いらんことを言うわけがありません。 男性に気づかれないように了解の暗号送信、大急ぎでカレーをやっつけて、その場を去りました。

今なら笑って話せるようなことです。しかし、当時は破談になりかねない危険がいっぱいだったのです。「処女でない女は汚れている」と平気で言い放つ男性が大勢いました。中高年以上の方なら心当たりが、きっとおありかと。

 

そうそう、彼女には弟がいて、そいつとは今も親友であることを付け加えておきましょう。

 

 


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都会

ザ・タイガース。GS時代の末期にヒットした「都会」。ジュリーの甘く切ないヴォーカルが多くの若い女性を虜にしました。

 

その頃の私・・・・・15歳の少年。高校は1学期でさよなら。街で知り合った不良仲間が住んでたアパートの隣にバス会社の寮。 付近の路上で煙草吸ってたら、寮の二階から顔出した可愛いお姉さんに声をかけられました。「あんた、いくつ?」と。「お前に関係ないだろ」と返すと、「子供が煙草吸ってるって警察に通報するわよ」と・・・・・そこから友達になり、おつきあいすることに。 彼女は長崎県の離島出身、高校を出てバス会社に入社1年目。つまり、私より3歳上。やや色黒でしたが、大きな瞳と長い髪、小柄でキュートな女の子。お茶目であっさりしてて、飾りっ気のない性格にすごく惹かれました。でも、翌年に退社して帰郷。 その後1度だけ手紙をもらい、それきり音信は途絶えましたが、10年後にまさかの再会。 

 

勤務先の忘年会の後、同僚に誘われて行ったピンクサロンで偶然私たちの席に付いたのが彼女。「ええええ?」と驚く私。 バスガイドなのにお国なまりがひどく、先輩に虐められたのが退社の原因。いったん郷里に帰ったものの、日々自分らが食べるのがやっとだった親から疎んじられ、姉を頼って長崎に。水商売で働いてるうちにろくでもない男に引っかかり・・・・その後紆余曲折あり、初めて働いた街に舞い戻ってこの商売に流れ着いたのでした。 十代の頃の清潔な印象は最早なく、すっかりプロの女。 

帰郷の時、「もうつきあえんけん、ごめんね」と、肩を震わせて泣いた可憐な女の子の面影は雲散霧消していました。 つくづく世の無常を感じた次第です。

しかし、彼女と出会わなかったら、私はドロップアウトのまま、学校生活に戻ることはなかったと思います。「高校ぐらいはせめて出とらんといかん」と諭してくれたのは彼女でした。 

 

今も「都会」を聴くと、最初と10年後の彼女の顔が、ビフォーアフターのごとく交互に脳裏をよぎります。 

 

あなたが消えた この街を歩けば

今日もたそがれ さみしくせまる

孤独な僕を やさしい心で

いつもあなたは 愛してくれた

それがなぜ 今はひとり

帰ってと帰ってと 叫んでみても

都会は何も こたえてはくれない

今日も人波に 流れてゆくよ

 


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The Last Waltz

「ラスト・ワルツ」 ご存知の方も多くいらっしゃることでしょう。エンゲルベルト・フンパーディンクが歌った珠玉の一曲です。 この歌が巷に流れていた1967年当時、私は中学生でした。母親が亡くなり、心は空っぽ。勉強などまったくやる気もなく、学校サボって街に出て、公園や川べりでぼんやり過ごしていました。少年補導に引っかかったこともあったりして、そりゃ大変でした。

 

自作の短波受信機で海外放送を聴き始めたのもその頃で、シンガポール経由のBBCから流れる「ラスト・ワルツ」は雑音だらけでしたが、とても感動したのを憶えています。当時は歌詞の意味などわかるはずもなく、ただただフンパーディンクの美声と親しみやすいメロディに聴き惚れていたのみ。後年、英語の歌詞をじっくり読んで、恋の始まりと終わりを歌っているのだとわかりました。 歌詞/訳詩は誰でもネットで拾えるので省きますが、特にサビの部分を聴くと、今でも胸が熱くなります。

 

I had the last waltz with you
two lonely people together
I fell in love with you
the last waltz should last forever

 

 

 


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プロデュースって?

妻を撮って他人に見せたらどんな反応かと、面白がって始めたのが投稿写真です。初めはヌードを撮りました。褒められてすっかり興に乗り、いろんな衣装、アレンジで撮影してるうちに、私の知らなかった大人の女を妻の中に見つけました。 それで、本来の性格とは全然違う、ツンとしたセレブ風の女に撮ってみようと思いました。 これも私が見たことのない妻でした。

 

まだ投稿経験のない方、ぜひ一度試してみてください。それは非常に楽しいものです。写真に撮るだけですから、古着でも構わないし、ハイヒールもヤフオクの中古買って荒っぽい塗装で赤に塗ったり黄色に塗ったり、自由にできます。ダサいロングの古スカートに鋏入れて裾をジグザグにカットしたら、とってもクールに変身。 「いやあ、うちのはスタイルいまいちだから」と躊躇される方、全方位良好の女性なんてめったにいません。大抵どこか難があります。そこは避けていいとこ撮り。

 

友人の奥さんを撮ったことがあります。小柄で太目でしたが、長い髪をかき乱し、大きく展開。目をいっぱいに開いてもらって、少し上のアングルから撮ったら、アジアンビューティーに大変身。亭主はたまげました。

 

他人の投稿写真に「作っている。自然じゃない」とかの水差しコメント入れる方もおられますが、個人の自由だし、非日常だから楽しいのです。ふだんの妻を撮るなら、それは地味なスナップ写真で、ちっとも楽しくありません。他人から見たらなおさら面白くないでしょう。 無責任な放言は気にせずに異次元空間を楽しみましょう。

 


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降る雪や

・・・・は遠くなりにけり・・・そういうこと言うのはやめておきましょう。どうも昔ばかり懐かしむようになっていけません。 寒波到来、東日本は雪に見舞われましたが、私が住んでる西日本は雪どころか、スーツ姿で街を歩いてる人も見かけましたけど。 

 

子供の頃、ラジオで聴いた「雪の降る街を」。 雪を題材にした歌の中では最も情景描写に優れていると、中学時代の国語教師が言っていたのを憶えています。 

私は失恋の歌だと確信しております。雪は心の中を降りしきっているのだと。

 

雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日かつつまん
温かき幸せのほほえみ

 

内村直也作詞・中田喜直作曲

 

 

 


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ハッシャバイ・シーガル

淋しさを癒すのに 俺は何をすればいい

潮風の町に来て 飛び立つかもめ見つめている

 

”ハッシャバイ・シーガル”は、1982年公開の邦画「TATOO<刺青>あり」のエンディング曲です。主演の宇崎竜童が歌ってて、すごくハードボイルドでやけっぱちで、かっこいい曲。とても感動しました。オリジナルはイントロなしでいきなり歌い出し。ドスが効いた声、間奏のピアノプレイが泣かせる「男のバラード」です。 

どこかの岸壁で潮風を浴びながら歌ってみるといいですね。いつのまにか竜童になりきってたりして。

映画の内容はwikiでも読んでください。37年前に起きた銀行人質事件を題材にしています。

 

そんなに何を生き急ぐのか 

ハッシャバイハッシャバイシーガル

同じさ俺と 阿呆鳥さ

ハッシャバイハッシャバイシーガル

 

作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童

 

 

 

 

 


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さよならだけが人生だ

 

唐代の放浪詩人、于武陵の詩です。 井伏鱒二が名訳を残していて、そっちがすっかり有名になってしまいました。 胸にずしーんとくるものがありますね。 

    井伏鱒二訳

      勧  酒   于武陵

        勧 君 金 屈 巵
        満 酌 不 須 辞
        花 発 多 風 雨
        人 生 足 別 離

      コノサカヅキヲ受ケテクレ
      ドウゾナミナミツガシテオクレ
      ハナニアラシノタトヘモアルゾ
      「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

   意訳 

       酒を勧める

       君に黄金の大杯を勧める
       なみなみと注いだこの酒を遠慮するな
       花開けば風雨に遭うものだ
       人の一生は別離ばかりだ

 

 

 

 

 


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激古 KONICA

1960年代初期のコニカEEマチックです。 廃業した写真機店の老主人から譲り受けた物です。

20数年前のその当時でも二束三文でした。ヘキサノン40mmf2.8が付いています。 修理で預かったが、引取りがなく、そのまま20年近く経過。 所有者は当時20代の青年だったそうです。何度も連絡を試みたが、なしのつぶて。修理代が捻出困難であったのかも・・・という推測でした。 

 

これで何か撮ろうと思ったことはありますが、面倒なので実行に至りませんでした。 古いカメラを好む人もおられますが、大抵は眠い写真しか撮れません。レンズコーティングも劣化しているし、シャッターは油が回って動きが鈍くなっていますから、常に露出オーバーになります。それに遮光材のモルトブレーンもボロボロ。ということで、古いカメラやレンズをご購入の際は十分注意してください。 高くても信頼のおけるお店を利用されることをお勧めします。

 

すでに他界された老主人の顔を思い出すと、捨てるにしのびなく、自室の棚に置いてあります。これからもずっと鎮座することでしょう。 少なくとも、私があっちへ行くまでは。

 

 

 

 


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故郷の空

生まれ故郷へ帰ってみました。かつて通った小学校は建て替えられ、横の道は舗装されていました。

でも、そこから見える山の形は変わっていません。青い空、往く雲もあの頃と同じです。 目を閉じると、形容し難い感傷が押し寄せてきました。 

あの山の向こうに未来があると信じていた。 もし過去に戻れるなら、二度と会えない優しかった人々に、僕の未来がどうだったか教えてあげたい。

 

        山のあなたの空遠く、
        「幸」住むと人のいふ。
        ああ、われひとと尋めゆきて、
        涙さしぐみ、かへりきぬ。
        山のあなたになほ遠く、
        「幸」住むと人のいふ。

 

        カール・ブッセ 山のあなた   訳 上田 敏

 

 

 

 


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スナップシューター

愛用のコンデジでスナップを撮ってみました。 近頃は迷惑防止条例とか面倒な規制ができて、知らない人を撮ることは難しくなりました。昔は海水浴場で女の子撮りまくってるおじさんなんて珍しくなかったのですが・・。

 

街角スナップが好きなので、いつもカメラを持っています。 行き交う人々をカメラに収め、時代を記録するというと大げさですが、これも素敵な写真の楽しみ方だと思っています。

 

きれいなおねえさんを見つけたらシャッター。でも、運悪く警察を呼ばれる可能性もあります。そこで皆さんの奥様や恋人に街を歩いてもらって、距離を置いて適当に撮ってみてください。新たな魅力が発見できるかも。 

 

海外でもしばしばスナップを撮りましたが、いつか欧州の空港で見かけた美しいご婦人を撮ったら(無許可)、優雅に微笑んで、「あら、もっとたくさん撮ってよ。後で画像見せて」とメールアドレスを頂いたことがあります。 またある時は、東南アジアの某国で路上に立っていた、美人だけど貧しそうな若い女性を撮ったら、何とも魅力的な笑顔とともに、モデル料10ドルを堂々要求。笑顔料を10ドル乗せて上げて20ドル。互いに手を振って別れました。 Have a nice day !

 

 


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お雑煮

皆様、明けましておめでとうございます。

 

お正月はいかがお過ごしでしょうか? 私はどこへも行かず、訪れる人なく、静かな新年を迎えました。

年末に中古のレンズを安く買ったので、お雑煮を撮ってみました。 うちでは鰹だしのおすまし仕立てです。

私に限ってですが、肉類を入れないのと、焼いた丸餅を放り込みます。 妻子は、ゆでた餅と鶏肉が好きです。

 

なお、購入したレンズは18-55mmf2.8-4.0標準ズームです。 安価な割に性能のいいレンズです。スナップ撮影に使おうと思っています。

 

どうでもいいけど、明日から仕事。またクレームや納期催促と格闘の日々が始まります。 お互い健康維持に努め、今年も頑張りませう。

 

 

 

 

 


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Auld Lang Syne

「オウルドラングサイン」と読みます。某国営放送の朝ドラでご存知の方も多々いらっしゃるかと存じますが。

スコットランドの古い曲で、向こうでは誰もが知る「再会を祝す歌」だそうです。 日本では「蛍の光」。 古い歴史があり、学校だけでなく、旧海軍は「ロングサイン」と呼んで、兵学校などの卒業式や艦の出航時に軍楽隊が演奏していました。 しばしばお別れの場に使われますが、正しくは見送りの曲と呼ぶべきでしょう。

 

旧友は忘れていくものなのだろうか 古き昔も心から消え果てるものなのだろうか 友よ 古き昔のために 親愛のこの一杯を飲み干そうではないか

 
   しかし、パチンコ店やスーパーの閉店時に流れる三拍子のメロディが多くの人の頭にこびりついているようです。実は私もその一人。
   「またのご来店をお待ち申し上げております。ありがとうございました。」 
   あれは「Auld Lang Syne」を戦後に米国でアレンジした「別れのワルツ」で、文部省唱歌の「蛍の光」ではありません。ちなみに原曲は四拍子。

年の終わりに歌ってみませんか? 朗々と正調「蛍の光」を。

 

蛍の光 窓の雪 書読む月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れゆく

 

皆様、よいお年を。

 

 

 


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昭和の残影

昭和50年代、新卒で上京したばかりの私は寮住まいでした。賄いが廃止されていたので、近所の食堂で夕食を済ませていました。バツイチ三十代の綺麗なおねえさんが店を手伝っていて胸わくわく。 それはともかく、鯖の味噌煮が上手かったこと。経営者の故郷、新潟の米で炊いた飯も最高でした。

 

ここで、話は変わりますが、ある夜、そのバツイチ美人の元亭主が店にやってきて、こいつがすっかり出来上がった状態。嫌がるおねえさんの髪を引っ掴んで外に連れ出そうとしているではありませんか。横で飯を食っていた私、速攻で酔漢を制止。顔を殴られ、路上に出て取っ組み合いの喧嘩、最後は双方お巡りさんのお世話になりました。 酔いが覚めた元亭主、存外気の弱い、人のよさそうな男で、最敬礼で何度も謝って、すごすごと帰って行きました。彼もかつては食堂の客だったのです。お互い惚れあって結婚まではよかった。しかし、写真が趣味の彼、給料安いのに次から次へと高価な機材を購入、撮影旅行に仲間と出かけては散財・・・身に覚えのある御仁も、あるいはおられるかと・・・・結局、生活が破たん。美人嫁逃げるという末路を迎えました。  遠い昭和の思い出は食堂の懐かしい匂いとともに蘇ってまいります。

 


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ブルースハープ

10ホールズハーモニカとも呼びます。これは息子が高校生の頃に吹いていた独ホーナー社製の「ブルースハープ」です。

年末の大掃除をやっていたら出てきました。 演奏を試みましたが、私には到底無理、未知の世界でした。

練習している時は、うるさいなあとか思っていましたが、ある日のこと、「北の国から」を完奏。心震わす切ない音色に胸がじ~ん。

もう一度聴かせて欲しいのですが、今は遠くにいて、家に帰ってくることはほとんどありません。

 


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きんつば

きんつばが大好きです。子供の頃、近所の駄菓子屋で売っていたきんつばの形はサイコロを大きくした、完全なスクエアでした。10円玉握って買いに行ったもんです。 

写真は東京の花園万頭さんの栗きんつばです。新横浜駅で買ってきました。ほどよく炊いた栗が一個まるごと入ってて、甘過ぎない大人の味。 香り高い煎茶とともに美味しく頂こうとした矢先、予期せぬ飼い猫の襲撃。 不遜にも前足でこの高価なきんつばを踏み潰すという暴挙に。

現在、残骸を食すべきか否か、思案中です。 

 


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小さなカメラで

いつもコンデジを持っています。駅、空港、ホテルのロビーで、何でも適当に撮ります。 もう少し綺麗な画像が欲しいので来年からはX-M1にパンケーキレンズ付けて、持って歩こうかと思っています。18mmF2が欲しいです。もっとも中古でも3万以上・・・しばし考え中。

 

旅先で何気なく押すシャッター。後で見ると、特に何年も経った時、懐かしさがこみ上げてきます。出会った人々、風景、その時々の様々なエピソード等々、いろんなことを思い出しながら、コーヒーカップ片手にしばしの感傷に浸る・・・・なんと贅沢な時間ではありませんか。

 

大好きな人は別として、一眼レフを持ち歩くのは重くて大変です。ン十万もするフルサイズ機を首からぶらさげ、それには、これまたン十万のF2.8通しの神と呼ばれるズームが付いてて、「いつでもどうぞ襲ってください」と言わんばかりに海外の危険地区を被写体探して歩いてる日本人のおじさん。見かねて注意して差し上げたことがあります。 

 

疲労と危険の心配なく、旅先で素敵な作品をどんどん撮りたいと思われるなら、私のお勧めはリコーGRです。これならジャケットの内ポケに何とか入ります。 旅先だけでなく、職場やさまざまなイベントでも、周囲の人々を刺激せずに手軽にシャッターが押せることでしょう。とかく批判の多い食べ物撮りだって素早くサッと。 

以前、リコーGX200,GRDⅣを使っていたことがあります。どちらも優秀なコンデジでした。欠点は暗い所がやや苦手だったことくらいと記憶しております。

 

その進化したモデルが単焦点のGRですが、すでにGRⅡが発売され、GRの中古価格も4万くらいまで落ちていますので、少しの努力で大抵の人に手が届く値段になりました。 多くの皆さんが「ズームが無いと不便」と思っていらっしゃるようですが、コンデジズームのテレ端は記録用写真にしかならないと、私は考えます。あっさり単焦点で勝負、ズームは被写体に歩み寄ることで代用と割り切りましょう。 GRレンズが生み出すクリアな画像はとてもとても魅力的です。 

 

リコーのコンデジ、金に困って2台とも売り飛ばしてしまいましたが、いずれまた入手したく、しかし、家族への説明にきわめて論理的かつ明確なプレゼンを準備せねばならず、目下懊悩に苦しむ日々を過ごしております。

 

GRDⅣで撮影

 

 


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Myカメラ

皆さんはどんなカメラをお使いでしょうか? 私のカメラは富士フィルムのX-E2です。 35mmf1.4単焦点を主に使っています。

他にX-M1も所有していて、レンズは60mmf2.4マクロと55-200mmf3.5-4.8の望遠ズームがあります。

下の写真はX-M1+60mmマクロで撮影しました。 60mmはAF速度が遅く、慣れないと使いづらいです。しかし、本体の汚れやピントリングの細かいゴミまで写ってますね。 

私はカメラやレンズの手入れなどほとんどしません。撮影に支障ないからです。それよりも、細かいことを気にせず、裸で鞄に放り込んで、どこへでも持って行きたいです。  

 

カメラはこれまで何度も買い換えました。以前の主力はNIKONでした。結論から言うと、どれも一長一短。 結局どれでもいいんじゃないかと思ったりしてます。テクノロジーの進化が著しいので、ずっと同じカメラというわけにも行きませんが、上手に使えば、最初に買ったデジタル一眼のD40Xでも、投稿画像だったら、今使っても全然問題ないように思います。

 

カメラが無いので投稿は・・・と思っていらっしゃる方、2万くらいでも中古のレンズ付き一眼レフが入手可能ですから、ほんの少しの投資で済みますので、ぜひご一考を。 それから、撮り方に「こうでなければいけない」ということはありません。ご自身の感性で自由に撮られたらよいと思います。

 

構図やアングル、カメラの設定。そんな面倒な細かいことは考えず、ひたすら撮りましょう。難しいことは撮ってから覚えましょう。

 

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孤高

「孤高の人」という小説があります。学生時代に読んで感銘を受けた本のひとつです。 

32歳の若さで北アルプスに散った市井の登山家、加藤文太郎の生涯を描いた名作です。著者の新田次郎は元気象庁職員で、富士山測候所に勤務していた当時、加藤に会っています。

 

「韋駄天の加藤」の異名を持つ彼は、もの凄い速度で富士山頂へと登ってきたそうです。 またの名を「単独行の加藤」と呼ばれ、常に一人で山に挑みました。しかし、最後は厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根にて遭難。それは、はじめて仲間と二人で組んだ山行でした。

 

御殿場に商用があり、通った道すがら、手持ちのコンデジで冬富士を捉えました。

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銀河鉄道

先ごろ、ドイツを訪れる機会を得ました。 フランクフルト中央駅のプラットフォームには巨大な天井が被さっていました。 隅っこに古い駅の建物がくっついているので、ずいぶん後に設置したものと思われます。 

 

夜、異国の停車場でひとり列車を待っていると、とんでもない想像が頭を駆け巡ります。 まさかここは銀河鉄道の始発駅ではないか?・・・・そうすると列車はあっちの世界へ? 「まだ早いと思うんだけど・・・」 そんなこと考えている間にICE(都市間特急)が滑り込んできました。 目的地デュッセルドルフまで2時間近い旅となります。

 

ドイツの鉄道では改札がありません。うまくやればただ乗りできます。しかし、車内検札で見つかると、問答無用で正規料金以外に40ユーロの罰金を請求され、払わないと警察に引き渡されるのは当然の処置です。 ローカル線では買った切符をプラットフォーム上のスタンプ機に通しておかないと不正乗車になります。

 

少しだけでもドイツ語を覚えておくと交通機関を利用するのに便利です。 Flughafen(空港) Hauptbahnhof(中央駅)・・・hbfと省略。

空港はフルークハーフェンと発音します。中央駅はハウプトバーンホフ。 これだけわかっているだけでも、知らない言語の不安からかなり解放されます。

 

テロ事件で欧州旅行を控えておられる方も多いと思いますが、見どころ多く、食べ物が美味しくて比較的安全、やや無愛想だけど、サービスがしっかりしているドイツは日本人にとって快適に過ごせる国のひとつです。 是非一度訪れてみてください。 

 

余談ですが、日本人女性の集団がホテルの朝食の「バイキング」を何皿もてんこ盛りでテーブルに並べているのを見かけたことがあります。一度ではありません。

欧州では基本的に一皿をテーブルに置き、食べ終わったら次をとりに行きます。そして、とった食べ物は絶対に残してはいけません。それがマナーです。 

 


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モーニングコーヒー

最近アマゾンで買ったイタリア軍のコーヒーカップ。ずっしり重くて頑丈。胸章(たぶん)がプリントされています。重いカップで飲むと、ひと際コーヒーが美味しく感じられるのは私だけでしょうか? 

 

イタリア軍から連想するのは「コレリ大尉のマンドリン」というニコラス・ケイジ主演の映画です。相手役がペネロペ・クルスだったかと。 ストーリーは1943年にギリシャの美しい島で起こった事件をもとにしていて、内容がやや厳しいので、ここで語るのはやめておきます。

 

そこからさらに連想、古い思い出に行きあたりました。

新卒で配属された部署の先輩が某大学マンドリンクラブ出身で、ある日、母校の定期演奏会を聴きに行かないかと誘ってきました。当時は日曜日が暇だったし、断る理由もなく、都内の古いホールで観賞させて頂きました。 その時の演目で印象に残ったのが 「無線電信第一連隊」。明るくて軽快なイタリア軍の行進曲です。マンドリンのために作られた曲だそうで、コレリ大尉もきっと演奏したことでしょう。 朝のコーヒーでも楽しみながら一度聴いてみてください。その日はとても楽しい気分になれるかも知れません。 

 


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リコーオートハーフ

リコーオートハーフをご存知の方も多いと思います。 25mmf2,8 簡単操作のカメラです。

小さくて、女性のバッグにしのばせて、好きな時にさっと取り出せる。とはいえ、300gを超える重量ですから、今の基準だと少々重いですね。

ピント操作がなく、距離指標を合わせ、目測で適当に撮る。つまり「写ルンです」と同じ。性能は「写ルンです」が、かなり上です。

されども、このオートハーフ、中学時代の憧れでした。デザインがとてもモダンで、見てて飽きません。

60年代の日本は世界水準に追いつくべく、各業界とも必死の努力で製品を開発、驚異的な速度で優れた技術を生み出しました。

その代表選手がカメラです。ベトナム戦争の時には米軍の報道班もニコンを使用していたそうです。

 

写真のモデルは65年頃のものかと思いますが、機械としての作りはしっかりしていて、組立精度の高さに感嘆します。

この頃は中卒の女子工員さんたちがラインに並んで組立てていました。金の卵と呼ばれた集団就職の時代です。

そう、喫茶店やレストランでも中卒の女の子が働いていたし、誰もかれもが高学歴の今とはずいぶん違います。

長い間に労働者の年齢層が大きく上にシフトした感があり、やはり高学歴化と高齢化のダブルの影響でしょうか・・・。

 

レストアして撮ってみようと思いましたが、実用にはなり得ず、あまり意味のないことで、このまま棚に飾っておくことにしました。

眺めながら、日本人が全力投球した、あの遠い時代に想いをはせるのもまた一興かと。 

 

                   DSCF6750.jpg


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ミラボー橋  

Le pont Mirabeau ミラボー橋

ミラボー橋の下、セーヌは流れる
そして私たちの愛も流れ去る
辛い思いの後にはいつも愛の喜びが訪れたことなどを
思い出して何になる

 

シャンソンが好きです。遠い郷愁を感じるのです。拙者、さては前世は仏蘭西人であったかと勝手な空想。

実はそうではなかったようで、7歳上の兄の証言によると、幼少の頃、隣家に住んでいた女子大生がいつもレコードでシャンソンを聴いていたそうです。

それがボロ家の薄い壁を通して聞こえて来て、いつしか頭の中に焼き付いたのでしょう。 記憶に最も残っているのがミラボー橋。

5歳の子供だった私はこのフランス語の詩を耳で完全に覚え、しかも巻き舌で歌えたらしく、その女の子を無茶苦茶に驚かせたそうです。

もちろん、今は完全に忘れています。 それどころか、フランス語など皆目わかりません。 隣の家族は私を神童と呼んでいたらしいのですが、

私の母は「んなわけないだろ!」とバッサリ。  母は間違っていませんでした。 

 

鐘が時を告げ、夜が訪れても
日々は過ぎ去り、私はひとり残される

                  


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Good-by morning

ああ、褪せた夕陽に包まれて 今 昔の僕を捨てよう 雨に濡れて届いた手紙も 愛した人さえも・・・・

この曲はサンディーという女性歌手がソロで歌ったのが最初です。 ハーフの綺麗な女性で、サビの部分、英語のくだりは発音が正確でした。

素敵な声で、甘く切なく歌うので、すっかり虜になったのを憶えています。

90年代にBB・クイーンズの房之助さんとMikeの敬子さんがデュエットでリメイク。こっちはヒットしましたね。

この曲聴くと、どうも反省モードになります。 「ごめんね。苦労ばかりさせたね」・・・・・絶対に言わないぞ。なめられたらおしまいだ。

君に告げよう Good-by morning

 

                                                                                       

 

 

 


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COCO

 

 

ココの香り、男心をくすぐりますね。 彼女の薄いフレアスカートが揺れるたびに、ふわっと鼻腔を襲うココ・シャネル。 成熟したアンニュイな女性に似合いそうです。

ご存知の方もおられると思いますが、パルファムを使う時は両方の内腿に。 やがて体温で温められた狂おしい香りが立ち昇ってまいります。

背徳の香り漂う中、せりあがるような波が押し寄せ、女の絶叫とともに果てる。 夢は尽きません。 

                

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砂に埋めた涙

冬の海岸でカメラを拾ったことがあります。 遠い遠い昔のことです。 フィルムが入っていたので、行きつけの写真屋で現像を頼みました。

カメラはオリンパスペン。 写っていたのは明るい表情の綺麗な20代後半とみられる女性と、やや野暮ったい、ずんぐりした無愛想な青年でした。

三脚が無かったようで、お互いに撮りっこしたようです。 その写真を友人の一人に見せたら「俺この人知ってるよ」と。 彼の勤務先の先輩でした。

女性も同じ職場でつい最近まで勤務していた人で、結婚退職されたのだそうです。 でも、そこには悲しいドラマが・・・。

 

ずんぐり男、その女性に恋い焦がれ、求婚していたそうです。女性のほうも悪い気はせず、デートの誘いに応じていたと。

しかし、女性に見合い話。相手は国立大卒にて自動車メーカー勤務+長身の男前。 負けました。 それで最後のデートをとずんぐり君に懇願され、海岸へ。

当時、「つきあう」というのは大抵の場合、清い交際でした。当然彼らも手をつなぐのがやっと。 その話をしてくれた友人によると、「あの女は男を見る目がない」と。

 

時が経ち、そのずんぐり君は住んでたアパートの大家さんの娘と結婚。そして、現在は当時の勤務先だった中小企業の社長を務めているそうです。

女性のほうはご亭主が脱サラで始めた事業が一時は軌道に乗ってルンルンだったようですが、不況の波に襲われ倒産。 亭主は従業員の女と不倫。

離婚して健康食品のセールスレディになった女性がしょっちゅう会社や自宅を訪ねてくるので、ずんぐり君は辟易。最後は毅然とお断りしたそうです。

あんなに好きだったのに? 時は何もかも風化させ、熱も奪い去るのです。  ずんぐり君、魅力的な笑顔の向こうの打算を見抜く理性は備えていました。

 

蛇足ですが、カメラを届けたお礼は田舎から送ってきたみかん一箱でした。瀬戸内海の大長みかん。とってもおいしいですよ。

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こちらのページでは ユーザー様へお知らせする情報や 運営委員会が選んだ「お気に入り作品」等を掲載しながら サイトへの思いなどを綴っていこうと思っています。

しばらくの間 テスト的な投稿となりますがご了承お願いします。

   (゜))<<

 

歌詞の内容は、イーグルスのメンバーで当時29歳だったドン・ヘンリーが友人に宛てて書いたものだそうです。

映画は西部開拓時代の孤独なギャングを主人公にしたものでした。 この曲の主人公も、孤独で、刹那的に社会に背を向けている。そして、歳を重ね時代が変わり、否応なく社会とのかかわりのあり方を再考する時期に直面していきます。

イーグルスはこのような優しい目線で歌う曲が多いですね。

        (゜))<<


LOTUS さんの投稿 2015.03.24

これは、大変なことになりましたね。あの公安局長さんの奥様がブログになるとは。過去にあれだけ素晴らしい肢体を晒された奥様を、また拝見できるのは大ファンとして途方もない幸運です。期待いたします。

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